12月


1日(火)---------------------------------------------------------------

しはすに入った。けふは珍しくしーシュで朝リハ。

それぞれ色々と忙しく、この時間帯しかふたりの都合が合わなんだ為。クリスマス〜年末にかけての演奏する可能性のある曲を、まとめてリハする。かういふ「季節もの」は壱度キチとアレンジしておくと楽である。個人的には、ワムの「ラスト・クリスマス」で、ジョージ・マイケルのイヤらしい唄い方を真似てるのが我ながらよく似てゐて、ウケたら良いな、と思ふ。今年もこれを演る季節が来たか。

夜はこれも珍しく、4コマ連続のレッスン。年末までのレッスンのスケヂューリングも出来た。力強いしはすの始まりだ。

2日(水)----------------------------------------------------------------

つべたい雨が降る。

御贔屓、鈴木亜紀の広島来訪ライヴを見に行く。今回は石川智、といふパーカッショニストとの二人旅で、亜紀ちゃんのキャリアにおける最初期のデュオなんださうな。此処に、今回の広島近辺のライヴの受け口となった、クラリネット奏者・瀬戸信行が加わり、トリオとなるのだが、これがすごいトリオだった。亜紀ちゃんのプログレ要素が大爆発!てかんぢ。これまでに見た彼女のどのライヴより、アグレッシヴでパンキッシュだった。

なによりやっぱり亜紀ちゃんってすげぇ、と思ふ。しれッと演ってるやうでゐて、完全に自分のオーラと世界観をコントロールしてゐて、何処にも媚びていないし、誰にも阿ってゐない。その「覚悟」といふか醒めた情熱は、一気に場の雰囲気をねじ曲げ、鈴木亜紀の世界に連れて行く。ハッピーな唄も、煽るMCもないのに、この「持って行かれ」感はなんだ!?。

ワシにないのはこれだ!と思はしむる意味でも、やはりそのアーティスト性を再認識できる、素晴らしいライヴだった。

終演後、帰らうとしてゐたら亜紀ちゃん、『え〜シュウさん帰るの?、呑もうよ〜』と云ふ。共演も何度かして、友達のやうに付き合うやうにはなったが、元はと云へばコアなファンだったワシ。その人にそのやうに云はれたら、残らぬ訳にはいかんだらうが。

て事で、終電も終バスも無視して飲み語り、土砂降りの雨ン中、1時間かけて歩いて帰った。

3日(木)-----------------------------------------------------------------

向原までレッスンへ。帰りは、広島市内に用がある、と云ふ生徒を、車に乗せて連れ帰ったりした。

夜は、しーなさんが客員で参加してゐる「モダンタンゴ五重奏団」のライヴに行く。弐年に一回づつ行なわれてゐるこれを見に来るのも3回目。バンド自体のキャリアは20年になるんださうな。ピアソラの曲を演る、といふたいそう局面的なスタンスで、よくぞここまで、と思ふ。初日だったせいもあってか、演奏はややカタい気がしたが、相変わらず鬼気迫る演奏を聴かせてくれた。

しーなさんは要所要所に歌い手として参加し、ともすれば過剰にストイックになりがちなステージに、適度な茶目っ気とお色気を交え、華を添えてゐた。

けふも帰らうとしてゐると徳ちゃんこと徳武正和(ギター)が、打ち上げに来るか?と云ふてくれたので、参加す。この徳ちゃん、ワシと同い年で、クラシック畑の奏者ながら音大上がりでない、といふ異色のギタリスト。20年くらい前には、なにかしら共演の機会が多く、けふもその辺のなつかしい話しに花が咲いた。

ある企画で、ワシと徳ちゃんが「アランフェス」を録音する事になり、その企画の面白さと裏腹の主催者の主体性のNASAにハラを立てたワシは、6弦ベースをぐしゃぐしゃに歪ませて弾いた。それが予想に反して素晴らしい効果を生み、ぢつに良いセッションとなった。といふ過去がある。けふ驚いたのは、その時に徳ちゃんが連れて来てゐたヴァイオリニストが、このモダンタンゴ5の鄭英徳さんであった、といふ事!。あの一回きりだったので、ワシはすっかり忘れてゐたのだが、鄭さんはワシの事を憶えてゐてくれ、「あの時はお世話になりました」と云ふて下さった。

いやいやこちらこそ!です。鄭さんがしーなさんをタンゴ団にスカウトした縁で、ワシらは萩の「陽だまりガーデン」との縁を頂けたりしたのだ。いや〜つくづく、人の縁といふものはオモロく愛おしく大事なものであるなぁ、と。

4日(金)-----------------------------------------------------------------

昨日一昨日と友人知人のライヴに足を運び、打ち上げに参加して、なんかのんびり楽しく過ごしてゐる。

怒濤のライヴ月間への、ささやかな「慰労」が人生から与えられたもの、として素直にそれを受け入れ、のんびり楽しんでゐるが、よぅ考へたら、今週はバイトもしてるし、レッスンも休みなく入れてゐる。ちゃんと「動いて」ゐる。それでゐて、こんなのんびりした気分でゐる。そは良い事だね。

明日の居酒屋椎修の仕込みをば。

最近、云はれて驚いたのだが、この居酒屋椎修、採算を度外視してやってゐるファンサービス、のやうに思ってゐる人も多いやうなのだ。むしろ逆で、通常のブッキングライヴではなかなか出せない黒字が、このシステムだとわりとコンスタントに出せる。ミュージック・チャーヂを頂かない代わりに、素人料理を有料で楽しんでもらふ、云はば「模擬店」のやうなもので、我らは料理の売り上げで潤えるし、お客さんは音楽をタダで聴けるおトク感を、料理とともに味わえる。たいへんフェアな企画なのだ。

しーシュは正義のバンドなのである。


2週目

5日(土)---------------------------------------------------------------

今年最後の居酒屋椎修。居酒屋椎修で迎える4度目のしはすだ。

過去3回のしはす居酒屋は、もぅてんてこ舞いの大入り満員だったが、けふはほどよく満員。食事の出るペースもゆったりしてゐて、あまりバタバタせずにやれる。だが、裏を返せば、過去3年ほどの人気はなくなって来てゐるのかな・・・、といふ思ひも・・。

ライヴは、今年のお蔵だし、といふかんぢで、カヴァーやこの年末に向けて演る「季節もの」を中心として・・・。けふは遠方からのお客さんが多く、むしろ、さういふ人にとってもけふのラインナップは「レア」だったのかな?。『ホームで聴くとやっぱりのんびりしてて良いねぇ』と云ってくれる方もあり。

けふはキツめの演目がないので、全編ヴァイオリンベースを使ってみたところ、PAのタナベさんからも好評。音が作りやすい、さうな。やはり「唄ものにはヴァイオリンベース」ですかね?。しかしまぁ弾きにくい楽器だ。ちゃんと使おうとするなら、やはり馴れて行くしかないのだらうか?。どーやら音が良い、ことに間違いは無ささうだし・・・。

此所数日、しーなさんがタンゴの方に係ってゐたので、けふの料理は仕込みの大半をワシが担当。しかし後に発覚したのだが、「からしポテトサラダ」の芥子が強すぎて、芥子蓮根もかくや!といふ辛さだった。これはイカン。お客様、申し訳ありませんでした。料理人失格。

6日(日)---------------------------------------------------------------

けふは同い年の人気DJ・サリィ氏の導きで、「鹿児島県人会」のイベントにてゲスト演奏。

どんなもんなのか全く予想出来なんだが、まーぁなんてぇのか、南国人独特のおおらかな明るい雰囲気で、とても気持ちの良い会合。日曜日の昼間から、焼酎を中心にばんばんお酒も呑んでおられる。ワシらの音楽にも立ち上がって踊る人、一緒に唄う人、様々で、会場出口で販売したCDもよぅ売れた。おぢさんを中心に、やはりしーなさんが大人気。

けふ参ったのは、ワシらが持ち込んだPA機材のトラブル。

まぁトラブル、っちゅーか、そのやうに作られてゐるんだけど、デカい音が入力されると「リミッター」がかかり、音が消えてしまふのだ。此所数カ月の遠征で使った時にはこのやうな事は無かったのだが、けふは特にワシの声に過剰に反応して、演奏中何度も電源が落ちた。さうなると唄に集中するのも難しく、結果として、ずいぶん残念感の残るライヴを演ってしまったな、と。

幸い、終演後に機材の専門家(お客さんのひとり)から、けふのトラブルの原因と対処法、をたいへん分かりやすく教えて頂き、おぉいに今後の参考に。云ひ方はアレだけど、けふのトラブルが、今週末の遠征の時でなくて良かった。

その後、スタヂヲに戻り、これから年末にかけての色々な局面での演目をリハ。本番が終わったあとにリハ!。どぅですか?この真摯な姿勢!(笑)。この真面目で真摯な中年デュオに、是非多くの仕事を!。

7日(月)---------------------------------------------------------------

しーシュではなく、年始に演るプロジェクトの譜面(8曲分)を書き上げる為に、スタヂヲに篭る。ソロやしーシュで演ってる曲ばかりなので、今さら譜面にするのもなかなか面倒なのだが、これをやる事で、自分には楽曲の再確認に、メンバーには誠意ある対応に繋がる。18時までかかって6曲分書いたが、集中力が切れて終了。

帰り、気分転換に久しぶりに仏句尾符に寄る。楽器のコーナーに、なにやらえらくビザ〜ルで派手なベースがある。えらく安価なので心が揺らいだのだが、グと堪えて\100の文庫本を買って帰る。あとで調べたら、ジャマラディーン・タクマが使ってるメーカーのだった。買っても良いんだがナ〜。

8日(火)---------------------------------------------------------------

自宅のネットや電話のナニかに伴うナニかの工事で、ワシの仕事机周りを整頓せなならんくなった。

ワシが譜面や文章書くのに使ってるデスクは、今住んでる家の広さからすると、ややデカ過ぎる。結婚当初は仕事部屋がある家に住んでゐたので、それに合わせて女房が買ってくれたものだ。その後、3度の引っ越しを経て、使い続けてゐる。だが、最近は譜面を書く事自体が減って来たし、あっても台所のテーブルで済ませたりする。腰を据えて書き込まねばイカン時は、昨日のやうにスタヂヲに篭る・・・。

といふ事で、工事に伴う整頓に合わせ、かねてより考へてゐた『仕事机の撤去』を敢行。

午前から昼過ぎにかけて、めきめきと机をバラす。必要な書類が減る訳では無いので、机を撤去せしあとも一考必要なのだが、まぁいちをう仮で段ボール箱やらに詰めておく。えらい部屋が広くなった。ネットのナニかの工事が済んだら、改めて行き場を考へやう。

日々、様々な気掛かりが途切れぬが、しはすはすすむ。

9日(水)----------------------------------------------------------------

三好銀の新作「もぅ体脂肪なんて知らない」を入手。てゆーか新作が出てたなんぞ知らなんだな。

思ひ返せば1992年。ナニカの偶然に導かれてこの人のデヴー作「三好さんとこの日曜日」を入手して、その画力があるんだかないんだか分からん奇妙な絵柄と、ドラマがあるんだかないんだか分からん不思議な構成に、何故か何度も読み返してしまひ、気付けば次回作を待ち望むやうになってゐた。共作の単発ものはちょこちょこ出てゐたが、沈黙は十数年に及び、よぅやく出た「海辺へ行く道」シリーズも、ちょ・・・・・っとだけ画力がアップした気もするが、基本的には同じやうなかんぢ。

今回の「体脂肪〜」も同じテイスト。相変わらず上手いんだか下手なんだか・・・といふ絵柄と、舞台となる『運河のある街』の描写、登場人物達の妙な無気力さが、不思議にワシを惹き込む。こんな街やこんな部屋が、本当にあらば住んでみたいな、と思はしむるところが、既にワシはこの三好銀といふ漫画家のファンとなってしまった事を示してゐる。

10日(木)-----------------------------------------------------------------

バランス・シートに座って過ごすやうになり、腰痛はだいぶ改善された気がする。そのかわり、首の調子が良くない。

毎日寝違いをしてゐるやうな不快感と、鈍い痛みがある。日によって痛みを生ずる角度が違うのもムカつく。枕が合わぬのか日頃の姿勢が悪いのか、まぁその両方かもしれんが、この違和感と痛みをどーにかせねばならん。

思へばこれが、2011年のこの時期にやった(やられた)、あの自動車事故の後遺症なのか?、とも。まぁさうだとしても、今さらどーしやうもないがね。整体かなんかにまた通うべきなんかねぇ・・・。


3週目

11日(金)しーシュ週末遠征:阿知須町ペイザン-----------------------------------------------------------------

なんと10年ぶりの阿知須ペイザン。しーシュが「企画もの」以外で、初めて二人だけで「仕事」を行なった場所に、帰って来ました。

この地で42年の歴史を持つイタリアン・リストランテ・ぺイザン。42年前つーと1973年。イタリアン、なんて概念はおろか、パスタ、と云ふ言葉さえ知られてなかった時代だ。そんな頃から、この店はイタリアン壱本で今日まで第一線の繁栄を築いてゐる。けふも会場入りし、セッティングし、リハし、の間、お客さんが途切れる事はなかった。そして、当然ながらその料理の数々の美味たるや!。

けふは「ディナーショウ」といふ名目なので、どっちかてーとしーなさんメイン。お客さんにも「椎名まさ子とその仲間」みたいなかんぢで伝わっており、へ〜、といふかんぢ。まぁ音楽聴けば、ウチらがれっきとしたデュオといふ事は分かると思ふが・・・。お客さんは超満員。ソールドアウト後に『ど〜しても』といふ事で加わった方もゐて、ホンマに満員だった。

さてしーシュ。オリジナルもカヴァーもたっぷり用意し、練りに練ったラインナップで挑む。久しぶりに妖艶なドレス姿のしーなさんと、ドレスコード忘れてて普通にGパンで演ったワシ(苦笑)の対比も面白く、それぞれの見せ場も沢山あり、絶賛の声しきり、の10年ぶりのディナーショウだった。もっとテンポがあっても良かったな、と思ふが、総じて良いかんぢに流れた。終演後すぐに『来年も是非』との声を頂き、「それぁもう是非!」と答える喜び。

10年前の演目を憶えておられたお客さんもゐた。あの時は諸事情あり『急遽のデュオ』といふかんぢだったが、今回のしーシュは、間違いない『最強のデュオ』として見て頂けた事だらう。打ち上げ後に乗ったタクシーの運転手さんから、先ほどディナーショウ帰りのお客さんを乗せた旨を聞く。皆さん口々に素晴らしいライヴだったと仰ってましたよ、と告げられる。そのやうな二次的な評価は、アンケートなどより遥かに嬉しく、誇らしいものだ。

感慨深く、意義深い阿知須の夜であった。

12日(土)しーシュ週末遠征:宇部新川Big Hip---------------------------------------------------------------

阿知須から宇部へ。まぁどっちも宇部市なんだが・・・(笑)。

宇部はしーなさんの生まれ故郷。けふの会場Big Hipも、しーなさんの同級生の兄上が経営されてゐたりする縁から、当初は「しーなの凱旋!」的な趣が強かった。しかし此所数年は、この地の「弟分」小田洋稔との契りで、ワシがソロでしょっちゅう宇部にライヴに来ており、さういふ感はなくなって来てゐる。むしろ「しーシュの唄」を楽しみに待ってくれてゐる人が増えた。

思へば此所も、感慨深い縁なのだ。

共演は、よぅねんたちのファンキーなトリオ「Hyper Dunk」と、若いお色香が(!)なかなかの如乃嬢デュオ。ふた組ともたいそうな熱演で露払いをしてくれた。特にHyper〜は見るたんびに良くなって来てゐて、それぞれの個性的なキャラも相まって、こらぁBig Hipがお抱えにするわな、といふかんぢ。彼らの熱演に答えるべく、ウチらも熱演で応戦。

けふはオリジナルをたっぷりフィーチャーしたラインナップ。しーなさんが宇部を想って作った「遠い街」も、初めてこの地で演奏された。ぢつは日中、唄の舞台になった場所をあちこち案内してもらひ、その情景を見てゐた。さういふ事があると、演奏中の感慨もひとしを・・。これからしーシュの重要なレパートリィに育って行くだらう。

最後は出演者をステージに呼び寄せ、全員で演奏。ほっこりとまったりときっちりが絶妙に同居した、とても良いライヴだった。みんな、ありがとう。

打ち上げはBig Hipでシャブシャブを、その後、よぅねん行きつけの洋食居酒屋で煮込みを。よぅ喰ひよぅ呑んだ。かういふ場になるとHyper〜のギタリスト大西くんの独壇場で、笑いは全部彼が持って行く。何度も吐きさうになるくらい笑い転げた。荒っぽさと知性がほどよく同居する、素晴らしい若者達である。

13日(日)しーシュ週末遠征:呉市Razz---------------------------------------------------------------

さて、週末遠征のラストは呉。

ソロ「独弾」時代から何度となく世話になり、出演回数の多さでは断トツだった名物店RAZZが、今年いっぱいでクローズする、といふ。その最後のライヴパーティーをこの日に、といふ事だったので、そは採算度外視で駆け付けるが漢(おとこ)といふもの・・・・、男女デュオだけどね・・・。宇部から高速に乗り、広島を素通りして呉へ向かふ。

カワちゃんも来てゐるので、この際ぱんぱかトリオでも、と当然ワシらはダブルヘッダー。お客さんは呑んでたり喋ってたりするのだが、お構いなしに唄う。割と早い時間の出演で、中年にはそれもありがたい。しーシュはRAZZでは初となる「鍵盤レス」スタイルで。かういふ雑多な席でこれが演れれば怖いものはなからう、とあえて敢行。結果として良い出来となり、来年度はこのスタイルでのライヴも増やして行かん、となった。

その後、なじみのある連中なども出て、しーなさんは先に広島に帰ったが、ワシはけふはもぅそのつもりで来たので、ひとり残って呑む。調べてみたら、ワシが初めてここでソロを演ったのは2008年の2月の事だった。一時期は月イチくらいのペェスで来てたよなぁ。ここも閉まっちゃうんだなぁ・・・・。

今年はホンマに「今回でラスト」といふ事柄に多く遭遇する。色んな事が変わって行く。その大きな流れの中にワシらはゐる。それがちょうどしーシュの10年目、といふのもナニカの縁だらう。ワシらも変わらねばならん。変わって行かう。

ンなこと考へながら独り呑みしてゐると、フとしんどい事に気付き、日付けが変わる少し前にシツレイさせて頂いた。

14日(月)---------------------------------------------------------------

飲み過ぎが気持ち悪くて眠れない上に、夜中に何度もこむら返りが来やがり、ほぼ不眠。ホテルのチェックアウトが11時だったのは助かった。

なんで今回ひとりでホテル泊したかつーと、まぁRAZZで呑みたい、てのが大きいが、けふ向原までレッスンに行くので、一旦帰ってまた遠出する、と云ふ感覚よりは、ツイデにあっちを廻って来る、といふ方が気分的に楽っぽいからだ。ホンマは距離も時間もあんまり変わらんのだがね・・・。

なかんぢで呉から向原へ。まだ気持ち悪いのでメシが喰えず、空腹でレッスン。帰り道くらいでよぅやく落ち着き、コンビニのサンドヰッチ(卵)をしめやかに食す。こむら返りの後は、壱日じゅうズキズキと痛い。くそ〜。

15日(火)---------------------------------------------------------------

ウチの近所にあったスーパーが、もぅ半年以上も「改装中」だったが、その概要がよぅやく完成しつつあるやうだ。まぁ正直ハイソ系のスーパーなので、好んで行く訳ではないのだが、やはり新しいスーパーが近所にできる、と云ふはすこしわくわくする。

もぅあとは商品を入れるだけ、みたいに見受けるが、如何に?。

16日(水)----------------------------------------------------------------

ちょいと縁あって、久しぶりに「小説」を執筆してゐる。昨日くらいから書き始めてゐるのだが、これが久々にワシの脳内「創造野」を刺激し、頭ん中にどんどんストーリィが膨らんで行く。昨日はそれのせいであんまり眠れなんだ。断片のやうなストーリィが次々と夢に現れ、浅い眠りから醒め、またウトついて夢を見て・・のくり返し。

かういふ時の人間の脳って、スゴい事になってるんだらうねぇ。以前、やはり夜中に、依頼されてゐた楽曲の概要が浮かび、そっから朝までかけて組曲を完成させた事がある。もぅ書き上げるしかない、て状況まで脳内のナニかが指令を出すに違いない。けふも日中は執筆に没頭してゐて、気付いたら3時間が過ぎてゐた。これくらい楽器の練習に没頭すりゃ、上手くなってたんだらうがねぇ・・・。

まぁ今ちょうど指やら手首やらを痛めてゐて、あまり楽器を弾き過ぎぬやうにせなならんので、ちょうど良いっちゃちょうど良い。

あ、ちなみに99%発表される可能性のナイ小説です。

17日(木)-----------------------------------------------------------------

例のスーパーが、遂にオープンしなさったよ。

なんと「アドバルーン」が飛んでゐる(笑)。いや〜懐かしいなぁ。てゆーか、今どきアドバルーンですか?といふかんぢ。70年代にはよく見かけたものだ。

あの時代、スーパーとか百貨店とか、さういふ場所は、ある意味庶民の「アイコン」だったのではないか?。働くダンナとしっかり奥さん、餓鬼は男女ひとりづつ、日曜日はこぞってお買い物。♪あ〜ふれ〜る夢〜、ふ〜くら〜む夢〜♪・・・。さういふものが手に届き始めた時代を象徴するのが、アドバルーンだったやうな気がす。嗚呼、高度経済成長時代。

さて、夜は今年最後の椎名&フライデー@オリエンタルホテル。けふもバイオリンベースを使って、ラグヂュアリィなスタンダードなぞを演奏した。やはりかういふシチュエーションでも、このベースの音は評判が良い。多機能性はまったく無く、むしろニュアンス的にはウッドベースに近いかんぢなのだが、なるほどそれは唄ものにはタリピツ、て事なのかもしれん。

弾いた事はないんだが、所謂オリジナル・プレシジョン・ベースがこんなかんぢなのではないか?。とすれば、やはりポール先生とかスティング男爵とかが、それらの楽器を使ってる、て事にも納得す。

ん〜〜〜〜、弾きにくい、といふ事に目を瞑れば、この楽器のポテンシャルは侮れない。本気で使ってみるか・・・?。てゆーか、なんか弾きやすくするテはないのかね?。

18日(金)-----------------------------------------------------------------

イレギュラーのレッスンとか入れてゐて、昼飯を喰ふヒマも無く、広島逓信病院のしーなとシュウ:ロビィコンサートに向かふ。

何度か書いてゐるが、ワシは37歳の時のクリスマスを入院患者として迎えた事があり、その時の侘びしさ、悲しさ、をよく知ってゐるつもり。それ以来、かういふ時期にも病院にゐて、ベッドの上で過ごす他はない人達も居られるのだな、といふ思ひに駆られる。ので、Bobby'sの仲間でもあり、逓信病院の医師でもある進藤センセイに、このロビィコンサートの話しを頂いたときには嬉しかった。

けふは、さういふ・・・この季節を病院内で迎える方々に、しーシュが贈るささやかなクリスマス・プレゼント。昨年に続き、の2回めなので、なんとなく「演り方」も分かったかんぢ。その上で、しーシュの日頃の活動もアッピールできるやうなラインナップで挑んだ。冒頭からカヴァーで始めるなんて、今まではあり得なかったが、最近はかういふ部分にはこだわらなくなった。

全部で壱時間。最終的にはロビィが埋まるくらいの人に見に来て頂き、嬉しいしーシュ。けふもヴァイオリンベースで演り、これがまた弾きにくい事甚だしく、なかなか大変だったが、まぁけふの局面でベースに言及されるとしたら、それ自体が「失敗」の証であり、その点より、唄を誉められる事の方に、何十倍も意味がある。けふの現場はさういふかんぢだった。

しーシュ、今年壱年さまざまな場所でライヴし、それなりの修羅場をくぐって来た。それが、まぁ上手い形に現れてゐる、と思へるここんところ、である。これからも『精進怠らず』である。ホンマに、今年壱年、いろんな所で唄わせて頂きました。でも、来年はもっと沢山の場所で、と願う。


4週目

19日(土)---------------------------------------------------------------

獅子頭のウッドベースで音楽を越境する斉藤徹。彼の新しいプロジェクト「うたをさがしてトリオ」のライヴを福山まで見に行く。昨日広島市内で同公演があり、ホンマはそっちに行ければ楽だったのだが、昨日はワシもライヴにて、けふを選んだ。広島〜福山、電車で約2時間。

会場の福山東教会、が見当たらず焦ったが、なんとか開演には間に合う。会場には舞踏の大槻オサムくんと、かういふ所では必ずお会いするN先生がおり、一緒に最前列に陣取る。OAに地元福山から琴と尺八のデュオ。その後、徹さんのトリオが登場。ウッドベース、ヴァイヲリン、唄、がノーマイク-----完全生音で繰り広げる唄世界。

徹さんが組むプロジェクトは毎回興味深いのだが、今回のトリオの、特にワシが興味を惹かれた部分。それはこのトリオの謳い文句にもあった。

「2011年、福島の地で、私は老人、妊婦、子供ばかりの避難所を訪れ、演奏しました。その時『ここで良い演奏、上手い演奏が、なんになる?。「うた/おどり」こそ「いま/ここで」求められてゐるのだ』と鮮烈に感じました。それから「うた」と「場」をさがす旅が始まったのです」

その口上は、今まさにワシが考へてゐる「唄」と云ふもののあり方に、たいへんシンクロした。実際のトリオの演奏は、ワシが思ってゐた程プリミティヴでもなく、むしろ神話や伝説を題材にした歌曲を3人が自由に解釈/解体してゆく、といふものだった。演奏や唄の素晴らしさは云はずもがな、会場の音響がこれまた凄まじく、3ツの楽器が出す音が、どんどん聴き手をくるみ込んで行く、といったかんぢ。何度も「持ってかれ」さうになった。生音で奏でられる楽器って、やはりスゴいなぁ、と思った。これと同じやうな事が電気ベースで出来ぬものか・・・。

主催者と奇縁があり、「打ち上げにも是非」と云ふて下さったので、参加。徹さんとは喋れんかったが、唄のさとうじゅんこさんに挨拶して、同じやうな事を感じて唄ってゐる、のやうな事をお伝えした。ワシはカプセルに宿を取り、オサムくんと、彼の友人との3人でもぅ壱軒。日付けが変わった頃ひとり帰ったが、オサムくんらは4時まで呑んでたさうな。

20日(日)---------------------------------------------------------------

帰広。まぁ、福山〜広島間なんぞ、「通勤」くらいのかんぢだな(笑)。

けふは来年初頭への動きに向けて「ぱんぱかトリオ」の年内最終リハ。今年は思ひのほかこのトリオが躍進した、といふかんぢ。ワシらもサポート慣れしたし、カワちゃんもワシらがゐる事を想定して唄を作るやうになった。ホンマはこのトリオでは縦ベーとヴァイオリンベースのみ、で演りたいんだが、どーしても「しーシュとぱんぱか」といふライヴ構成になる事が多いので、しーシュで使う楽器でぱんぱか、となってしまふのがジレンマっちゃジレンマ。

いつかぱんぱかで、完全生楽器(その時にはワシはウッドを借りやう)で生音ライヴでもやってみたいね。

その後、ぱんぱかトリオ2015年打ち上げ。かういふ場所でも、隣席のオバチャンらと一気に打ち解けるカワちゃんの社交性には頭が下がる。かういふ人の中から、フと思ひ付きでライヴに来てくれる人が出るかもしれん。ワシに一番足らん部分やな。楽しい宴会だった。

21日(月)---------------------------------------------------------------

しはすはすすむ。

まづWADAバンドで朝リハ。ひょんな事から、毎年始「着物団&しーシュ」で受けてゐた新春ライヴを、今年はWADAバンドで受ける事になり、そのリハ。ホンマは忘年会の口実としてのリハ、のつもりでゐたのだが・・・(笑)。いちをうワシがディレクションし、進行はサトシがサポートす、といふ流れで曲など決める。その後、恒例の昼食会。

ワシはその後、23日のクリスマスライヴで出す「タンドゥリー・チキン」用の鶏肉を買いに業務スーパーへ。まだブロックのやうに固く凍ってゐる4kgのそれを解凍容器に入れたら、今度はバスで「よなかのとうふ」の年内最終リハへ。今年演った曲を総浚えす。これも良いトリオになって来よった。

その後、スタヂヲに篭って執筆に2時間。その後、ギターのレッスンをひとり演って、電車で帰る。4kgの鶏肉はえぇ感じに解凍が進んでおった。明日壱日かけてこれをソースに漬け込むのだ。

22日(火)---------------------------------------------------------------

朝飯をフツーに済ませ、鶏肉の漬け込み作業。一口大に切った鶏腿肉に、コリアンダ、ガラムマサラ、しを、こせう、酢、スリ大蒜、スリ生姜、を適量(適当)振り込み、ヨーグルトひと箱を投入し、両手でぐっちゃんぐっちゃんかき混ぜる。全体にソースが行き渡ったらフタをして、明日の朝まで放置。

そいからチャリでスタヂヲに行き、年末と年始用のソロ「吟」のラインナップを選考&お浚い。年末(12月27日)は全曲英語、年始(1月1日)は全曲昭和歌謡で行く事にす。

帰宅し、今度は車で、今年最後の楽器店レッスンへ。その後、今年最後のFM収録。ひとつひとつ、事が片付いて行く。しはすはすすむ。年末の始まり。

23日(水/祝)----------------------------------------------------------------

しーなとシュウ・プリゼンツ「タタミ屋PICOのクリスマス」

フと記録を辿ってみたが、なんとワシら2007年には、既にこの時期の「手料理&ライヴ」といふ企画を始めてゐたやうだ。年によってクリスマスに演ったり、もっと遅い時期に忘年会ライヴ、として演ったり色々だが、とにかくそれから毎年、某かのライヴを打ち、手料理を振舞ってゐる。07年つーとユニット結成から2年しか経ってない。そんな時から、かういふ試みを始めてゐたのだねぇ。はァ〜〜!。

そもそもpercussion house PICOと共にあったこの企画、PICOがクローズした去年は河岸を換え、お馴染みフライングキッズで演ったが、今年は「水木畳店(ツンちゃんの本家)」を『タタミ屋PICO』として、半ば強引にクリスマス・ライヴを敢行。早くから名乗り出てくれた協力者たちと共に、築63年の畳屋さんをライヴ会場にコーディネート。まァ、つってもツンちゃんの「自宅」なので、飾り付けはほどほどに(笑)。

オープン前からお客さんが続々。セルフサービス式で、手料理の数々を味わって頂く。どんどん出て行く料理群。追加の料理もぢゃんぢゃん出る。そしてライヴスタート。しーなさんはトナカイの角、ワシはサンタの帽子をかぶって、いざ。

なんつーか、近年で一番リラックスして、ストレスレスで唄い演れたライヴ、と云ふかんぢだった。地元広島での、年内ラストを飾るにふさはしい、素晴らしいライヴだったと思ふ。満場のお客さん、本当にありがとうざいました。

ワシら、誰に云はれた訳でもなく、また、さしたる野望を抱くでもなく、ただ、自分らの音楽を好いてくれる人を探して、このやうに集い、旅に出て、年間100を超える現場に立ち続け、それを途切れさせる事なく、10年走り続けた。時折、自分らでも「よくやってるなぁ」と思ふ事がある。それがこのやうに、地味にではあっても理解され、支持を得て、さらに続けてゆける喜びに、感謝の念を禁じ得ない。

そして、さらに続けやう、と思ふ。

音楽の意味や、活動の理念、自分達の存在理由、すべての答えは、果てしなく続く旅とライヴの彼方にしかない。友よ、そこで会おう。

24日(木)-----------------------------------------------------------------

WADAバンド年内最終リハ。

けふは年始企画において、ライヴ内でワシが唄うたいとしてメインに立つ部分があり、それのリハ。唄うは、まぁいつもワシが「吟」で演ってるやうな昭和歌謡とか。

こ・れ・が・ま〜〜〜〜、気持ち良いのなんの。まァワシを除くメンバーはそれぞれ広島の精鋭であり、唄ものバック演らせればピカ壱のつはもの揃いなのだから、当然っちゃ当然なのだが、この面子をバックに唄うって、こんなに気持ち良いんだねぇ。しーシュもよなかのとうふも気持ち良く唄ってはゐるが、やはりトリオだったりデュオだったりすると、唄以外にも身を入れねばならん部分が大きい。これだけの面子が、これだけの数揃ったら、これだけ唄に集中できるんだねぇ。これは癖になりさうです(笑)。

その後、恒例の昼食会。これで年内のリハは終わりだ。良いお年を〜と云って解散。その後、ベースのレッスンをひとり。

夜は家で鶏足(これって「?」と思ふ人が多いやうだが、広島では骨付きの鶏腿肉をかう呼んでおるのです。むしろ他所の地域でかう呼ばぬ事に驚いた)を焼く。毎年、七面鳥のヒナの丸を各自壱羽づつ焼いてゐたが、今年はシムプルに「鶏足」。ワインとチーズとフランスパン。正しい家庭のクリスマス・イヴ。

25日(金)-----------------------------------------------------------------

こないだのクリスマスライヴの片付けをしに、タタミ屋PICOへ行く。

そのライヴ(クリスマス@畳屋)の記述や映像が、続々とSNSやらにアップされてゐて、嗚呼ホンマに喜ばれてゐたのだな、と。「久しぶりに最後まで集中して見れたライヴだったし、今もまたヴィデヲで見てゐる」といふ意見もあり、嬉しい。インパクトと持続力。それこそが我らの本願。

なんか、しーシュでなにをやれば良いか、が分かって来たやうな気がする。昨日会った友人に『よぅライヴをしよるが、それは伝えたい事があるから、なのか?』と訊かれ、さうではない、と答え、『いま此処に、唄いたい唄があり、聴きたい人がゐてくれるからだ』と答えた。さう、多分、伝えたい事など無いのだ。けふより明日、明日より先に、もっと自分の唄いたい歌、奏でたい音があるから、ワシらは進むのだらうと思ふ。

夜は今年最後のレッスン。ひとつひとつ、日々が片付く。空には巨大な満月。しはすはすすむ。


年の瀬

26日(土)---------------------------------------------------------------

だいぶ「年末感」が出て来よった。

日中は女房と日常消耗品の買い出し。電灯とか歯ブラシとか石鹸とか、さういふの・・・。必需品以外にも、ツイなんか今特に要らんもの・・・ファイルとか車の消臭剤とか靴の中敷とか、もカゴに入れてしまひ、結果的に壱万円以上買ってしまった。まぁかういふ時くらいえぇか・・・。

夜はBobby'sの忘年会。男ばっかり・・・といふかオッサンばかりの4人で鍋を突つき、酒を呑む。ワシは割と家が近いので、みんな帰った後もひとり残ってボビーさんと呑んだ。ボビーさん、どぅやらうどん屋の後継者を探してゐる様子。けふはうどん出汁のレシピをワシに見せてくれた。『ここに置いとくけェ、ワシが死んだら頼むで』と云はれる。いやいや(笑)まだ死なれちゃ困りまっせボビーさん。

けっこう酔っ払って、帰り途中にある神社に立ち寄ったやうな気がす。誰もいない境内に灯籠が灯っており、あ〜綺麗だな、と思った記憶が・・・。

27日(日)---------------------------------------------------------------

家の大掃除。たぁ云っても、『四角い部屋を丸く掃く』といふヤツで、細かい所は見て見ぬフリ。西側の窓をキレーに磨いたので、部屋が明るくなった気がする。

夜は今年最後の孤独な営業「吟」。地元広島での唄い納めだ。けふは全曲洋楽で(訳詞はあったが)演る、と決めてゐて、そのやうに。かういふ日に限って外人のお客さんが多い。まぁ、もぅ気にはせんがネ。しかしまァレパートリィも増えたもんだ。けふはそして、位置の関係でループマシンが使えず、純粋な「弾き語り」として演らざるを得なんだ。ギターもまだまだ練習せな、ね。

今年壱年も、ワシらのステージを一度も欠かさず見て下さった常連Hさん御夫妻。今年もありがとうございました。フロアマネージャーやバーテンさん、駐車場のガードマンにも年末の挨拶。良いお年を、と別れたが、たった5日後、また此所で唄うのだ。よぅそろ。来年も唄うよ。

28日(月)---------------------------------------------------------------

12月で唯一、リハも本番も、宴会も移動もない壱日。

女房は今年最後のお勤めに。ワシは明日から旅の身で、帰って来るのは大晦日の夜更け。「しはす感」を味わうにはけふしかなからう、と、天気が良いのをいい事に、雪駄で町内を散歩す。スーパーの慌ただしさや、『年内◎日まで』と書かれた飲食店や理髪店など、良い。ヒマな子供らはそこかしこで遊び回ってゐる。朋友ゴスカルが引っ越して行った後の家は、まだ次の住人が入ってない様子。

フとそんな気になり、ケータイの中に溜まってゐる新曲のアイディアを掘り出し、曲を完成させてみる。1時間くらいで新曲完成。「びしゃもん台」以降、・・・てゆーか今年は「びしゃもん台」壱曲しか書けんかった、と思ってゐたが、年の瀬にもぅ壱曲できた訳だ。アイディアだけなら2〜3曲分あり、ようはそれをキチンとまとめる時間がなかった、といふ事で、まぁ、今年は色々と忙しすぎたのだ。

夜は仕事納めをして来た女房と、まぁ2015年を偲んでチゲ鍋で一献。よぅ鍋を喰ふ年である。

29日(火)年末遠征:神戸西宮RJ&BMEs---------------------------------------------------------------

しーシュ恒例年末遠征:18切符の旅。神戸西宮は「街の唄」への4回めの参加。

なんでも今年で最終回らしく、「寂しぅなるねぇ」とか云ひつつ、もはや行き馴れた西宮の街を通り抜け、会場のRJ&BMEsへ。阪神大震災の仮設店舗から始まった、といふこの企画に、ひょんな事から混ぜてもらふやうになり、ここで拡がった縁も多く、我らにとっても重要なイベントである。今回は我ら以外は全員ピンの唄うたいだった。当然、バックに駆り出されるしーシュ。本望である。

しーシュの出し物としては、けふは割と毛色を変えたつもり。ループの使用をやめ、どっちかてーとジャズィに攻めてみました(どこが?とも云はれさうだが)。来年は、さう云った方面へのアプローチも視野に入れつつ。お客さんは多くなかったのだけど、「始めて聴くタイプの音楽だ」と評価頂き、CDはけっこう売れる。んん、なるほど。攻め方は間違ってなかったな。

割とオンタイムで進み、トリで総括の御大徳田建翁からシメのスピーチ。なんと「僕が死ぬまで続けます」と最終回撤回宣言(笑)。最高だ。来年も此所に来れるらしい。聞けば、今までに何度も「今回でラスト」といふ局面はあったらしく、その時もやはりそこに集った人の間から、自然に「もったいないから続けろ」のやうな動きがあり、今に至ってゐるさうな。

そこにしーシュで含まれてゐる事を、誇りに思ふ。

30日(水)年末遠征:京都モダンタイムス----------------------------------------------------------------

昨日の西宮とセットになってゐる、年末の京都へ。

大阪は関目「我らの家」のMIYOGONと合流し昼飯でも、と云ふ流れになってゐたので、四条大橋のたもとで待ち合わせ。したら、滋賀の笛吹き怪人山田さとしから連絡があり、自分も京都にライヴに来とる旨を聞く。ならば、と合流し、ミヨゴン+しーシュ+さとしで昼間ッから寿司&熱燗。ダメ中年達である。

聞けばさとしはけふ、ベース二人に笛ひとり、といふイベントを演るさうで、その2ベーシストはいづれもワシも友人。後で挨拶に顔出す事を約束し、我らは木屋町モダンタイムスへ。その路上で富安秀行さんとバッタリ。フットワーク軽くあちこち動くもの達が、年末の京都でてんでに遭遇す・・・・。しみぢみ、かういふのって良いなぁ、良い流れに含まれてゐるなぁ、と思ふ。

けふは出演者が色々くんずほぐれつの交流を繰り広げる大イベント。ここも「今年で最後」といふふれこみであり、会場は早いうちからパンパンの満員。ワシらはまづトップバッターのMIYOGONに「コーラス部隊」として出演。その後、申し訳ないがちょいとシツレイして、さとしの会場に顔出しに行く。札幌の戸谷肇氏、京都の木佐貫洋平氏、の両ベーシストに面会。残念ながら本番を見る事は叶わなんだが、両氏にも挨拶できて良かった。この日、木佐貫くんに会えた事が、けふその後しーシュのライヴで、珍しくワシがやたらとスラップを演った、事にも繋がった(木佐貫くんはスラッパー。『世界最速』を自称する)のかな?(笑)。

さてモダンタイムスに戻って、しーシュの本番。けふはループマシン全開で「勝負曲パタン」。ラスト曲羊年を偲んで「ひつぢは意外と気が荒い」では、場内大ダンス大会と化し(笑)、たいへんしーシュらしくない盛り上がりで、今年の演奏をシメた。お客さんも大喜びで、けふもたいそう良くCDが売れたやうだ。

後は、富安秀行、徳田建、両御大のステージをバックで務め、フィナーレのバックも担当。今年も良い仕事が出来たね。としーなさんと乾杯。

その後は恒例、中村コーイチ&あらいなおこ夫妻の家に大挙して押しかけ、鍋を突つきながらの年末宴会。これまた御大中野督夫氏にも『おメェら、息が合い過ぎだョ』と荒っぽい賛辞を頂き、嗚呼しーシュ10年目にしてよぅやくここまで来れたか、と。しかし、督夫さんのセンチメンタル・シティロマンスなぞ、結成43年め。いまだ現役、日本最古参のロックバンド。しーシュ10周年なんぞ、まだまだヒヨっこもえぇところなのだ。

31日(木)-----------------------------------------------------------------

大晦日の朝。コーチャン家に泊まった11人のミュージシャン達が、晦日の京都を昼飯所さがしてウロつき廻る図(笑)。

ワシらは昼前に辞去。「良いお年を」と言葉を交わし、皆それぞれの場所に散って行く。ワシらも、還る。18切符で広島まで6時間。今年最後の「鉄分補給」だ。相生から岡山までが劇混みで、しかし4両連結のトイレつき車輌まで動く事も叶わず、蓄積して行く尿意と戦いながら、の旅であったが、なんとか人間の尊厳を保持。

岡山から先(時間にして18時以降)は、もぅ乗り降りする人も少なく、ガラガラの電車が夜を走るのみ。今年もいろいろ旅したなぁ、と思ひつつ、しかしワシは明日が初唄い。1月6日からはもぅ次の旅が始まるのだ。よぅそろ。

今年は個人的には141本の現場に立った。うちしーシュが昨日の京都でちょうど100本。来年はしーシュで116本。個人で152本くらい目指したいな。

数多けりゃ良い、てもんではない事は重々承知。それでも、数こなす先にしか見えないものがあるなら、それを見たい。

ワシが目指すものは、そこにしかないのだ。


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