6月

6月1日(水)-----------------------------------------------------------------

6月になった。

ころもがえ、の季節である。若い時分には、女子の姿が一気に華やぐこの時期は、ぢつに一大イベントに思へたものだが、最近は全然さういふ事も思はなくなった。「枯れた」のだらう。

あ、さうさう。インストラクターとして永らく属してゐた超巨大音楽振興会を先月いっぱいで退陣し、けふからすべてのレッスンを、個人付けで行なう事になった。つまらん会議や研修に駆り出されたり、つまらん搾取がなくなる代わりに、余剰の支払い(交通費、保障など)も無くなり、これからはシビアに仕事を回して行かぬと、自分が損をする事にもなりかねぬ。はぁ〜、なかなかやね。

さっそくけふ、突発的に生徒が休みやがり、しかし体験レッスンには駆り出された為、体験レッスンにはギャラが出ぬぶんだけ、けふのこの移動はまるきり「ゼニにならん」ものとなった。ちくせう。

ので、まだ明るいうちに帰って、晩飯の仕度をした。

2日(木)-----------------------------------------------------------------

マニアおぢさんの間で話題の、タルちゃんことタル・ウィルケンフェルドが、ベースの弾き語りでレナード・コーエンの楽曲を演ってるのを見て、フとしーなさんにこの手のバラードを唄ってほしくなった。で、取り組んだ所、わりとあっさりと新曲が出来た。

えせニックとか歌謡ぽくとか、なんにもこだわらなんだのが良かったのだらう。短時間で歌詞も書け、むしろ記憶力の方が追っつかぬかんぢで、慌てて録音す。だが、唄ってるとどっかで聴いたやうな部分がある気がして、熟考してみたら、しーなさんのソロ曲「おやすみを云う前に」の一部とメロディが一緒だった。

だがまぁこのテのシンクロは割と良くあるし、並べて聴いても案外気付かない場合もあるので、いちをう清書して、今度のリハで演ってみやう。

ここで脳内「創作野」が活性化したのか、久しぶりに書きかけの小説に手を入れる。かういふ時って、多分眠ってゐた何処かのスウィッチが入るのだらう。言葉がどんどん出て来るかんぢ。詩人たるもの、かくあらねばならん(詩人だったっけ?ワシ)

3日(金)-----------------------------------------------------------------

この週末、広島市内で「とうかさん」といふ夏越しの祭が行なわれる。

かつては「暴走族の祭典」と呼ばれるほど祭が荒れた時期もあったが、此所数年は落ち着いてゐる。むしろ「おかしな浴衣を着た変な女子」の祭り、といふ様相を呈してきており、五月の「花祭典」と並んで、近付きたくない祭、の筆頭に挙げられる(ワシの)。

その中、入り用ありて市内に出る。久しぶりに「歪み系」のえへくたーを買う為。かつて色々持ってゐた「歪み系」がことごとく壊れており、使えるやつが壱台も無くなってゐた。ギターを弾く事も増えて来たし、ベースにも使えるし、といふ事で、今回フンパツして一番安いのを買った。まだ日が高かったが、既に街なかには変な浴衣姿の娘らが涌いて来ておった。夜にかけてもっと変なかんぢになるのだらう。

その新えへくたーを持って、しーシュのリハに。今月、ライヴがほぼ無いので、そのぶん細かい技術やアレンジのブラッシュアップ月間とせん、と合議しており、けふから週イチでリハを入れる。真面目なデュオだ。

昨日作った例の新曲を持って来た。「メロが似てる部分が・・」としーなさんに提示し、唄ってもらったところ、良いんぢゃないか?と。ブルージィなバラード、と云ふか、割とウチらにして珍しく、メロディがペンタトニックの唄である。これで、現在の処しーシュのオリジナルは64曲となった。

もぅ(作らんでも)いいんぢゃない?、としーなさんは笑うし、ワシもなんとなーくそんな気もせんでもないが、まぁ曲は「演るから作る」て訳でも無いので、生まれ来るものは拒まず取り上げて行きたい。ソロや「よなかのとうふ」での新曲が作れてない、てのも、なんかネ・・。


2週目

4日(土)-----------------------------------------------------------------

「虫樹音楽集」といふ作品で興味を惹かれ、ちょいとファンになった作家 奥泉光の「鳥類学者のファンタジア」といふのを、ここん処づっと読んでゐる。

どっちも音楽小説に分類されるものだが、虫樹〜の方がややダークでグロい物語だったのに比べ、鳥類〜は語り手(中年の女性ジャズピアニスト、と云ふ設定)がアッケラカンとしてゐて、まぁタイトルが示すやうにファンタジィの要素もあり、ハードカヴァー、全490頁上下段、といふボリュゥムにしてはさっさか読める。

さっさか読める、とは云っても、もともと読むのがそんなに早い方ではないし、本はだいたい寝る前に読むので、睡魔に負けて中断したりして、約半月かけてよぅやくクライマックスに差し掛かってゐる。語り手(主人公)の語り口が、なんとなく鈴木亜紀ちゃんを連想させ、もぅワシの頭に浮かぶ主人公の姿形は、完全に亜紀ちゃんである。さういや去年、飛騨古川で亜紀ちゃんと偶然逢ったのは、今頃の季節だった。

亜紀ちゃん、と云へば焼津の出身で、今度しーシュで初めて焼津にライヴしに行く事になってゐる。見どころとか、美味い喰ひもんとか、訊いておこう。

5日(日)-----------------------------------------------------------------

姫石ミミ 節目の会、に出演。

こはミミが自分が経営するスタヂヲの周年、と自分の不惑を同時に記念して、お世話になった皆様に感謝の気持ちを伝え〜の、好きな人と好きな唄を唄い〜の、といふ、まさに「ミミ祭り」。150人収容の披露宴会場で「結婚披露宴形式」で進められたエンターテイメント・ショウだった。

ワシら出演者も「出席者」として席が用意されてあり、出演時以外は呑んで喰って・・・の。出番の合間を縫って、のメシなので、ぢっくり味わう、といふ訳には行かんのだが、ワシは『速食い』の特技を駆使し、まぁそこそこ喰へた。

ショウそのものも、贅を尽したたいへん豪華なライヴで、中野チカラ前田順三、にワシ、と、ベース弾きだけで3人も居る、といふ。フィナーレではこの3人が同時にステージに上がる訳だが、まぁさうなるとチカラさん=ウッド、ジュンゾゥさん=エレベ、と来て、ワシはまぁギター、となります。ぢつはこの為にえへくたーを新調した、といふのもあり、下手なギターをごりごり弾いて楽しかった。アー、やっぱギターももっと上手くなりたいな。

ミュージカルあり、ポップスあり、シャンソン、オペラ、ミミ本人によるピヤノ演奏まであり、盛り沢山の、たいへん楽しく、素晴らしいイベントだった。満場のお客さんもすべからく満足して帰られたンではないかな?。ワシも楽しかった。ちょっと「演り過ぎ」た気はして(自分の出番で)、少しく反省。

ミミ、お疲れさま。

打ち上げ、と云ふか二次会では、シルクロード仲間くぼッちこと久保直樹氏と久々の再会。旅の話しに盛り上がりつつ、こちらも久々 京都のきむらあやこも交え、ハイボールをガブガブ飲みながら、近年稀に3時過ぎまで呑み倒してゐた。はひゃぁ〜。

6日(月)-----------------------------------------------------------------

「よなかのとうふ」久しぶりのリハ。

このバンドではフルアコを使ふので、ギターと云へどまたかんぢが違う。最近、またFoley(ジョセフ・フォーレィ・マクレァリィ=マイルス・デイヴィス・バンド最後の『ギタリスト』。ギター、とは云ってもベースにギターの弦張った4弦の楽器(リードベース)で、役割は完全にギターのそれ)なんぞ聴いており、またピッコロ・ベースなど作るべきか、などと妄想も膨らみよる。

このフォーレィといふ人物、ベーシストでマイルス・バンドのオーディション受けに行った所、マイルスに『お前オモロい。ベースなんぞ弾かンでいい』と云はれた、とか。んで、ベースにギターの弦張ったモノを与えられ、これで好きなやうに演れ、と云はれたフォーレィは、まぁ見事『ギタリスト』のニッチを務め上げた訳だ。マイルスの炯眼おそるべし、と云ったところであらうか。

ただねェ、彼のやうにピッコロ=リードベース用意してもねぇ、やっぱり相当特殊なニッチでないと使えんと思ふしねェ。

7日(火)-----------------------------------------------------------------

しーシュのリハ。

「唄のリズム」といふか「ビート」につひて、しーなさんとアレコレ。しーなさんは、正規音楽教育あがりのプレーヤーにしてはリズムに対応力がある方だが、これがこと唄のビートになると、ワシの感覚とまったく違ってゐて、擦り合わせがなかなか大変。例えばカヴァー曲であっても、そこが合わずにボツった曲などもあったりす。

ワシはフェイクを交えてゐても、唄に対しては明確な「リズム」を感じており、そこがズレてゐる唄、と云ふはいくら上手くても聴いてるのがしんどい。逆にそこが強調され過ぎてゐる昨今の若い歌手の唄が苦手なのも、その感覚のズレによる。

例えばこないだ観た映画「ゲド戦記(古い)」で、当時から話題になったナントカ云ふ若い女性歌手の唄。あれなど最たるもので、あれほど辿々しい歌声に、何故不要なコブシを入れるのか、意味が分からぬ。あれがきっちりとしたレガートで唄われ、そこにリズムが存在しなければ、たしかに話題になるほどの歌声だったらう。だが、ワシにはあのコブシが指し示すリズムが、正直嫌悪感を催すくらいダメだった。

その逆で、唄にビートが欲しい曲で、言葉を唄ってるやうな唄は頂けない。ビートは楽曲だけにあるのではない。無伴奏のゴスペル・コーラス(本場の)があれだけグルーヴするのは何故か?。そこを考へないとイケナイ。

まぁこんな事を「術理」で語ってるうちはダメなんだがねェ。

8日(水)-----------------------------------------------------------------

「リズム・マシンのえぇヤツはどれか?」と問はれ、調べてみると、今はもゥそんな単体器機はないのだね。今や宅録と云へばもぅパソコン壱台あらば出来る訳で、昔のやうにMTRとリズムマシンとイコライザとリバーヴと、などと揃えんでも良い。パフォーマンスにおいても、何に要るのか分からんがステージ上にPCが置いてないライヴの方が少ないかんぢだし、わざわざ「リズムマシン」を別個に用意する必要はない世の中らしひ。

けっ

ワシがレッスンで使ってるリズムマシンも、もはや化石的レトロな代物で、現在のが3代目。全く同じ機種のモノをオークションで落として使って来たが、今のが壊れたらもぅ次はなからうな、とは思ってゐる。さうなると『複雑なリズム・トラックを使った執拗なリズム・トレーニング』が売りのワシの音楽教室は立ち行かなくなる、て訳だ。

まぁ、その時には、もぅレッスンをせんでも良い、と云ふ身分になれてゐたら良いな、と漠然と考へてはゐるが。

9日(木)-----------------------------------------------------------------

しーなさんがこの時期の毎年恒例行事の「国外逃亡」しなすったので、雑務として、ここん処ちょっと制作をサボッてゐたオンデマンドCD、「小鉢其之壱」と「其之弐」をまとめて作製す。

このCDーRコピー、といふ行為ですら、ツイ10年前は専用の器機が必要で、しかも同時コピーしか出来ず(高速コピーも出来る事は出来たが音質が著しく劣化してゐた)、つまり10枚のCDーRをコピーする為には、10回その音源を聴かねばならぬ、といふやうな代物だった。今や15分程度の音源であらば5分もかからずに増刷できる。やれやれ。

してると、久しぶりに昔一緒に演ってゐたドラマーに会った。ワシより7ツ下の彼には娘がおり、そのコがもぅ中学生になる、といふ。さう云へばワシが複雑骨折で入院中(2002年)に、見舞いがてら娘が生まれた、と報告しに来てくれたのだった。あの時36歳だったワシが50になってゐる訳だから、まぁ新生児が中学生にもならぁな、といふ事で・・・・。

さういや春駒のカシラが結婚したのもその時だ。周辺の雑事あれこれを、まるで1週間前の事のやうに憶えてゐるが、あれはもぅ14年も前の事なのだねぇ。やれやれ。

10日(金)-----------------------------------------------------------------

チャリで走行中、ちょいとアレな人に『此所を走るな!』と怒鳴られた。

?、フツーに走って良い道路をフツーに走ってゐるだけだが・・?。ワシとて無軌道なチャリ(無駄に飛ばすやつとか危険な追い越し、無灯火やスマホ見)には危険を感じたり怒りを覚えたりもするが、今、ここで、ワシが、お前に怒鳴られる筋合いはない。

なんかドッと疲れたが、その後スタヂヲに篭って作曲に取り組む。今割とポコポコ生まれてくるね。

最近の作曲法としてよく使ふのがループマシン。これにある程度アイディアが乗ったパタンを入力し、それを流しッパにして、適当に鼻歌を唄う。何度か繰り返すうちにメロディが安定して来て、定型が出来上がって来たらそれを記録し、別のトラックにそっから先をまた入力し・・・、といふ地味で陰気な作業(笑)。

メリットとしては「唄いながら」作れるので、楽器に制限を受けない、て事。デメリットとしては、ループのパタンからは逸脱できない、て事で、派手なサビや意表を付く展開、は生まれにくい。だがまァ、そんなモノは元々ないしね。ほらほら、出来ましたよ、新曲が。今月2曲目。


3週目

11日(土)-----------------------------------------------------------------

安芸高田市吉田町で、しーシュのライヴをオーガナイズしてくれてゐる平原センセイ(もと安芸高田高校教諭)。この平原さんが率いる 老舗バンド「どう。」のライヴが、吉田町ヤングインで執り行われる、のを見に行く。いつも噂しか聞いておらず、是非一度聴いてみたい、と思ったもので。

「メンバーが多い」「ライヴが長い」「曲数が多い」「ヴォーカリストが何人もゐる」などと色々聴いており、はたしてどんなモンか、まぁ良くある「年季の入ったアマチュアバンド」のやうなかんぢなのかな、と思ってゐたが、これがたまげるくらい良かったのである!。

まづ「噂」はどれも正しかった(笑)。メンバーは総勢11名。うちヴォーカルを取るのが6人!。これがまたそれぞれ上手くて、特にギター兼任のフクガワ・リキさん(漢字分からず)など、そこらのプロの唄うたいより全然上手いんぢゃないか?といふ位の巧者。それぞれソウル系、ポップス系、ロック系、フォーク系、カラーの違うヴォーカルをフィーチャーしながら、また時折インストも交えてくるバリエーションの広さ。

まぁこれだけバラエティに富んだ内容であるから、曲数が多くなり、ライヴが長いは必然。全後半10曲づつ+アンコールが2曲。計22曲を聴いた訳だが、長さはあんまり感じなんだ。それほどオモロかったのである。正直これほどのものとは思はなんだ。いや〜〜〜〜オモロかった。

メンバーはほとんど全員、しーシュを見てくれた事があるさうで、ワシが見に行った事にたいへん恐縮して下さっておった。いゃいゃ、これほどのモノを見せて頂けるなら、吉田町くらい馳せ参じますぜ。

帰るつもりでゐたのだが、まぁメンバーもスタッフもほとんど顔見知り。『まさかシュウさん帰るつもりぢゃないね?』とか云はれたら、まぁ、ねぇ・・。と打ち上げにも参加させて頂く。メンバー11人中9人が教職員ださうで、ぁあなるほど、とも思ふ。まぁ皆センセイだから、特徴として人の話しを聴かない、といふかんぢで(笑)。楽しくうち上がり、ぐっちの荷台で寝るつもりでゐたが、去年ヤングインのライヴで対バンしてくれた「ことりんチェルシィ」の小田とものりが、「そげな処で寝んでウチへ泊れ」と云ふてくれたので、お言葉に甘える。

楽しい安芸吉田の夜。

12日(日)-----------------------------------------------------------------

とものりッチの客間(ものスゴいデカい家なのだ)で目覚め、朝食まで御馳走になる。御両親にはお土産まで頂いて、ありがとうざいます。ぢつはとものりッチの嫁さんは、ワシの唄の生徒でもあり、このお宅にはいつも出張レッスンに来させてもらってゐるのだった。その嫁さん本人とは顔を合わさぬまま、昼前に辞去。

家でちょいとリラックスして、けふは五日市のライヴハウス「サウンド・ゼロ」まで行く。これも此所数年いろいろとお世話になってゐる「流川タンポポ団」がライヴすると聞いたので・・・。こちらは全くサプライズで、いきなり顔を出したワシに、皆さん驚きつつ喜んでくれた。お昼のライヴなのだが、会場は結構沢山のお客さん。このハコはまた音が良くて、初めて聴くタンポポ団の演奏を、しかと見る事が出来た。

云はば『ジャグバンド』に分類されるジャンルで、しかしフォーク世代特有の唄のユルさもあり、たいへん気持ち良く聞き入る事が出来た。流石に昨日の「どう。」には及ぶべきもないが、真面目に音楽に向き合っておられる姿は、素直にカッコいいと思へたし、是非このまま長く続けてってほしい、と強く思った。

弐番手はそのタンポポ団のメンバーでもあるゐずみたにひろしさんのソロ。ウクレレ、ギターを持ち替えながらの弾き語りスタイル。富安さんとのライヴなど、欠かさず見に来て頂いており、その唄を聴くのはけふが初めてだったが、なかなか芸達者な見事なステージで楽しめた。

お目当てのふた組が最初で終わったので、まぁあとはツイデに、と思ってゐたが、三つ目のがヒドかった。今まで自分が金出して見た中でいちばん酷いものだった。ただヘタクソなだけならまだしも、MCが長過ぎるわ、しかもそれがオモロないわ、内輪だけで笑いあってるわ、しかも酔っ払ってそれをやってるわ、マジで最悪。その後にまだふた組出る予定であったやうなのだが、あまりの酷さに退場。アマチュアのライヴ、の一番やってはイケナイ典型、のやうなライヴだった。タンポポ団が良かっただけに、なをさら残念。

アマチュアの人にここまで云ふのは酷かもしれんが、ちゃんと金出して入ったのだから云ふ権利もあると思ふ。マトモな練習してからステージに上がれ。てゆーか、この人達が出る時点で、入場料はタダにすべきだ。

13日(月)-----------------------------------------------------------------

最近、ちょいとまたフリートウッド・マックが気になって色々聴いておる。

色々調べて知ったメンバーの意外な年齢差。クリスティン・マクヴィー(Vo,Key)が断トツに「お姉さん」である事に、納得するやうな・・・。もともとフロントマン(ウーマン)として活動してゐたバンドに、自分より歳若く、しかも妖艶な別の女性シンガー(スティーヴィー・ニックス)が加入する事になっても、鷹揚にうなづいて見せたその時31歳。意外にもリーダーのフリートウッドより3ツも年上なのだ。

元々恋人同士、としてマックに参入したスティーヴィーとリンジー(バッキンガム。Gu)が破局し、お互いがステージ上で罵り合うやうな状況にあり、公私ともにスティーヴィーに辛く当たるリンジーにキレたクリスティンが、ステージ上でリンジーにワインをぶっかけて殴った、といふエピソード(笑)。『人生で私が人を殴った、てのはリンジーだけだわね』と語るクリスティンのインタヴーもあった。

一時期、スティーヴィーとクリスティンは一緒に住んでゐた事もある、といふ。スティーヴィーにとって、4ツ年上でしかも業界歴の長いクリスティンは、文字通り「アネキ」のやうな存在だったのではないか。そしてそのクリスティンは、優れたシンガー・ソングライターであるにも関わらず、バンド内では比較的地味な存在であった、といふ興味深い話し。

そしてさういふエピソード(もっと色々ね。ドラッグとか不倫とか逮捕とか破産とか・・・)に事欠かぬ程に、20年以上の長きに渡り世界的なポップス・シーンの頂点に君臨し続けた、フリートウッド・マックといふ怪物バンドは、「社会」でもあったのだ。

調べれば調べるほどオモロい人間ドラマ。

14日(火)-----------------------------------------------------------------

しーなさんが帰国なすった様子。

今回はバリ島に行ってたさうで、んで調べてみて驚いた事に、バリ島って赤道より下にあるんだねぇ。根拠があったか?と云はれたらナイんだけど、なんとなく「アジアの一部」「フィリッピンのとなり」みたいに思ってたフシもある。南半球ぢゃんか。むしろオーストラリアやマダガスカルに近い。はぁ〜!。

まぁ、シルクロードに行った時に思ったんだが、あれだってユーラシア大陸の半分以上向こうだ。人間、行く気になりさえすりゃぁ、何処にでも行っちゃうんだねぇ。

15日(水)-----------------------------------------------------------------

向原へ出張レッスン。ここで教えてる生徒らは、半分メヂャーの世界に属しており、それぞれがヘルプしあったりしてゐて、面白い。ここの若い世代に、良質の昭和歌謡を伝承するのが、当面の目標、と自分で定めてゐる。

夜は久しぶりにぱんぱかトリオで集合。「旅のしゃべラジ」第4回目となる放送を収録す。トリオが顔を合わすのは1ヶ月半ぶり。その間、しーなさんはバリ、カワちゃんはハワイ、に行って来ており、まぁワシも安芸高田に行って来たり(笑)してたんで、『旅の番組』ぽいトークにはなった。

これもしかし、回が進むごとに視聴率が下がって来ており、ここらでまたキャンペーンでもせねばね、といふ話しにも。ぱんぱかトリオがお送りするYou tubeラヂヲ、音楽と旅にまつわる役に立つかもしれない情報番組「旅のしゃべラジ」。まだ未聴のかたは是非どーぞ。

16日(木)-----------------------------------------------------------------

今現在、家に置いてある7本のベース。これがどれもなにかトラブってゐて、といふ話し。

「カラス」は最近もぅどこを弾いてもバズが出るし、堅牢な「ヴァネッサ」ですら開放弦をハジいた時のビビリが強い。「う"ぃを子」は弾くだけでノイズが出るし、「モニカ」はペグが割れた状態。「ドゥナ」は弦が壱本切れてて、「あをぞう」は何故か音が出ない。唯一アップライトの「縦べぇ」だけがマトモだが、これはあんまり弾いてない、といふか弾く場面がない、てゆーか・・・。

他の人ってどーなんだらうね?。ワシよりもっと沢山の楽器持ってる人とかゐるけど、あれってちゃんと管理とかメンテとかしてるんだらうか?。

大学生の時に買って、もぅ元の部分が残ってないほど改造しまくってゐるジャズベース「ドゥナ」の出番を、もぅちっと作ってやりたい、とは思ってゐるのだが、これ重いんよなぁ。やがてもぅ「立って」演奏するのがシンドいほど歳を取り、ステージは全て座って演るやうになったらこれメインにしやうかな。

17日(金)-----------------------------------------------------------------

しーなさん帰国後初のリハ。

今年に入って出来た新曲が、えぇかんぢに育ちつつある。ワシが作った数曲においては、「どぅよ?」てくらいシムプルな楽曲で、そこには「えせニック」も「プログレッシヴ」もカケラもない。なんか去年の後半に出来た「びしゃもん台」あたりからさういふ傾向にあるのだが、まぁさういふ時期なのだらう。

ニンゲン、人生に色んな時期があり、成長や進歩に応じて、興味の対象や好みも変わる。最初ッから最後までブレずにゐる者などおらん。むしろそのブレこそが、そいつの人間性であるとも云へる。バンドも同じで、しーシュも「梶山シュウプロデュース椎名まさ子」だった初期から、それぞれの唄にハモをつける、といふ「デュオ時代」、そぃから二人がタメで唄う「ツインヴォーカル」期。んで今はわりとそれぞれ唄いたい唄、相手に唄わせたい唄、を演るやうになってゐる。

今後まだまだ変わるだらうし、どぅ変わって行くのかねぇ。

みてぇな事を、リハ後ちょいと飲みながらアレコレ話し、飲みながらあちこちに電話して、夏までのスケヂュールとその導線を確認し、なんか「会社の居残り呑み」みたいなかんぢでオモロかった。気付けば1時。


4週目

18日(土)-----------------------------------------------------------------

珍しい事に土曜日の午前中、体験レッスンの希望者あり。まぁ土曜日はライヴが入る事が多いので、常時レッスンを組む事は難しい。が、広島にゐる時に限れば午前中のみのレッスンなら組めない事もない、のかね?。まぁ希望者があらば・・・。

けふはそっから先、明日の居酒屋椎修の買い出し&仕込み。

DVD「鬼龍院花子の生涯」観賞。この映画と云へば、夏目雅子の『嘗めたらいかんぜよ!』があまりにも有名で、てっきりさういふ役柄なのだ、と思ってゐた。が、ぢつは雅子さんは「鬼龍院花子」ですらなく、時代と家柄に翻弄された冷静な傍観者、といふ立場(侠客の家に養女として貰われて来る設定)である事が判明。劇中はむしろ、仁侠の荒々しい世界にあって、凛とした知性と穏やかな佇まいを一貫した人物であった。その彼女が、ただ一度だけ激高する場面が、あの「嘗めたら〜」のシーンなのだ。

原作、読んでみやうかな〜。

19日(日)-----------------------------------------------------------------

居酒屋椎修 水無月の巻。

しーシュのライヴ、としてもぢつに半月ぶりの本番である、といふ長き休憩あけ。お客さんもほどほどの入りで、父の日といふ事もあってか、親子での来店をされたお客さんもおられた。さういふ方にも良い場を提供できてゐるとしたら、たいへん嬉しい事である。

ライヴは「雨の音楽」。雨にまつわるアレコレを演る。あとは何故かさういふ流れとなり、完売したセカンド・アルバムからの曲を中心に。リクエストに応え、ここん処演ってなかった「爪とぎ唄」も演った。けふも良い居酒屋であった。

先日、ここで音響の実験をしてゐて、騒音の苦情が来た、といふ噂を聞き、大丈夫なのかな?といふ思ひがかすめる。

20日(月)-----------------------------------------------------------------

昨日の不安が、最悪の形で現実化してしまった。やはり先日の苦情が原因で、今後フライングキッズで音を出す事がNGとなってしまったやうだ!。既に、夏まで決まってゐた数本のライヴ・スケヂュールをキャンセルしたり、移動したりさせてゐるらしひ。

ウチも来月の居酒屋は既に告知してしまってゐるし、なによりワシらは『広島のホーム』をひとつ失ってしまふ事になるのだ。これはかなりマズい事になった。音楽=ライヴ抜きの形態で居酒屋椎修が成り立つとも思へぬし、かと云ってここフラキズと同条件で会場を提供してくれるハコは知らぬし・・・。ショックである。と、同時に『こんな事で我らの好評企画を終わらせてたまるか!』といふ思ひもあり、ナイ頭をひねって考へる。

ヌ〜〜、なにか起死回生の壱手、は無いものだらうか?。

このテの騒音に対する苦情が来るたびに、色々と話題や論議にもなるのだが、苦情は苦情だ。ワシらは「許された」場所で「演らせてもらって」ゐるのであって、そこでは好きにして良い、といふ訳では無い。そこでは「許された」やうに演るべきであり、「もぅ許さぬ」と云はれればそれを受け入れるしかないのだ。ただ今回、ワシらが預かり知らぬ処での話し、である事が残念すぎる。

21日(火)-----------------------------------------------------------------

ショックを超えて、ワシはソロ遠征に出かける。

去年もこの時期に参加した、宇部市はBIG HIPで行なわれてゐる「華麗衆ナイト」への出演である。「弟分」小田よぅねん率いるトリオ「華麗衆」のマンスリーイベント。『そろそろ来てくれると思ってましたよ』と云はれ、嬉しい。宇部市と云へばしーなさんの故郷だが、此所数年はワシの方が馴染みが深くなった街でもある。愛車「ぐっち」を駆っての一人旅。高速料金が高い(泣)。

けふはワシの他に4組の出演。いちをうワシは「ゲスト枠」といふ事で時間をもらふ。「シュウさんを見に来た」と仰る方も多く、自らの為にも、よぅねん達の為にも、こは落とせぬ「場」である。小野田の「さくぞう」「鬼沢」、地元の「ハラダ・ヒロシ」に続いてワシ。ヒロシがえぇかんぢにコール&レスポンスで会場を盛り上げ、その後のワシは静謐に始められる。

今回は珍しく、ラインナップに沿っての「通し練習」を何度か演っており、過去2回とは大幅に曲層を変えて挑んだ。「カラス」ではなく「ヴァネッサ」を使い、ちょいと地味めなナンバーが中心となったが、グっと惹き込めたやうに思ふ。アンコールが来て「コキリコ節」も演った。やっぱコレ人気あるンやねぇ。大盛況で、まぁよぅねん達の顔を潰さずに済んだな。

大ラスがその「華麗衆」。見るたびに良くなってゐるなぁ、と思ひつつ。グルーヴが安定して来たし、何より個人技が磨かれてきてゐる。大盛り上がり。お客さんが踊りまくるのに混じって、一緒に踊った(笑)。いや〜、今回も楽しぅありました華麗衆ナイト。

前にも書いたが、このいかにもザツでガサツで乱暴さうな男達なのに、そこはかとなく感じる知性、が彼らの良い所だ。富安さんがこの地で入院した時も、彼らが近くに居ってくれてどれだけ心強かったことか。良き若者達である。

22日(水)-----------------------------------------------------------------

よぅねん宅に宿を借りたが、目覚めてみると大雨である。

この雨ンなか帰るのはシワいな、と思ふが、レッスンもあるので帰るしかない。まぁさう急ぎもせぬので、高速は使わずにビビりながらゆっくり帰る事にす。よぅねんには朝飯も世話になった。今回もありがとうな。また近々の再会を誓って、宇部をあとにす。

雨の中をひたすら東に走り(滝の中を走ってるやうだった)、4時間かけて帰宅。思ったよりはスムースに帰れた。まーこんなモンか。昨日の14時に出発して、14時に帰って来た。まんま24時間の不在。

雨は降り続いておるので、レッスンにも車で行く。

23日(木)-----------------------------------------------------------------

フライングキッズで決まってゐる明日のライヴ・・・徳田建&佐藤弘之のライヴを、完全アンプラグドで演ることにしたらしく、エレアコベースを引っ張り出して調整。これを生で鳴らす事にす。まぁ響きはせんだらうが、ないよりマシか。てゆーか、明日強行しちゃう、て云ふのが「大丈夫なんかな〜?」といふ気がす。

これが「決定打」になり、来月の居酒屋椎修・・・・もしかしたら最後の居酒屋・・・が出来なくなるのでは?といふ怖れが無いでもない。

まぁ、正念場だなぁ。

考へるのだ。起死回生の壱手を。

24日(金)-----------------------------------------------------------------

そのフラキズでのライヴ。

色々心配なので早めに会場入りするも誰も来ず。なんか独りで気をモンでるやうなのが阿呆らしい気がしてきた。今回の事で、ライヴ会場を変更せざるを得なかった他の人達からすれば、『なんで24日は出来て俺らは移動だったんや?』といふ疑問も出て来るだらう。その矢面に立つけふの我らに対して、たれが責任を感じるのか。その根底の問題(ぢつは敵はクレーム相手だけではない、と云ふ事実)を、ぢつはたれも分かってないのではないのか?。

やるせない気持ちを持ちながら、しかしアンプラグドでライヴは敢行した。ライヴは素晴らしく進行したが、エレアコベースは予想通り、ほとんど役に立たなんだ。まぁだからこそか、当然新たな苦情が来る事もなかった。生ギターの音量に合わせてセッティングする音場は、確かに耳に優しく、これはこれで良いのかもしれぬ。だが「こそこそ演ってゐる」といふ感は否めず、これをやはり多く人々に広報する、といふのは無理がある気がした。

いづれにせよ、この店がこの後どーなってゆくのか、ワシらがこの店とどのやうに関わって行く事になるのか、まったく予測が付かない。もしかしたらワシは、全然大した事ない問題に気を已んでゐるだけなのかもしれん。そんなワシの思惑を他所に、事態は自然に収束するのかもしれない。

なんか色々とやるせない。


5週目〜

25日(土)-----------------------------------------------------------------

佐藤弘之&徳田建、広島2デイズの二日目。

けふは「畳屋PICO」。我らがパーカッショニスト水木ツンちゃんの実家兼畳屋さんの仕事場である。しーシュが先陣切ってライヴ演り、さぁ後に続こう!と息巻いたわりには、その後誰もライヴを演ってなかったらしひが、けふは佐藤さんとの旧縁が復活。しーシュではお馴染みとなった、『作業場をライヴ会場に改装して行く』作業もなかなか楽しく。

ライヴは昨日の進行に準じて。昨日と違う所は、やはり電気ベースが使える、といふ事。そらぁもぅちゃんとした事が出来るのは当然で、昨日「ほとんど聞こえなんだ」といふストレスも発散でき、良いサポートが出来たのではないか。佐藤さんの曲にも壱曲混じったりして、オモロく演った。

けふは時節柄、表の扉を解放したままで音を出し、道行く人々にも聴いてもらった。これが仲々で、皆「なにココ?」みたいなかんぢで見て行く。立ち止まって聴いて行く人、見向きもせぬ人、「なんか良ささうだから」とチャーヂを払って入店する人・・・・。まるでストリートで演ってるやうなかんぢでとてもイイ。これはある意味、ライヴをやる店の新しいカタチかもしれんよ、などと無責任な事を思ふワシ。

だが、やはりツンちゃんはここで音を出すに当たり、近所への挨拶と顔つなぎ、のやうな事もしてゐる、といふ。向かいに新参の店が出来ても、客として訪れ「ウチらちょいとタイコの音出すけェ」と伺いをたててゐるのださうだ。ツンちゃんのさういふ働きがあってこそ、ここで音を出せるのだ、と云ふ事を肝に命じたい。良いライヴだった。打ち上げもその場で、夜風に吹かれながら、道行く人々を眺めながら・・・・。

その後、御贔屓酒場MACがけふで閉店、といふ事で顔を出してみん、とすが、なんと午前1時で表の階段にすら立ち寄れぬ、ほどのみちみちの来客。店の前で屯ってるヤツに、『お兄さん、入れんと思ふよ』と云はれたので、諦める。ぢつは、表向きはけふで閉店、といふ事だが、明日ごくごく仲の良い常連のみを秘密で招いて最後の営業す、みたいな事を聞いており、けふは無理せず、退散することにした。

26日(日)-----------------------------------------------------------------

しーシュの昼リハ。

日曜の昼にリハするなぞ、なんて贅沢な。まるで社会人バンドのやうだ。願わくば社会人バンドのやうに、午後から夕方までかけて練習し、そのまま居酒屋に流れ、宴会は早めに切り上げて、明日からまたビシと、と行くのがスジだが、まぁワシらはこれが仕事なので・・。

けふも2時間みっちし音だし。6月の「ライヴなし月間」は、かういふリハを綿密に進められたので、これはこれで必要な「空き」だったのだ、と思ふ。新曲も出来たし、細かいアレンジも詰めれた。さぁ、7月に向けて再始動!だな。

ワシはその後ひとりで、昨日入れなかったMACの「本当の最終日」に行く。なんとも懐かしい顔ぶれでいっぱいの店で、みなそれぞれの名残りを惜しんだ。ガイドブックや口コミで噂が拡がり、此所数年は若者と外国人でごった返してゐたMACだったが、けふは本当に「最初の頃のMAC」に戻ったかのやうなイイかんぢだった。逢いたい人が皆揃ってゐる、といふかんぢだった。そんなに「常連」を名のれるほど通った訳ではないが、それでもここで出会って友になった人もゐる。ライヴも沢山やった。ソロ、オルカ団、さんましら、スクーターズ、Far east lounge・・・・。

スティックのラムジィ、ヲルガン座のゴトウイズミ、マギィ、五十嵐進、いろんな人とアレコレ喋りながらづーっと呑んでたので、帰る頃にはだいぶ酔っ払った。でも行って良かった。逢いたかった人にぜんぶ会えた最後のMACだった。

マックさん、ゆりさん、お疲れ様でした。本当に良い店をありがとう。

27日(月)-----------------------------------------------------------------

ゆんべは楽しかった旨を女房に云ふと、『昨日全部聞いた』と云ふ。しかもお土産にアイスを買って帰り、それを食べながらさも楽しかった風に語った、と云ふ。さう云へば憶えのナイ抹茶アイスの殻がゴミ箱にある。ん〜〜〜・・・。

けふは「個人練習」の日。スタヂヲに篭り、ベースとギターとお唄の稽古。

夜はしーなさんの月例ライヴ「月間椎名」をふらんす座へ見に行く。今回も趣向を凝らし、お客さんを巻き込んで良いライヴを組み立ててゐた。しーシュの本番がなかったので、わりとじっくり準備できた様子。オモロかった。

今年の1月から始まったこの企画、ワシはこれまでいちをう皆勤。相方のライヴに足しげく通うなぞ、他所のバンドなどではどーなのかね?。けふは月曜なので行き易かったが、来月は仕事の都合でちょっと無理かな〜。

終演後、頭首ゴトウイズミと話す。昨日MACでも話した事の延長。「終わらないものなど何もない」といふ結論からしか、答えを導けないのだよ我々は、などと云った事を語り合う。外は大雨。プログレ・マスターのYさんと男二人、中華料理で打ち上げして、深夜バスに乗って帰った。

28日(火)-----------------------------------------------------------------

レッスンの後、オリエンタルホテルで椎名&フライデー。

けふはなんか目が疲れてゐたのか何なのか、えらいこと譜面が追い辛かったな。会場が暗い、てぇのもあるんよな。

帰り道、生徒さんから貰った30kgの玄米を、5階から抱えて下ろす。若い頃の日雇いバイトを思ひ出した。「コンクリ袋20kg×30を4階まで階段で」とかやってたなぁ。

29日(水)-----------------------------------------------------------------

仕事に要り用で、懐かしのダイアー・ストレイツ「Money for nothing」をアナライズす。

マーク・ノップラーの特徴的なギターリフが、今聴いても斬新な印象を与えるこの曲は、ぢつはすてんぐがバックコーラスだったりす。

当時隆盛を誇ったMTV(ミュージック・ヴィデヲ)を痛烈に批判した歌詞なのだが、逆に当時最新のCGを使ったMTVが話題になり、世界的なヒットとなった、といふ訳分からん作品だったりす。「当時最新」とは云へど、現在となれば専門学校の入試ですらパスできさうもないチャチぃCGだが、『よぉ、MTVでギター弾いてりゃ億万長者だとよ、見ろよこのチャラチャラしたヤツらを』みたいな内容と相まって、当時も楽しく見た憶えがある。

曲のほとんどがリピートと、ぼそぼそしたラップのやうな唄、と印象的なサビ、だけで出来てゐる。コピーしてみて分かったが、ベースなんぞ2パターンしか動きがない。まぁオモロい曲だし、中級前、くらいの生徒には息抜きになって良ささうなので。

MTVの隆盛により、極東の島国の、しかも西の地方都市に住むワシらが、よぅやく「動くアーティスト」を当たり前に見れる時代、が来た訳だ。正直、マドンナなぞ、MTVでそのセクシーさをアッピールせんければ、あそこまで売れたかどーか微妙なところであり、さういふ意味では、ミュージシャンが「ルックス」を無視できなくなった時代の幕開けでもあったのだ。

30日(木)-----------------------------------------------------------------

久しぶりのWADAバンド朝練。

このバンドでは初めて「歪み系」のえへくたを使ってみたが、ん"〜〜〜〜歪み系ッて奥が深いねぇ。このジャンルのえへくたが、今もづッと改良されつづけてゐる理由が分かる。歪みには「これでオッケー!」といふ完成形、がないのだね。勉強せねばね。

けふはそのまま帰宅せずに、ソロ練習→レッスン、と流れ、夜はオリエンタルホテルでの孤独な営業「吟」。けふは総じてお客さんが少なめであり、2ndステージは30分丸まる常連Hさん御夫妻の貸切り、といふ形となった。以前、この状態になった時にも、律儀に予定してゐたナンバーを通してしまひ、『もっとフレキシブルにやれば良かった』と悔やんだ前例を踏まえ、けふは予定のラインナップを無視。自分のオリジナルや友人の唄、バーテンさん達が好む唄、などを即興で構成。カウンターや厨房からも拍手が起こる、と云ふ微笑ましい「ライヴ」となった。

終演後、Hさんと少し呑み交わし、またスタヂヲに戻り、着替えてチャリを漕いで帰宅。よぅ唄い、よぅ弾き、よぅ動いた壱日だった。


7月へ