10月


1週目


10月1日(土)-------------------------------------------------

イベントの都合などからアクターズスクールが休み。土曜日が先方の都合でオフになる事など、此所数年なかったな。ライヴ明けでもあるし、久しぶりに朝寝坊して休みを味わふ。買い物に行ったり、置いて帰ったバイクを取りに行ったり、本屋めぐりをしたり。

夜、脊髄空洞症といふ進行性の難病に侵されたピアニスト、といふのをTVでやってゐるのを見ゆ。コンクールを目標に、思い通りに動かぬ身体に鞭打ってピアノに向かふ姿は、痛々しくも心打たれた。この人にとって、ピアノを弾き続ける、といふことが心のよすがなのであらう。しかし、徐々に進行して行く病、といふものと共に生きるといふのは、我々には到底量りしれぬ過酷な人生に違いない。そしてその一秒一刻は、どんな宝石やカネよりも、貴重で、美しく、価値のあるものだ。

この意味がホリ○もんに分かるか?。

2日(日)-------------------------------------------------------

F楽器店発表会の為のリハ。カン詰め。おまへ全然練習してないやろ、といふ生徒もゐて、ハラがたつ。日誌にもタマに登場する、ここの店員H嬢が10月で退社する、といふハナシを聞く。打ち上げでもその辺のハナシ。

帰りの道路(11:30ぐらい)が気味が悪いくらい空いてゐる。前後左右真っ暗。チーと薄気味悪いので久々にカーラヂヲのスウィッチを入れると、ナンとも気持ちの良いバラフォンらしき打楽器の音が・・・・。

3日(月)-------------------------------------------------------

夏の疲れが出始めてゐるのか、ミョ〜に身体がダルい。眠い。一秒一刻を宝石のやうに過ごす為に、泳ぎに行く。かういふ時こそ、フィジカルにならねば逆に心の方が参ってしまふ、と思ふ。しかし、さすがに1キロ泳ぐとすげぇめまいと息切れで、しばらくプールサイドで横になってゐた。夜はきのこ鍋。

4日(火)------------------------------------------------------

運転免許証の更新に行く。

前回の更新時に、入院してゐた為更新できなかったワシに対して、向こうが取ったあまりに高慢な態度にキレて係員とケンカをしたのだが、今回は始めから、絶対に此所にゐる人間には心を許さぬ、と誓って行った。それに応えてくれるかのやうに、見事に高慢かつ高圧的、冷淡かつ事務的な対応をしてくれたので、こちらも最後まで心を揺らさずに済んだ。

受付から講習までの意味のない時間待機。法改正で免許の有効期限が1ヶ月延長された、と云ふ事を、物凄い免罪符でもあるかのやうにくり返し力説する係員。出来の悪いドラマ仕立てのビデヲ。退屈きわまりない講習。時間と税金の無駄遣いにここまで付き合わされ、それに対して我々に出来るささやかな抵抗と云へば、安全協会への加入を拒否する、といふ静かな意思表示だけ。

勿論、これまでもそんなモノには加入してなかったが、これまでは『いや、カネがないので』と断ってゐた協会への加入を、今回はキッパリと『拒否します』と云ってやったぞ。

5日(水)--------------------------------------------------------

日々うつろい行く単調な日々、、、と云いたいところだが、ぢつはこれがけっこう大事な事で、なんやかんやあるのが人生と云ふモノだがそれでも日々のなかにしつかりとした約束事を据えておくだけでヒトは救われたりするのであるそれわワシにとつて泳ぐ事であり歩く事であり忙しさの中でかうやつてサイトを更新する事でありそれは一見ただだらだらと続けてゐるだけにもおもへるがさうすることによつてわたしはじんせいにつなぎとめられてゐるのでありそれによつていざといふときにどこにでもとべるのでありそれはやがてワ

6日(木)-----------------------------------------------------

ジモ・ミュージックスクールのホームページをワシが担当させて頂くことになった。古くからワシを知ってゐる人々は、よもやワシが「パソコン」なるものをいぢり、自前のホムペを持ち、なをかつ他人様のサイトの管理をするまでにならうとは、誰が予想できただらうか。いや、できはしない。

まぁさういふ訳で、イキなページにすべく奮闘する訳だ。女房のデヂカメを借りて、色々と撮影す。往来の激しい通りでハゲ頭が写真をバシバシ撮ってゐるのはさぞ異様に見えた事だらう。セクシ−系のOLおねぇさんが気味悪さうに傍らを過ぎてゆく。ぼくはよびかけはしない。

夜、レッスンを終え帰路についてゐた処、ワシのすぐ隣をでっかい声でケータイで喋りながら並んで歩いてゐる娘がおり、なんともうるさい奴っちゃな、と思ってゐたら良く知ってる娘だった。しかも彼女、「シュウさんがゐた」「今、隣を歩いてゐる」「頭が光ってゐる」「あ、時計を見た」みたいな事を友人に「実況中継」してゐたらしい。

7日(金)--------------------------------------------------------

油谷町遠征の日。専門学校をひとコマだけやって電車で出発。4:30のこだまに乗って、新下関駅でZEKUのテーさんと出口さんに拾ってもらふ。ここからは車の旅。夜道を走り、ラポール油谷へ向かふ。ラポールは油谷町(正確には合併で『油谷町』なる町は消え、長門市湯谷地区、といふことになってゐる)の公共施設。コンサートホール、図書館、会議室、などを内包する、超モダーンな建物である。今夜は此所を借りてリハーサルをすることになってゐるらしい。

和太鼓と琴をロックバンドに融合する、といふ、まぁありがちな設定だが、ワシを除くメンバーは既に何度かリハをしてゐるやうで、仲々にキマってゐる。ワシのキーに合わせてかなり転調してもらったりした。

リハを終えた後は、控え室でメシ。今夜は此所を解放してくれるらしく、このデカい建物の何処で寝ても構いませんよ、とのこと。シャワーもあり、冷暖房完備。さすがにフトンはないので寝袋持参だが、ショボいホテルに泊まるよりは、遥かにエキサイティングである。結局は、さんざん呑んだ果てに、畳敷きの楽屋でメンバー全員雑魚寝となったのだが、合宿みたいで、たいへん楽しい。

ギターの田川くんは、追い込みの仕事がある、とかで、誰も居ないステージの隅っこにキーボードとPCをセットし、明け方まで作曲に取り組んでゐた。さうか、彼は暗闇でも関係ないのだ。

8日(土)--------------------------------------------------------

けふは湯谷地区稲刈り祭といふイベントに出演。その美しい景観で全国的にも有名な、湯谷町の棚田にステージを組み、ライヴだのナンだのを演ろうぢゃないか、といふ催し。地元の子供達や婦人会、青年会の出し物の合間合間に、プロのミュージシャンを当てる、といふたいへん好ましい地域密着型のイベントである。ゆうべまで絶望的に降ってゐた雨もどうにか上がり、足元のぬかるみは気になるが、薄日の射しはじめた中、稲刈り祭スタート。

ワシは不思議な縁で湯谷の方々に気に入ってもらひ、今年だけで3回めのこの町での演奏となる。「このロケーションにシュウくんの唄が絶対に合うと思った」と云ふて下さる市職員Sさん。この人を慕う老若男女が、この町のかういった文化背景を構築してゐるらしい。小さな、小さすぎるぐらい小さな町の、ちょっとした子供達や婦人会の出し物の、なんとレベルが高いことよ。

好意に応える。ソロで、こきりこ節/らのえてぃあ/星の波間に/丘にのぼる時、の4曲を演奏。目の前に拡がる広大な日本海に、すか〜〜〜〜っと声が抜けて行く。うむ、たしかに気持ちよい!。お客さんも熱心に聞いてくれた。

その後、ZEKUに参加して3曲。イベントの締めに、出演者全員の参加で「花(汚連痔廉痔のぢゃないやつね)」を演り、リードヴォーカルを担当。祭への参加者全員に唄ってもらふ、といふ指向だったやうだが、ワシの声に合わせた処、キーが高過ぎて、ほとんどのヒトが唄えんかったらしい、といふやうなことを、最後に司会のおねぃさんに、すこ〜〜し嫌味っぽく云われた。すいませんね。

ぢつはこの湯谷地区、来年は国民文化祭の舞台となる事が決まってゐる。その音楽監督の役目が、なんとZEKUのテーさんに与えられた、とのこと。これでワシも、もうしばらくは、このたいへん好ましい町との縁が続きさうである。

ZEKUのメンバーは下関、小倉、湯谷、広島、と住んでる処がバラバラなので、大抵はライヴの後は流れ解散となる。ワシはテーさんに新下関駅まで送ってもらふ。手ごろなホテルに空きがあればここで一泊して帰るつもりだったが、手ごろなホテルも、空いてる部屋もなく、明日も広島で野外イベントに出なアカンし、と云ふ事で、おとなしく帰ることにした。

こだまに乗り、広島に帰り着いたのはpm10:00過ぎ。どっかこの辺で一杯やっていくか?とも思ふが、えへくたーと楽器を抱えてゐるので、なかなか難しく、仕方なくホカ弁を買って帰って喰ふ。明日も早い。


2週目


9日(日)-------------------------------------------------

am8:30起床。けふは千田町わっしょい、といふイベントに参加する。個人的には4度目の参加となる。仲介のツンちゃんに『朝のうちに会場入りしてほしい』と云われたので、さうする。すでにバンドの音がする。なんか音程の合ってない唄やな、と思ってゐると、生徒たちのバンドだった。例によってツンちゃん、『適当に参加してくれ』と一言。ので、まづパーカッションチームに参加してジェムベを叩きまくる。その後、急遽ヨシダヨシコグループでベースを弾き、最後はFar east lounge で出演、と結局トリプルヘッダー。秋晴れの空は暑いぐらいの陽気。ソロも演ったし、あをぞらの下でグッドな音楽とグッドな時間。

考えてみればワシは人ごみが嫌いなので、自分が客としてはよほどの事がない限り、このテのイベントには来ぬのだ。しかし来れば来たで、かうやって開放的な時間を楽しめる訳だから、ここに来る必然性として、やはり音楽を演ってゐてよかったな、と思ふのである。

さすがに下関からのとんぼ返り&トリプルヘッダーはたいへん疲れた。明日もまた早い。pm10:00に寝る、といふ記録的なことをやる。

10日(月)-----------------------------------------------

am7:00起床。けふは毎年恒例、F楽器店ポピュラ−ミュ−ジック教室発表会。午前9:00には会場入り。仕込み&自分達のリハ、生徒達の通しリハ、そして本番。一日があっと云ふ間に過ぎ去ってしまふ。それでも参加する生徒達はみな良く頑張ってゐて、楽しさうにしてゐる姿に、我々講師陣も報われるのだ。講師演奏では松崎しげるを熱唱。客入りは少なかったが、けふは、まぁ、お祭りだ。

打ち上げはビミョーに。講師はベテランになればなるほど、生徒との年齢差が開いて行く。ワシはあんまり若いコらに説教じみたり、教訓じみたハナシをするのは好きではない。生徒達は気が合うもの同士で楽しさうに呑んでゐる。ので、ワシは必然的に隅っこの方で、ひとり静かに呑んでゐる事になる。昔は大騒ぎしながら朝まで呑んだものだがねぇ・・・。

am2:30頃にはお開きとなる。2軒めに行かうとする連中と別れ、ひとりスタヂヲまで歩く。途中2リットルの水を買い、スタヂオの洗面台で歯を磨き、教室の床に寝袋で寝る。

11日(火)-----------------------------------------------

あんまり寝たやうな気がせぬのだが、目が覚めるとam8:30。体内時計は正常だ。カロリーメイトを喰ふてから、スタヂオの近所にあるスーパー銭湯に行く。サウナ→水風呂→露天風呂を3サイクルぐらいくり返し、酒と疲れを抜く。抜けぬ。

そのまま専門学校へ。生徒ひとり休み。ひとコマだけ授業やってから、昼飯を喰ひに行く。ラーメン&銀メシセット。そのままゆんべ泊まったスタヂオに引き返し、小1時間ほど昼寝。夕方から生徒がやってきて、9:00までレッスン。なんとか、といふかんぢで車を運転し、まる1日ぶりの我が家に帰ったのであった。

しかしなんぢゃ?このスケヂュールは?。

12日(水)---------------------------------------------

朝、注文してゐた小型のアンプが届いた。よぉし、これで何処ででも演奏出来るぜ。仕事、ナンボでもおいで。

ワシの連日の強行スケヂュールを知ってゐる椎名さんが、けふ予定のデュオリハを中止にしてはどうか?と云ふてくれるが、このデュオでの本番も近いし、さうも云ふておれぬだらう。といふことでレッスンを5:30〜9:00までやり、リハへ。選曲会議にほとんどの時間を費やす。届いたばかりのアンプを早速使ってみる。その小ささの割の重低音に、マー坊が興味津々。

考えてみると、毎年秋はかういった過密スケヂュールになる。夏の疲れを癒す間もなくばたばたと動き回り、気がついたらすっかり体調を崩してしまってゐる、といふ恒例のパターンだ。フと気付いたら今月末は東京なのだ。やれやれ。

13日(木)-----------------------------------------------

妙に身体がダルい。今夜もライヴ。ヲ−キングをパスして葛根湯を服用してぢっとしてゐる。ウーム、やはりいくらナンでもこのライヴ続きは、身体にコタエるかねぇ。その忙しさの中で、なんとか完成に漕ぎ着けたジモ・ミュージックスクールの新サイト。サーバーへの登録が完了し、これで、まぁまだ完璧な完成とは言えぬが、サイトが始動しはじめた。試作品を頭首のサトウさんに見せると、「ウム、良いんぢゃない?」と取り合へず気に入ってもらへた。しかし、その後、「いやぁ、こんなに簡単に作れるンだねぇ」「・・・・・・・。」

夜、名古屋に嫁いだオルカ団のオリジナルメンバー鎌田麻実旧姓中尾マミ)が、内海利勝バンドの一員として、広島に凱旋してライヴをやらかす、といふのの、前座をソロで務める。もとキャロル、もと憂歌団、のメンバーに混じっての華々しい凱旋である。アーシィなブルースロック、といふ感じの音楽で、マミさんは随所にイキなフレーズをビシビシとキメてゐる。名古屋に行ってまた上手になったやうだ。とてもリラックスした良い演奏。いやぁ初めてオルカで一緒に音を出したときの、緊張で泣きさうだった顔が思い出されるなぁ。時は流るる。

けふのワシは珍しく事前に(と云ふても直前に、だが)演る曲を決めて演奏。月の路/こきりこ節/タ・ルガシュの空の下/星の波間に/らのえてぃあ/丘にのぼる時/此岸の朱。計7曲で45分、といふ最近にしては長いセットだった。じっくり聴いてくれるタイプのお客さんが多く、こちらもゆっくり練り上げて行くことが出来た。いわゆる『上がって』行く、といふやつだ。録音してないのでナンとも云えぬが、おそらく今年ベストのパフォーマンス。

ちょいとこの処、ソロでのあり方に行き詰まりを感じてゐただけに、良いライヴが出来て嬉しい。とりあへず今はソロで演って行くしか無いのだから、弱音など吐かずに演って行かう。

それはさうと、こないだの湯谷町と云ひ、「こきりこ節」がえらい評判が良いな。

14日(金)-------------------------------------------------

am8:00起床。ヲ−キングしてたら雨。けふは夜にBobby'sのメンバーで「高い店」に飲みに行く、といふ事になってゐるのだが、何の連絡も無い。イマイチ調子悪いのでパスさせてもらおうとボビーさんに電話すると、彼も寝込んでゐる、とか。といふ訳で、飲みは流れた。

専門学校の授業を終え、愛器ヴァネッサの指板リペアの為に、某所へ持って行く。スケヂュールをやりくりした結果、数日間ヴァネッサ無しでもなんとか過ごせるのは、けふから来週の木曜日までしかない。大急ぎで、と注文。弾きはじめて14年、前のリペアをして既に10年が経ってゐる。フレットレスの指板は消耗品、だと考えるしかないが、上手く治ってほしいものだ。


3週目


15日(土)--------------------------------------------------------

今朝も早い。専門学校の体験授業に駆り出される。けふになってヴォーカル講師のMが休みやがり、デモ演奏では急遽ワシが唄も担当することになる。しかし、雨のせいか予定の参加者が集まらず、ワシの受講者はゼロ。デモ演だけで帰ることになる。

夕方、2週間ぶりのアクターズスクールのレッスン。今期から青年部と少年部に分けて2コマのレッスンをすることになった。低年齢層の生徒を相手にするレッスンは、ツアーの10倍は疲れる。

その後、ねこのづく、としてではなく、佐伯&椎名夫妻とウチら夫婦で、横川は三篠神社の秋祭りに神楽が出るといふを見に行く。最近神楽に凝ってゐるワシらだけでなく、世間のヒトも神楽は大好きなやうで、お世辞にも広いとは云へぬ境内はお客さんでいっぱい。出演はまぁアマチュアの神楽団なのだが、そこはそれ十二分に楽しめるモノで、屋台の食い物や焼酎のお湯割なんぞをいただきながら、最高に楽しめた。やっぱり神楽はかういふシチュエーションで見るのが一番やね。誘ってくれた佐伯&椎名夫妻に感謝。

その後、例によって佐伯家に河岸を変え、am2:00過ぎまで呑んだ。

16日(日)---------------------------------------------------------

過酷なライヴ続きも峠を越え、久々の日曜日の休み。朝のヲ−キングと買い物を除けばづっとウチの中にゐて、専門学校の教室に置き去りにされてゐた、生徒の物らしい漫画(勝手に持って帰った)を読んで一日過ごす。漫画もタマに読むと良いな。「BECK」といふバンドもの。仲々にオモロい。

17日(月)------------------------------------------------------

誕生日である。目が覚めた時、けふから40歳である、といふ事をとても強く感じた。その事実は、意外なほどの重みを持ってワシにのしかかってゐた。「老い」や「衰え」を感じる、といふよりは、あとどれくらいのモノがワシに残されてゐるのだらうか?といふ、焦燥感に似た感情である。

例えば、去年は自分で誕生日前夜ライヴを企画して、思いの他沢山のヒトに祝福されながら39歳になった。その時にオルカのメンバーがプレゼントしてくれたディジュリドゥを、はたしてワシは真剣に練習して、一人前に吹けるやうになってゐるか?。例えば骨折して入院したベッドの上で迎えた37歳の誕生日。退院出来たらあぁしてこーして、と思い描いてゐた事を全部実現できたか?。なによりまづ、ワシは音楽家としてすべきことをちゃんとしてゐるのだらうか?。

てなことを感じた40歳の月曜日であった。

18日(火)--------------------------------------------------------

ヤクルトの古田敦也捕手が、ヤクルトの選手兼監督に就任する事になった、と云ふはなし。ワシは野球は全くの門外漢だが、彼が凄いオトコだと云ふ事ぐらいは分かる。特に今年の野球界をスクランブルしたあのゴタゴタの最中、ナベツネみたいな阿呆に『たかが選手が』などと云はれても激昂することもなく、冷静に選手会会長としてオーナー陣と交渉の席に着き、なをかつ2000本安打といふ偉業も達成し、驕り高ぶる事もなく粛々とコトに向かふ姿は「さぶらい」そのものである。あの時期、敵地である広島球場で、カープファンからの古田コールが沸き上がった光景には、感涙を禁じ得なかったワシだ。

それにしても安藤美姫はカワイイ。

19日(水)--------------------------------------------------------

ヴァネッサのリペアが完了した、との連絡を受け、某所に引き取りに行く。仕上がりは綺麗だが、一番の問題点だった音のビビりが解決しておらぬ。おまけに他の処にも、これまではなかったデッドポイントが出来てゐて、はっきり云って今回のリペアは失敗だった。しかし、東京ツアーまで1週間を切った。今回はこれで我慢するしかない。

夜、し〜なとシュウのリハ。こないだは選曲に時間を費やしたが、今回は曲構成の把握に時間を費やしてしまふ。

20日(木)--------------------------------------------------------

どこがどう、といふ訳ではないが、基本的に体調が思はしくない。ちゃんと寝てゐるのだがいつも眠いし、一日中首の後ろがぞわぞわした感じがしてゐる。フとした動きで目眩がするし、づーっとダルい。熱でも出れば納得出来るが、だうも風邪とも違うやうだ。

レッスンに行くと、内弟子イノマルが『遅くなりましたが・・・』と誕生日のプレゼントをくれた。ちょいとエスニックなかんぢの、2006年のカレンダー。ありがとうよ。

21日(金)---------------------------------------------------------

某楽器メーカーが出してゐる教則本を使ってレッスンをしたが、これが非常にお粗末な代物で、全く役に立たぬ。おそらくジャズを全然知らぬ人が描いたのだらうけど、コードの解釈もラインの取り方もなっとらん。演ってるうちにイヤになってきて、えらく投げやりなレッスンをしてしまった。そんなレッスンをしてしまったワシに、此所でも生徒達が『遅くなりましたが・・・』と誕生日のプレゼントをくれた。ヨン様のやうな温さうなマフラーである。ありがとうよ、おまへら。

夜、佐伯&椎名夫妻を、ウチの近所の居酒屋「ちゃぶ家」に招待す。いつも色々美味い店に連れてってもらってゐるので、けふはワシのオゴリで好きなだけ飲み食いしてもらった。彼らもホストは馴れてゐるのだらうが、ゲストになるのは久々のやうで、二人ともかなりえぇ感ぢに酔っ払ってゐた。あと、ウチに来てイグアナのうさぎを見ながらペリエなんぞを飲んだりしながら、ゆっくりくつろいだ。うーんゴーヂャスでエグゼクティヴ(多分、この使い方は間違い)なナイトライフ。

ワシもかーなり酔っ払ってゐて、二人がタクシーで帰ったあと、シャワーだけ浴びて横になった途端、寝たやうだ。


22日(土)--------------------------------------------------------

アクターズスクールレッスン、ねこのづくのリハ。ツアーが直前に近付き、まだ何も準備してない事に気付いて唖然とする。まぁ、楽器と譜面さえ忘れなきゃ、あとは、別にジンバブエに行く訳でもないし・・・・。

23日(日)---------------------------------------------------------

とりあへず買い物。だいたい1週間分の食糧を買い揃えるが、今回ワシはツアーで居らぬし、女房もダイエットに挑戦したい、のやうな事を云ふので、大したものは買わなんだ。ただ、此所数日チョコレートが物凄く喰ひたかったので、それは買った。


これ以降、秋のツアー日記へと

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