2月


1日(月)しーシュ関東遠征:学芸大前アピア40-----------------------------------------------------------------

旅の間に月が変わる。

カワちゃんはけふでツアー終了。一足先に広島に帰り、ワシらは残ってしーシュの旅を続ける。お別れの前に、ロケデリのコーちゃんも交えて、お疲れさまの昼飯会。

ワシらはお馴染み、お江戸の「妹分」高満洋子のトリオと2マンでアピア。高満洋子トリオを云へばドラムスに上原ユカリ裕、ベースに山内薫、といふスゴ過ぎる面子。けふはメンバー組み替え企画もふんだんにあり、なんとワシ+カオル+ユカリ、といふトリオでジャコを演る、といふ企画まであるのだ!。昨日ロケデリで酒を控えめにした理由は、他ならぬこれの為(笑)。

リハを進めながらも、ま〜ぁ・・・ベースマガジンでその特集が組まれた記事などを読んでゐた山内さんと、日本のロック、ポップスの屋台骨を作って来た重鎮のユカリさんと一緒に演ってゐる、といふ事に感慨ひとしを。まさに『♪カーチャン〜見てくれ〜この姿〜♪』である。お二人とも超ベテランとは云へ、拓かれたオーラの優しい人だし、もぅ既にだいぶ顔見知りなので、気後れせずに演れて本当に楽しかった。

けふのしーシュは、しーなさんが久々にグランドピヤノで大爆発。ノリに乗った演奏で走り抜けたが、おそらく全曲えらいテンポが早かったんではないか?と(苦笑)。高満洋子の唄世界とは、また違ったしーシュの世界観をしっかり出せて、よっしゃ!といふライヴが出来た。

そして後半のコラボコーナーはもぅ、何故これを大ホールで演れないか?!、といふぐらい素晴らしい出来で、いゃホンマにけふのライヴが見れた人は、12年くらい寿命が伸びたのではないか?。何より、演ってる本人らの楽しさと勝負度合いが、演りながらどんどん深化して行くのが分かった程。マジで、けふと同じコラボを国技館で1000人集めて演ってもオカシクない、いやむしろさうでないのがオカシイ、そんなライヴだった。

毎回思ふが、なにがスゴいって、これをバックに付けて飄々と唄う高満洋子の世界観の強さだ。ワシらから見ると、可愛い親戚の娘のやうな洋子ちゃんだが、音楽家、唄うたいとしてのポテンシャルには、ホンマに頭が下がる。すごい娘だ。

打ち上げはその洋子手作りの品の数々(彼女はたいへん料理上手でもある)で、ワインが進む進む・・・。

2日(火)しーシュ関東遠征:下北沢ブルームーン---------------------------------------------------------------

さて、ツアーも千秋楽。

けふはワシらのお江戸のホーム、ブルームーン。けふは以前からの音仲間、鍵盤のちなみんが「Jaitoとちなみん」といふデュオで対バンを受けてくれ、早くからソールドアウト、といふ事だった。本当にありがたい。この「ジャイちな」、ウチらの大ファンを公言してくれており、ライヴにも何度も来てくれてゐる。家族を含めたファンでもあるさうで、ちなみんの子供らはしーシュの曲で踊るんださうな(笑)。

そのJaitoとちなみん。本人らが「普通のポップス」とか云ってるので、どんなんかな?と思ってゐたが、これがポエトリー・リーディングなども含めた、たいへんシアトリカルなユニットで、すごく面白い。これベース弾きたいなぁ(笑)。ホンマこれに柔軟性のあるベースかパーカスでも入れば、大層オモロいバンドになるんぢゃないか?。楽しみなデュオである。

後続のウチは、もぅ演り馴れたブルームーンにて、なんの心配もストレスもなく、延び延びと唄い弾けた。けふは「あじさい(お江戸にファンが多い)」を封印し、かわりに「びしゃもん台」と「遠い街」でそれぞれの故郷を唄ってみた。その後のジャイちなとのコラボコーナーも含め、最後までホンマに良いライヴだった。

関東最終日にブルームーンを選んだのは間違いではなかったな、と思ふ。店主平石正樹さんには『あまりプレッシャーをかけるな』と苦笑いされるが、ホンマに店が続く限りお江戸は此所を拠点にしたい、と思ふし、無くなってもらっては困る(笑)お店である。

ブルームーン名物、終演後の打ち上げも終わりを知らず。ワシは眠さに負けて2時に帰ったが、正樹さんと常連さん達は、朝まで呑んでたさうな。

3日(水)しーシュ関東遠征:番外編「インジェラを食べやう」----------------------------------------------------------------

けふは帰る日だが、その前にミッション。そはエチオピアの国民食「インジェラ」を喰ふ、といふもの。

これはワシが以前、ナニカのドキュメンタリィで目にしたのだが、テフといふ穀類を発酵させて焼いたパンのやうなもので、エチオピアの主食にあたる。日本におけるご飯、伊太利におけるパスタ、印度におけるチャパティやナーン、のやうなものだな。大層クセのある食べ物らしく、一部では「見た目は雑巾、味はゲ○」などと失礼な事も囁かれてゐる。

いつかは食べたや、と思ひつつも、流石にエチオピアに行く予定も術もなく、しかし『世界中の国の料理が食える唯一の街』と云はれるお江戸になら・・・と思ひ、探したところ、ありました中目黒エチオピア料理「クィーン・シーバ」。このツアー中に行く計画を立て、せっかくならば、と好事家を募集。「しーシュと一緒にエチオピアのインジェラを食べやう」との呼びかけに集まったのは、高満洋子、と柏のコラ奏者にしてジャズドラマー坂入康弘氏。

お店の開店と同時に入店。お店の人のお薦めやら聞きながら、初めて食するエチオピア料理の数々を味わう。だてうのカバブも野菜のサブジも美味しい。そして遂にくだんのインジェラが・・・。灰色のデカいクレープのやうなその表面には、醗酵による気泡がぶつぶつと浮かび上がり、確かに見た目のインパクトは仲々だ。しかし薫りは強醗酵のパンにも似てゐて、付け添えのステュウの香辛料とも相まって、美味さうな・・・。

実際、たいへん美味しいものだった。

「酸味が強い」と云はれるほど酸っぱいとも思はなんだし、ステュウを巻き込んで喰ふとまろやかさが際立ち、いくらでも入るかんぢがした。主食とは云へ、アフリカでもエチオピアでしか食べられてないらしく、現地の味とそれほど変えてもいない、とママさんが仰る。テフを醗酵させるのに3週間もかけるさうで、食べたい、と思ってスグ作れるものでもないのださうな。美味い美味いとガッ付く我らに、そんなに喜んでくれたら嬉しいわ〜、とママさん。

けふ集まった4人は、なんかオモロく、次回またこの4人でナニカに挑戦しやう、と盛り上がる。さしあたっては世界で一番クサい缶詰め、と云はれるシュルストレミングなぞ!、と云ふワシに『弐回目でそれは早い!』との声も楽しい、お江戸最後の夜。

4日(木)-----------------------------------------------------------------

ゆんべ最終の新幹線で広島に帰って来た。流石の旅疲れか、珍しく9時過ぎまで寝こけてゐた。

さァ、けふから早速日常。まづは向原までレッスンに。その後一旦帰宅し、ギターを背負ってチャリで出直し。ジモのレッスンへ。けふはベースのレッスン生が居ない日でもあったな。少しばかりギターと、ハモニカを練習。帰宅し、晩飯の仕度。

フと、案外ヒトは「異質を求むる」ものかもしれない、と思ひ付く。

ワシは日頃、破天荒なプレイをしてゐるらしひが、レッスン内容は到って地味な、緻密な基礎練習を旨としてゐる。1時間以上かけるリズムトレーニングを主眼とし、まぁ実際それらが重宝された時期もあった。だが、もぅさういふ事はエェのではないか?、と。

いっその事『ワシのやうに弾きたいヒトに、ワシの弾き方を教えますよ』みたいな方が、案外売りになるのではないか、と。

テ事で、さういふレッスンもしますよ、と看板に掲げてみる事にす。スタヂヲ・ジモ梶山シュウ音楽教室、新規生徒さん絶賛募集ちぅ。

5日(金)-----------------------------------------------------------------

昨日思った事を実動に移す為、自分の演ってる事を今一度アナライズしてみる。

一体ワシはいつ頃から、こんなプレイをするやうになったのか?。R&Bバンド時代はひたすらにパタンを弾くヒトだったし、ジャズロックの時代も、ソロは多くあれどバックに廻れば比較的オーソドックスなプレイをしてゐたやうに思ふ。やはりソロ〜しーシュ、の流れの中で、今のスタイルに到ったのだらうか。

ただ、最近嬉しい事に、ワシの演奏を聴いた人から、よぅやくポール・マッカートニィやジャック・ブルース、など「唄のベース弾き」の名前が比較例に挙げられるやうになった。一時期はふた言めには「ジャコ」「パーシー(ジョーンズ)」「ミック・カーン」で、フレットレスを弾いてゐる、といふ事だけでその名前を比較例に挙げられ、辟易した事もあった。

ワシは自分をジャズ型の演奏者だと思った事は一度もなく、音楽の芸術性云々にも、今は全く興味はない。自分の嗜好する音楽に対して、最短で最善のアプローチすると云ふだけの話しだ。フレットレスを弾くのも、単に「弾きやすいから」に他ならない。

テ事で、さういふレッスンも(?)しますよ、と看板に掲げてみる事にす。スタヂヲ・ジモ梶山シュウ音楽教室、新規生徒さん絶賛募集ちぅ。


2週目

6日(土)-----------------------------------------------------------------

久しぶり!、といふかんぢでしーシュのリハ。

「リハ」といふ形で演ったのは1月4日以来で、その時「新年初リハで新曲!」と持ってったワシの曲も、ワシ自身が忘却の彼方。だが、思ひ出しながら演ってるうちに、なんかえぇ曲に思へて来た。しーなさんはとみにお気に入りのやうで、『(譜面)見ながらでも良いんで早速ライヴで演らう』と云ふ。

あと、一昨年の後半に作り、去年ついにお披露目の機会がなかった新古品のやうな曲もリハ。これがなかなかエェ。やはり物事には「寝かす」といふ作業も要るやうだね。

7日(日)-----------------------------------------------------------------

年始ライヴ以来のWADAバンド会合。ホテルビュッフェの食事会である。

まぁ年末年始お疲れ様でしたね、と云ふのと、次の展望と、そんな話し。活動の休止も考へられたさうだが、まぁ演り続けませうよ、と。長く、のんびり続けてゐれば、また良い事もありますよ。ギタリストとしてブラッシュアップにもなるこのバンド、是非ともまた楽しい流れに乗れたら良いな、と切に願う。

8日(月)-----------------------------------------------------------------

昼イチにイレギュラーで五日市でレッスン。

ひとりレッスンのその後は何も予定がなく、まぁ近い所まで来てるし、て事で親父の墓を参る。手ぶらで。線香だけ上げ、墓石の前にしばし座り込み、ぢっとしてゐる。おかしな云ひ方かもしれぬが、墓所と云ふはなにか気持ちが落ち着く。景色も良いし、静かだ。また来よう。

「親父の墓を参った云々」とつぃったーに書いたところ、夜半にオフクロから連絡が入り、「次回は誘え」と(笑)。

日本のスタヂヲ系ミュージシャンの筆頭、ギタリストの松原正樹さんの訃報が入る。以前、「地下室の会」のライヴにて、同じステージに立たせて頂いた事がある。その流麗で隙の無い圧倒的なギターと裏腹に、驚くほど気さくで穏やかなお人柄だったのを憶えてゐる。あの時一度だけ会ったワシの事など、憶えてはおられなかったらうが、心より御冥福をお祈りします。

9日(火)---------------------------------------------------------------

けふも五日市でレッスン。イレギュラーではないのだが、生徒はひとり。

その後、FMの収録に行くが、その道すがら、4/10「Pops in opposition vol 3」のフライヤを会場の「音cafe luck」に届けにゆくも定休日。扉のスキマから店内にほり込んでおく。

恒例のしーシュ企画会議にて、来週頭に迎える富安秀行さんに、しーシュから、といふ事で、なにか特別な事が演れぬものか?といふしーなさんの提案を受け、おっしゃ、と意気に感ず。かういふ「尻に火がついた」状況になった時のワシの仕事の早さは実証済みで、けふもその日寝るまでの間に検案を達成。いつもこぅだと、ワシももっと成功しただらうに・・・。

10日(水)----------------------------------------------------------------

けふも五日市でレッスン。しかもけふも生徒はひとり。なんとま〜効率の悪い・・・。

同じ会場で教えてゐるドラム科のKさんと話し、来期の専門学校の授業が正式にナイ、といふ話しと、ここの楽器店の今年の発表会もナイ、といふ話しを聞く。ありゃりゃぁ〜、どこもかしこも不景気による規模縮小。まぁね、「こんな時こそ事業拡大!」なんて云へる人ぁ、もともと資本がしっかりある人なのだらう。働く先を縮小されて納得できる訳ではないが、誰に文句を云ふてもはじまらん。

紳士は粛々と身の振り方を考へるのみ。しかしまー、どーしやうかね?。

11日(木/祝)-----------------------------------------------------------------

木曜日の祝日、てのも珍しい、てゆーか久しぶりな気がす。まぁ女房が休みで家にゐる、と云ふ事以外、ワシの日頃とナンも変わらぬが・・・。

スタヂヲに篭ってギターの練習を2時間程度。その後、しーなさんが今年から始めたソロ企画「月刊・椎名」を見に行く。祝日と云ふ事もあってか、広くない会場が満パン。2回めにして認知度が上がったか?。

しーなさん、ソロとしての知名度とスキルをもっと鍛えたい、といふ思ひからこの企画を始めたさうなんだが、もともとしーシュの対外的な知名度といふ点では、むしろしーなさん個人の力に負う処が多かった訳で、その人が自分で企画してソロを演る、とならば、この集客もさもありなん。老若男女まんべんなく集まったお客さんの層も、さすがは椎名まさ子、といふかんぢだ。内容的にも、前回にも増して色々と趣向を凝らした、とても良いライヴだった。

会場には、当然しーシュのファンの方も沢山来られてゐて、皆さんワシに『けふは唄わないの?』『けふは出ないの?』とお訊きになられる(笑)。いゃいゃタマにはお客もアリでしょ?とか云ってたが、まぁ結局「客席から参加者募集」のコーナーでは唄ってしもぅた。

んーむ、相方がこんな充実した企画を演ってるのを見ると、嬉しい反面、焦りも生じる。ワシも頑張らねば。

12日(金)-----------------------------------------------------------------

今年お初の「よなかのとうふ」リハ。

このトリオも、3月によぅやく単独ライヴをする事になり、それに向けて。オリジナルは増えてないが、味のあるカヴァーで代用す。折角なのでエノちゃんも唄えば?と諭す(パイグが唄う曲はある)。したらエノちゃん『チャゲあすが唄いたい』と云ふ。ならばワシがリアルタイムで聴いてゐた、所謂「フォーク時代のチャゲあす」に良い曲があるから、とネットで調べてみるに、なんと現在配信停止ださうな。

オイタ(飛鳥涼氏による覚醒剤取締法違反)をしたツケがこんな形で出るんだねぇ・・。楽曲には罪がないのに、とは云へ、これは仕方ないか。

けふもレッスンはひとり。で、気付いたら今週は、全部「壱日にひとり」づつのレッスンだった。ライヴもなかったし、なんとふざけた暮らしだらうか。

さういや朝、親戚の訃報が入ったので、明日は葬式に出る事になる。


3週目

13日(土)-----------------------------------------------------------------

叔父貴・・・親父の兄貴にあたる親戚が亡くなったので、葬儀に参列。前にもどっかで書いたが、ウチは両親どちらの血族も長命の家系で、親父も癌で逝ったとは云へ84歳、ワシのバーちゃんも92歳、今回亡くなった叔父貴は94歳。しかも死因は「老衰」。病気にさえならねばだいたい皆そこら辺まで生きる、といふ家系の典型的な叔父貴だった、といふ訳だ。

だから葬式とは云へ、皆ぢつにあっけらかんとしてゐて、笑い声すら起こってゐる。出棺する時ですら、誰もが笑顔で「お疲れさん」と声をかけて行く。なんと素晴らしい死に様だらうか。しかしまぁこれで親父の兄弟は全員が鬼籍に入った。向こうで再会して酒でも呑んでるだらう、と皆が笑う。さうあってほしい。

夜はオリエンタルホテル・孤独な営業「吟」。けふは直前リハ→会場での音響チェック、にしっかり時間を取れたので、たいへん良い仕事に没頭できた。友人知人も複数見に来てくれており、とても演り易く、気持ち良く唄えたオリエンタルであった。叔父貴も応援してくれたのだらう。

14日(日)しーシュ「唄声一座」:神辺ハイダウェイ-----------------------------------------------------------------

年始のツアーを一緒に廻った我らが「唄声一座」の座長、富安秀行さんの西への旅の受け口として、けふからしーシュで二日間お供する。此所数年で急速に親密な関係となった、神辺はハイダウェイ。

が、富安さん、なにやら数日前から体調を崩しており、なんと「肺炎」と診断されてゐるさうな。なんでも今まで大病を患ったことがないさうで、病気の事があまり良く分かってない様子(笑)。しかし、ワシらが一目見て『病人だ』と分かるやうな顔色で、浅い呼吸しか出来ず、咳も止まらぬ、と云ふ。御本人も、投薬は続けてゐるものの、これがいつどのやうに収束して行くのか見当もつかず、正直参ってゐる、とか。

そこを3パート・ハーモニィでカヴァーすべく、頑張るしーシュ。ステージに立てば咳も出ないし、イキオイで演ってしまえるのださう。まぁ本当はそれがイカンのだらうけど・・。しかしまぁ「旅の唄うたい」が旅を止める、といふのもかなりの決断が要る訳で・・・。

けふはしーシュ、富安秀行、唄声一座、といふ3枚看板の形で演り切った。富安さんのニューアルバムからは勿論、しーシュの「Dance」や「ぎやまん」にも富安さんに入ってもらひ、ますます冴え渡る3声コーラス。「この3人で是非ウチに」といふ声も多数頂いてゐるさうで、そらぁ是非実現させませう!、といふ気概で。

ハイダウェイ特有の、値踏みするかのやうに(笑)ぢっくりと聞き入るお客さんも健在。良い神辺の夜だった。

その夜、ハイダウェイマスター「トクさん」のお宅で歓談。トクさんの語った『落ち込んだりふさぎ込んだりするからこそ、アガった時が素晴らしいんぢゃないか。病気だって怪我だって、そん時はネガティヴになって良いんだよ。』といふ台詞は、これまで聞いたこの手のコメントの中でもっともポジティヴなものだった。

15日(月)しーシュ「唄声一座・居酒屋椎修」:広島フライングキッズ-----------------------------------------------------------------

けふは我らの地元に富安さんを迎える。

ちょうどこの2月から、居酒屋椎修が5年目に突入。富安さんはもともとワシらが手料理でお客さんをもてなす、といふ事を高く評価してくれており、それもあってけふは居酒屋椎修・特別版、とさせて頂いた。ので、ワシらはまづ、神辺からそれぞれの家に帰って、料理の仕込み(笑)。出来上がった料理を手に、フライングキッズで再集結。

早いうちからお客さんもいっぱい集まり、料理もよく出る。約1時間で準備してゐた小鉢料理のほとんどが「完売」。見届けて、まづしーシュからステージを始める。

けふは唄声一座、としてのニッチとは別に、居酒屋5年目、といふ事にも主眼を置き、新曲や新古曲を中心にお届けした。まる2年寝かせた事になる、しーシュ異例のAOR「ナハト」もお披露目。富安さんにしーシュから贈った「ワンダフル・ワールド」の替え歌は、あまりウケなんだ。狙い過ぎたか・・・。

富安さんのソロに続き、唄声一座でも。昨日よりさらに熟れて良いかんぢ。北川涼さんのギターのパートをベースで受け持ったり、実験的な事もいちをう全部成功。これで唄声一座としても、何処にでも営業に出れるぞ!と。

今夜も良いライヴだった。

しかし、富安さんの体調は「最悪」に近いやうで、明日はしーなさんの故郷 宇部といふ事(ワシらはお供せず)もあり、しーなさん御墨付きの病院にかかる事をお勧めし、けふは早めに宿に引き上げて頂いた。営業もツアーも、健康な肉体あってこそ。養生してくださいね座長。今回もありがとうざいました。

16日(火)---------------------------------------------------------------

このところ、井上荒野(いのうえ あれの)といふ女流作家の本をよく読んでゐる。

ワシはこれまで、特定の女流作家をフォローした事はなく(漫画は別ね)、お叱りを覚悟で申し上げるなら、むしろ『女流作家の作品はダメ』だとすら思ってゐた。これまで多くの本を読んで来たが、ウチに女流作家の著書があった事は、ほぼない。この井上荒野氏の作品は、初めてそのハードルを越えた。知ったのは去年の暮れ頃なのだが、割と立続けに購入しては読みあさってゐる。

物語性はそれほどなく、やはり登場人物の詳細な描写、がキモと云ふ点では「ハードボイルド」と云へないでもない。だがその登場人物も魅力的とは云ひ難く、利己主義で卑屈な人物が多く描かれてゐる。だが不思議とその世界に引き込まれ、先の展開を期待し、割とあっさり、それが破られる。ストーリィの展開がないまま、スパっと物語が終わる。短編がとくに面白い。

これから思へば、やはり昨今世間で人気のある作家の作品には、文章の技巧への依存、が目立つ気がする。伊坂光太郎とか重松清など、確かにオモロいし、ぐぃぐぃ読ませる文章の力量は、大したもんだと思ふ反面、その技巧を「あざとい」とまで感じてしまふのだ。まぁさういふ「あざとさ」を感じさせない「あざとさ」が井上荒野にある、のかもしれんのだが・・・。

17日(水)----------------------------------------------------------------

富安秀行情報。

なんと富安さん、宇部の病院で「心不全」と診断されてしまったさうな。医師に『あんた、このままでは死ぬよ』とまで云はれ、即入院の運びとなった。ワシらはすぐに「弟分」華麗衆の小田よぅねんに連絡を取り、詳しい情報などを招集してもらった。

まぁ循環器系の病気は、けふあすにヤバい、といふモノではない、と云ふのが不幸中の幸いで、長期に渡る看過と療養が必要になるだらう。どのみち、これから先の九州ツアーは断念せざるを得ないやうで、富安さんさぞや無念だらう。だがまぁ、ホンマに今で良かった。そしてよぅねんのゐる宇部で良かった。そのよぅねん、「宇部組でしっかりサポート&ケアし、逐一情報を入れます。お任せあれ」と心強い一報。侠気溢れる彼らの事だ。託しておいて間違いはないだらう。ホンマに心強い。

にしても災難な富安さん。

しかし、60を越えて唄の旅を続ける、と云ふ事の、綺麗ごとでは語れない現実を目の当たりにした気もする。それなりの覚悟は要るもの、と思ってはゐたが、覚悟だけではどぅにもならぬ事もあるのだな。「元気に」唄旅をする、といふ為に必要なこと。それを考へるのは、今からでも決して早くはない。

18日(木)-----------------------------------------------------------------

「よなかのとうふ」リハ。

いちをうこれ「フォークトリオ」といふ事にしてゐる。かつて日本中に数多く存在し、時代の波とともに表舞台から姿を消し、しかししぶとくしたたかに生き残ってゐる偉大な先達に倣って・・・。

その辺の人達の、現在の活動を調べるのも楽しい。意外にも本数多くライヴをこなしておられる方もゐて、やがて自分も行く道を見る思ひだ。気負いなくギターやベースを抱え、広くない会場に、しかしぎっしり集まったファンに向かい、唄う爺様たち。いつか、あぁなりたいものだ。

「青い三角定規」やら「五つの赤い風船」などと云ふユニット名が惨然と存在したのだ。「よなかのとうふ」なんぞ、珍しくもなからう。

19日(金)-----------------------------------------------------------------

どーしたことか「カラス」がえらいこと弾きにくくなってゐた。

気温と湿度の変化によって、おそらく木材部やらが変調したのだらうが、自分が恐ろしくヘタになったやうに思へて、焦る。此所数日、前妻である「ドゥナ」や、二号の「モニカ」、「ヴィをろん」などを使ってるのでスネたか・・。げに、3月末の久しぶりのソロ行脚に、本妻の「ヴァネッサ」を帯同すべきか、否「カラス」で行くかどーか、悩んでゐる。

まぁさう云ってもアレなので、いちをう ごちょごちょとメンテす。「ドゥナ」には久々に弦を張る。110〜の極太弦。これを張り、まづは全音緩めた状態で2〜3日放置。その後キチンと調弦して、ネックに影響が出ぬが調べる。そろそろフレット付きのが壱本くらい欲しい気がして来てゐる。

さう思って、フと立ち寄った仏句尾符の楽器コーナーに、奇妙なベースがあるのを見つけ、心惹かれる。異様なペイントがしてあり、5弦でミニ・スケール。なんぢゃ?これは、と思ひつつ、¥200の文庫を買って帰った。帰宅後、調べてみたら「羅留句・案・紙絵留」のベーシストのモデルだった。それを知った途端、魅力が色褪せたのは、やはりワシが、どーしても「ビヂュアル系」を受け入れられぬから、だらう。


4週目

20日(土)-----------------------------------------------------------------

唄うたいカワムラとしーシュ=ぱんぱか大作戦、といふライヴ。

カワちゃんの誕生日付近のこの時期、去年まで大会場で演ってゐたぱんぱかトリオのワンマンを、今年は「原点」とも云ふべきフライングキッズで、といふ企画。予約の段階で、もぅ立ち見もやむナシ、くらいの好評な前評で、キアイも入る。けふのワシは「縦ベース&ヴァイオリンベース」といふ完全「ぱんぱか仕様」。直前リハもえぇかんぢで、こらぁ良いライヴにするぞ、と。

果たして開演時間にはホンマにぎちぎちの満員。ワシの縦ベーで使うボゥ(弓)が最前列のお客さんを突ついてしまふのでは?と危惧するほどの。予想通りとは云へ、カワちゃんも嬉しさうだ。そのウケを得て、いざ出陣!。

個人的にはワシはこのトリオ、カワちゃんの「サポート」をしてゐるつもりはなくて、一緒にバンドを演ってゐる、といふココロイキで臨んでゐる。そしてけふはさういふライヴが出来たやうに思ふ。満場にウカれ過ぎて、やや荒い演奏にもなったが、唄、楽曲、3人のハーモニィ、演奏の旨味、見事に結実したライヴだった。勿論それらは、なにを演っても包み込むカワちゃんの唄の世界観あっての事。MCも極力抑え、粛々と唄をすすめるカワちゃんの凛々しき事よ。

もしかしたら、カワちゃんのユルいお喋りや曲にまつわるアレコレを聞きたい、といふ人は、やや戸惑ったかもしれん。しかし、さういふ人も完全に満足してもらへたのではないか?と思ふ。素晴らしいライヴだった。ホンマに良かった。

終演後は、近しい仲間内で、カワちゃんに誕生日ケーキの進呈。内密の話しに馴れてないスタッフが、完全な挙動不審者になっておったが(笑)、蝋燭を吹き消して嬉しさうなカワちゃん。誕生日おめでとう。そして、良きライヴをありがとう。

21日(日)-----------------------------------------------------------------

さて、ライヴ明けの日曜だが、異境の地で病に倒れた我らが「座長」富安秀行さんを見舞いに、宇部市まで行く事にす。

天気良くドライヴ日和。下道を通って3時間半。あまり休憩も入れずに、宇部市は山口大学病院に。山口市を代表する巨大総合病院にて予想はしてゐたが、それ以上にデカい病院でビビる。こん中から富安さん、捜せるのかな?と思ってゐたが、壁の案内版なぞ見て、なんとか病室を探り当てる。

打ちひしがれて寝込んでゐる、と思ったが、起きてナニやら書き物をしてゐる(笑)。休んでなきゃアカンでせうが!とも思ふが、まぁそれが「座長」。でも、心不全、てぢつはかなり厄介な病気で、よぅは肉体の要がちゃんと動かなくなる、てコトだから、どんな病気を併発するか分からん。そこをホンマに自覚しとかないと・・・。富安さんを含め、あんまり深刻に捉えてないかんぢが、どーも・・・・。

病人に永らく喋らせるのもアレなので、ワシは30分で辞去。帰りは道路が混んで来たし、流石に途中から高速を使用。それでも家に着いたのは19時を回ってからだった。けふは壱日のうち10時間を車の中で過ごした事になる。くたびれた。

22日(月)-----------------------------------------------------------------

「コンパクトベース」なるオモチャが届く。

こは2万円くらいで売ってる、ちーさいベースだ。なんかシャレでさういふの使って、例えばぱんぱかトリオとかFar east でライヴすりゃ、見た目にオモロいかな、と。んで、タマタマ広告を見たので、まぁポチっと。

この際なので、「過去に持った事のナイ」タイプ、て事で、「(ボディが)白」の「メイプル指板」で「フレット付き」の「ジャズベ」、しかも「アクティヴ回路」といふ物にした。さう、まるでラリー・グラハムのやうな・・・。29インチ、て事で、ギターよりちょっっとだけ大きいくらいか。弾いてみるとなかなか悪くない(勿論、素晴らしい訳でもない)。思はぬ処まで指が届くので、ものすごく上手いヒトになった気分だ。

まぁ、いつかどっかで、使おう。

23日(火)---------------------------------------------------------------

昼の間、しーシュのリハを。

しーなさんこの週末は、特別企画のナニカで東京は三軒茶屋で演って来たさうな。すげぇ寒かった、とか。最近、程よくバラ売りも入り、いいかんぢの熟練デュオになりつつあるしーシュ。ワシはけふ入った案件で、3月中に20本、といふライヴが決まったが、うちしーシュは5本のみ。残る15本はソロか、某かのセッション。良いバラ売り月間、にもなりさうだ。

しばしレッスンの後、夜は再びしーなさんと合流し、FMの収録。残念ながらこの3月一杯で、番組の終了が決定。玄人筋からの受けも良く、ワシらのファンからも人気だっただけに、残念ではある。だが、本来2年、といふ契機を、評判が良いのでもぅ壱年放送が延長された訳だから、もぅ贅沢は云へまい。うむ、面白い仕事をやらせて頂いた。

24日(水)----------------------------------------------------------------

けふはワシの教室にメンバーを集め、「よなかのとうふ」のリハを。

広いスタヂヲではなく、狭い教室で演るリハは、お互いの音が良く聴こえて良い。エノちゃんのハモがリハで初めて聴こえた、といふのもあった(彼女はたいへん声がちぃさい)。これも良き「フォーク・トリオ」である。3月12日、お客さんいっぱい来てくれたら良いな。

しばしレッスン後、市内に取って返し、姫石ミミと合流。3月に一緒に演る営業演奏のリハ。ここでもギターを弾く。ベース弾きが弾くギター。どんなもんなのかいな、ね?。しかしよぅ考へてみると、ミミと二人(だけ)でなんかの演奏をする、といふのは初めての事だ。キチンと仕事しなきゃ、ね。鍛練怠るべからず。

ツイデなので、リハ終了後、本番が行なわれる会場(バァのやうな)へ赴き、下見す。思った以上に軽い、てゆーかポップな、といふか、シブさの全然ない店だった。ここでライヴかァ・・・。客層も雰囲気も、まったく想像がつきまへん。

25日(木)-----------------------------------------------------------------

村田和人さんが亡くなられた、のださうな。

80年代の日本ポップス界で大活躍されたヒト。残念ながら、あの時代の日本のポップスに全く興味のないワシは「Week end love」といふ曲しか知らん。

いつもの街角で 約束してる
土曜の午後だから 恋が気分さ
君はオフィスガール すれ違いだけシティライフ
だけどラヴィンユー 時計を止めて
素敵にWeek end love 心まで着替えたら
ふたりはWeek end love ときめきがよみがえる           村田和人「Week end love」

まぁ昨今の感覚からすれば痛いっちゃ痛い歌詞だが、大学生の頃、土曜日の朝バラエティ番組かなんかのテーマ曲として使われてゐて、これを聞くとあぁ今週も終わるか、と思ったものだった。ワシにはどーしても、「土曜の午後に繁華街で待ち合わせる『カタギの女性とフリーランスの男』、といふ世界観が浮かび、同じやうなシチュエーションを「君と半ドン」といふ唄で語ってみたりした。

軽く腹ごしらえしたら とりあへず表通りを歩こう
人ごみにはぐれないやうに 繋いだ手を離さずに
西へ行っても東へ行っても 結局は小さな街
信号待ちの間に行き先を決めたら 明日まで離れずに居よう      オルカ団「君と半ドン」

これをライヴで演った折、お客さんから『今どき「半ドン」なんてないで〜、今は何処も週休二日だ』と云はれ、自分の時代錯誤感に驚いたものだ。

享年62。癌だったのださうな。意外に影響を受けてゐる事を噛み締めながら、御冥福をお祈りします。

26日(金)-----------------------------------------------------------------

「音もダチ」仲間、なにわの唄姫 清水明日香を広島に迎えて贈る、「しーなとアスカのお手合わせ」。

明日香ちゃんは、広島で唄うのは初めて。そもそも、これまで社会人だった彼女がそれを辞し、「旅の唄うたい」としての人生を始めやうとする、その暁に我らは立ち合ってゐる訳だ。心して良いライヴにしてやらんとね。そんな事もあり、けふのワシはしーシュではなく、双方の「助っ人」「執事」「ジャッヂ」として出演。如何様にでも使って頂く人間として、あえて「正装(タキシード&蝶ネクタイ)」で挑んだ。

したら常連から『どしたん?その格好は』とか云はれた。どしたん?って正装しとんぢゃんか(笑)。

ライヴはしーなソロ→しーな&執事、休憩のち明日香ソロ→明日香&執事、最後はトリオで、といふ流れ。旅の中で何度か共演はしてゐるが、明日香とデュオ、てぇのは初めてで、これがけふのハイライトかな?。明日香の唄は『ちょいとソウル系入ったソフトな都会派J-pop』といふかんぢで、まぁワシとしては「ソリスト+もぅひとり」といふ、自分の一番得意と(さう思ってゐる)するスタイルなので、いつものワシのやうに明日香の唄に寄り添う。

まづまづの仕事は出来たが、2〜3悔しい処もあり、いづれまたリベンジさせてね、と。

お客さんはそれほど多くはなかったが、所謂しーシュ近辺の「目と耳の肥えた中年男性陣ファン」の集結、といふかんぢで、なかなか緊張感の漂ふスリリングな良いライヴではあった。明日香のCDも良く出たやうで、ホストとしても一安心。

打ち上げは「カッポレ」のノブも交えた4人で。アレやコレやで笑いの絶えぬ宴会となった。「こっち側」の世界に踏み出したなにわの唄姫。清水明日香の未来に、多くの良き唄と良き旅がありますやうに。

27日(土)-----------------------------------------------------------------

別に旅やライヴが続いた訳でもなく、フツーにライヴを演っただけの翌朝、だと云ふのに、珍しく10時過ぎまで寝こけてゐた。ツイデなので、昨日打ち上げで喰ひ過ぎた分をチャラにすべく、「プチ断食」なるものにトライ。夜まで味噌汁のみで過ごす事にす。まぁけふはなんも予定ないので。

夜はオリエンタルホテルに佐藤弘之のラウンヂ演奏を聴きに行く。佐藤さんは、ワシとあともぅひとり砂原智也を入れて、この現場で3人しかゐない「男のピンの歌手」なのだ。砂原くんのは、やはり前に「敵情視察」してゐるので、残るひとり、と云ふ事で、けふは佐藤さんを・・。

ホテル側は、いつも出演してゐるワシが客として来た事をたいそう喜んでくれるが、佐藤さんは演り難さう(笑)。相変わらず見事な英語で歌い上げるシブい楽曲群は流石である。しかしだいぶマニアックな選曲で、これからすればワシのはホンマに「流行歌」やなぁ。うむ、勉強になるな。

2ステージまで見て辞し、帰りがけにフライングキッズに寄る。店主がマミコさんからヤマガタくんに変わって、約壱ヶ月。どーかいね?みたいなかんぢで喋りながら、軽く一杯。同業者のステージを見に行き、仕事場に金を落とし、懇意のハコの情勢を確認す・・・。ワシはつくづく真面目な音楽家だな、と、誰も云ってくれんので、自分で云ふ。

28日(日)-----------------------------------------------------------------

晴れてゐるが寒い日曜。米10kgを買いに行き、リュックに背負って行き帰りを歩く。けふのトレーニング。

夜はオリエンタルホテルで椎名&フライデー月例ライヴ。昨日は客として来た現場に、けふは出演。「ちびベース」「エレアコのモニカ」「バイオリンベースのう"ぃを子」のどれを使うか迷ったが、結局の処いつもの「カラス」となる。気付けばだいぶ所有楽器が増えてゐるな。

ワシのやうに「これ」といふ相手と、「これ」といふ仕事しかせぬ(来ぬ)人間は、ホンマはこんなに沢山楽器を所有する必要はないのだ。そもそもこの世界に入った25年前、ワシはこれ壱本で行く!とヴァネッサを選んだハズなのに・・・。おかしぃなぁ〜。

けふはちゃんと音楽を聴くお客さんばかりで、演り易かった。毎回かうなら良いなぁ。

29日(月)-----------------------------------------------------------------

どーやら、えへくた用のアダプタ(とその周辺器機)をなくしてしまったらしひ。

こないだのライヴ続きあたり辺から、アレ?ないな、くらいに思ってゐた。ワシはこのテの物をなくす事はほぼ無く、「なくした」と思った時も、たいていちゃんと無意識に仕舞ってゐる。ので、今回もさうだらう、と思ってゐた。しかし、心当たりを全てあたってみても、やはりナイ。無くなる必然性がまったく思ひ当たらんのだが、ナイものはナイ。しかし絶対に要るものだし、怒濤のツアー月間も近いし、仕方なく新調しに久々に楽器屋へ。ヤレヤレ、想定外の出費だ。

ツイデに附随するCDショップも覗く。かつては西日本随一の民族音楽、前衛ジャズ、アヴァン・ポップの品揃えを誇ってゐたここも、見る影もなく日和っており、3/4のスペースがアイドル系とヒップホップ系に汚染されてゐる。もはや大手CDショップに自分の用はない、といふ事を再認識しただけの事であった。

そげな色々で、せっかく新調した機材を持って臨んだ個人リハも、なんかイマイチ気が入らず、尻窄りに・・・。


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