March
簡単入院記

3日:入院。二人部屋に独り。寒い。看護婦のTさんと云ふ人がモロにストライクゾーンである。

4日:手術日。滞りなく進む。麻酔の痛みほとんどなし。手術も2時間程度で終了。あとはひたすら麻酔が切れるのを待つ。

5日:午前中でカテーテル撤去。車椅子による移動が許可される。同室に若い兄ちゃんが入ってくる。

6日:麻酔の副作用で頭痛ひどい。ギプスが外される。熱もあり、手術痕はズキズキと痛む。

7日:世間的には日曜日。上チャン夫妻、見舞いに来てくれる。屋上に続く踊り場でベースの練習開始。

8日:リハビリ開始。筋力を落とさない為の数種類の運動と、膝の可動域訓練。良好。

9日:1/3荷重訓練開始。松葉杖での歩行が許可される。高校時代の友人が見舞い。

10日:経過が順調なので16日に退院が決まる。正直、ちょいと拍子抜けした。

11日:5月にクアトロの出演が決まる。オルカ団のかをりと楽器店の店員、面会時間ギリギリになって生徒がふたり見舞い。

12日:小林のカシラが見舞い。前回の入院でも一緒だったSさんと云ふ可愛らしいマダムがまた入院してゐる。「寄寓ですね」と笑ふ。

13日:1/2荷重訓練開始。佐伯優&椎名まさ子夫妻見舞い。快気祝いに四川料理に行く約束。

14日:一日中wowwowを見てゐる。車検屋からtel。えらい高額の見積もりを出されて唖然。ホンマかいな?。

15日:入院患者としては最後の一日。TVでやってゐたアニメの音楽にテルミンがソロ楽器として使われてゐて驚く。

16日:退院。直前に全荷重訓練。考えた末、松葉杖は返して退院することにした。


とまぁ、結構あっさりした入院でございました。まだ痛いですよ。


三週目

3月15日(月)-----------------------------------------

いよいよ明日退院といふ日。看護婦の大幅な人事異動があるらしく、一昨年の入院から顔馴染みだった看護婦さんがごっそりゐなくなる、とか。そんなときに退院するてのは、なにか縁を感じるやうな気が・・・・。

TVでアニメをやってゐる。設定が突拍子もないアニメによくある、もどかしいくらい話が進まんタイプの、延々状況を説明してゐるやうなストーリィだったが、音楽が良い。シンセをバックに、チェロのやうな、ヴィオラのやうな、気持ちの良い中低域の持続音がメロディを奏でてゐる。その音が全然途切れない。えらい息の長いボウイングだな、と思ってゐるとその音がいきなり3オクターブ駆け上がった。「お!?」。擦弦楽器の音だと思ってゐたそれは、テルミンの音だった。なるほど、上手くやればかういふ使い方ができるのだな。

16日(火)----------------------------------------------

退院の日。am11:00には次の入院患者が入ってくるので、早めに出ねばならん。今回はあんまり友達も出来なんだが、まぁ顔見知りの人にささっと挨拶だけしておく。同室の若い兄ちゃんは、日中ほとんどベッドから降りることもなく(ションベンにすらあまり行かんかったな)、TV見て、マンガ読んで、夜も消灯後はすぐに寝て、イビキもかかず、まぁ理想的なルームメイトだったと云えやう。

妻と一緒に荷物を持って退散。ウチまで15分くらいのモノなので、歩いて帰らうとしたが、いきなり悪路と常識を知らん車のドライヴァーに悩まされ、やむなくタクシーを拾う。一旦ウチに帰って荷物を置き、ささやかな快気祝いとして昼飯にパスタを喰いに行く。2週間ぶりの『味の濃い食い物』である。美味い。病院にゐるとさうも思わんかったが、やはり歩くとまだかなり痛む。かばって歩いたせいか、腰まで痛くなってきた。

17日(水)------------------------------------------------

やはり我が家は良く眠れる。が、さすがに入院中づっとam6:00に起床だったので、まだ身体がそれを憶えてゐる。7:00には起き出して、ベース弾いたり、ストレッチやったり。散歩もしてみたが、やっぱりかなり痛い。松葉杖を借りたまま退院すべきだった、と後悔。

午後からスーパー銭湯に行く。2週間ぶんのアカを落とす。塩サウナ&薬湯露天風呂、またサウナ。風呂上がりの抹茶アイスも忘れずに。帰り道、ホームセンターに寄って杖を買う。これでちっとは楽になるだらうか。ついでに買い物。鏡に映る自分の姿は、スキンヘッドにピアスに杖、といふ異様ないでたち。

夕方から夜にかけて作曲に勤しむ。入院中、青写真に仕上げておいたやつをMTRに録音。リズムパターンの打ち込みから始めて、キーボード、ギターの順番で録ってゆく。メシを喰うのも忘れて没頭。オー仲々格好エエのが出来たぞ。いちをうオルカ用だが、ワンコードなんでソロでも演れるだらう。『不知火』と命名。

18日(木)-------------------------------------------------

トミ藤山さんがウチに来られた。

トミさんは日本唯一の女性ヨーデラーである。『アルプスの少女ハイジ』のテーマソングの冒頭ヨーデルの所を唄っておられる。さう、誰もが知ってるあの『ヨーロローエラいッヒヤらイッホエやヒホ』といふあの曲だ。

何故かやうな人がワシのウチに来たかと云ふと、ワシの東京ツアーのサポーターである久保田涼子といふ唄うたいの卵がゐる。彼女の師匠に当たる人の縁で、涼子&トミさんの西日本ツアーが発動したわけだ。で、まぁ退院したばかりのワシを様子を見がてら、涼子がトミさんを連れてウチにやってきた、と云ふ次第。とてもパワフルなおばさまで、ベトナム戦争時に米軍基地を慰問に行った話など、貴重な体験談を聞かせていただいた。修羅場中の修羅場をくぐり抜けてきた人である。

夕方からリハらしいので、中心街まで二人を車で送って行った。

19日(金)--------------------------------------------------

ダメだ、だうしても朝6:00に目が覚めてしまふ。まぁ自然に目が覚めるのはイイのだらう。早くから散歩に出かける事にした。ついでに有効期限が切れかかってゐたプリペイド携帯のカードを買っておく。

散歩から帰ってもまだ8:30。ベースを練習。1時間かけて基礎運指。ワシはいわゆる『曲練習』とか云ふモノは一切やらぬ。自宅でやるのは基礎的なリズムトレーニングと運指練習だけ。あんまり練習し過ぎるとかえってヘタになる、と思ってゐる。あとは作曲に勤しむ。『アユタヤの風に乗り 溶けてゆけ』と云ふフレーズが元になって1曲完成。7/8拍子に3連系のキメが入る久々の難曲である。今のオルカでできるかな?。ところでアユタヤってどこだっけ?。

夜、くだんのトミ藤山&久保田涼子のライヴに行く。@nimaと云ふお店。ギターは昔ラテンバンドで一緒だったピョン吉こと梅原新太。

さてトミ藤山さん。初めてお見受けしたが、唄もさる事ながら、マーなんとギターが上手ぇのなんの!。『私のはバックギターだから』とか云っておられたが、バリバリにソロは弾くわ、そのバッキングもぢつにシャープにスウィングするわ、女性であんだけ流暢にギターを操る人は、はっきり言ってほとんど見た事がない。ボニー・レイットかジョニ・ミッチェルか、そのくらい。凄い。

小林のカシラ共々ステージに上がって唄わせてもらひ、打ち上げにも参加。バイクで行ってゐたので酒は飲めず。昨日もよう喋っておられたが、けふはさらに三割り増しぐらいで喋りまくるトミさん。何せ朝6:00に起きたもんだから眠くてかなわぬ。


四週目

20日(土)-------------------------------------------

イラク戦争開戦一年目といふことで、世界同時運動としての平和集会に参加。広島原爆ドーム前で、約二千人を前に、Far east loungeで演奏。かういった集会やデモへの参加はやってみんと分からん事もある。ワシはもちろん戦争にも、テロにも、自衛隊の派遣にも、軍事国家への緩やかな移行にも反対である。だが、『戦争三悪人』としてブッシュ、ブレア、小泉を吊るし上げる姿勢や、参加者の誰かが云ってゐた『善良なイラクの人達をニッポンの自衛隊が殺しに行く』といふ仮想悪を作り上げる考えには、全く賛同出来ない。それと同じ考え方が、多分テロを起こし、その報復を起こしてゐる、と思ふのだ。

かういう意見は慎重に発言すべきだ。慎重の上にも慎重を期し、大切な事をひとつだけ云えば良いのだ。『私は戦争に反対する(私は戦争に参加しない)』と。

夜、ドリフのいかりや長介さんの死をニュース速報で知る。奇しくも、ドリフ全盛期の放送を収めたDVDボックスセットのリリースを見届けたかのやうなタイミング。

21日(日)----------------------------------------------

本来なら結婚記念日なので、恒例の小旅行なりに出かけるところだが、けふは仕事。アクターズスクールの春の発表会。生徒達は良く頑張ってゐた。入院の為、後半ほとんど関わってなかったので、打ち上げに行く資格ナシと自分で判断し、帰る。

いかりやの長さんの死を悼む声が、各方面から取り上げられてゐる。ドリフの他メンバーからのコメントには、不覚にも涙が出てしまった。おそらく日本では、初めてステージの中央に立ったベーシストであった。御冥福をお祈りします。

22日(月)----------------------------------------------

なんかめちゃくちゃに寒い。車検に出してゐた愛車『ぐすたふ』が帰って来た。なんやかんやで結構高くついた。『人間で云ふと80歳くらいですね』とのこと。次の車検でいよいよ・・・・かなぁ。

こないだトミ藤山さんのライヴで飛び入りした時、声が全然出なんだことが気になった。さう云えば最近ちゃんと声を出してないな、と思ひ、弾き語りの練習のためスタジオに入る。案の定、始めはちょっと唄えば咳が出る。徐々に咽をあっためて行く。低いキーの曲から、段々と高いキーへ。2時間弱、歌いまくった。

ヒーリングシリーズ、と云ふ事で、またそのテのミュージシャンの本を読んでゐる。宮下冨実夫著『癒しの音を求めて』。まぁまぁ面白いのだが、其処此処に「天上」だの「天界」だの「奇跡」だの「気」だの「グル」だの「神殿」だの「不滅の霊魂」だのと云った言葉が出て来て、思いっきり胡散臭い。ワシはクリスチャンであって、音楽で人を勇気づけたり癒したりできればいいなとは思ってゐるが、音楽と信仰は繋がるべきではないと思ってゐる。

23日(火)-----------------------------------------------

右膝複雑骨折、最後の診療である。経過は良好。まだ痛みは残ってゐるが徐々に薄れてゆき、また走れるやうになるだらう、とのことで、晴れて『完治』の御墨付きを頂いた。足掛け3年に渡る大きな怪我であった。良かった良かった。

夕方、小林のカシラが演ってゐる、広島Pステーションラヂヲ「そるそるチューズディ」にゲストとして出演。来週に迫ったさんましらの広島ライヴや、春から夏にかけての異種間コラボレーションライヴシリーズやらの告知。コーナーが終わってもそのまま残り、カシラとアシスタントと3人で番組を進行する。やっぱりラヂヲは楽しい。ワシもいつかはDJ(最近これの意味合いがチョイと違うが)ぐらいやれるやうになりたいものだ。

24日(水)------------------------------------------------

退院して一週間、全く仕事をせんままの日々。まぁ今は療養中と云ふ事で人もそのやうに見てくれるが、むか〜し仕事がなかった時代、昼間ッからぷらぷらしてゐるワシを多くの人が『よく厭きないね』と云ったものだ。厭きないんだな、これが。入院中とかも『ヒマで死にさうなんぢゃないの?』とか云われたりしたが、ぜっんぜん。

かう云ふ時に「時間があるから創作に没頭して・・・」ともあんまり思わないね。人間は生産的な事をすりゃいいってモンぢゃないのである。時間が空いたのなら、散歩したり、空を見たり、風を感じたり、音を聴いたり、ナンボでもやることがあるではないか?。ヒマだなんてとんでもない。そもそも『やる事がないとイライラする』なんて云ってるやつに限って、大した事やってないぜ。よく居ないかい?キャンプやハイキングに、サッカーや野球のセット持ってくるやつ。あぁ云ふの勘弁してほしい。崖から突き落としてやりたくなる。外的な要素に頼って時間を埋めやうとするなんざ、文化的レベルが低い証拠。

夜、東京のくどうげんたさんにTel。来週のライヴの打ち合わせ。ゲンタさん『唄う気』になってる。

25日(木)--------------------------------------------------

仕事の空き時間に、近所にあるYMCAのスポーツジムに入会しに行く。一昨年の怪我以来、走れなくなったので、怠け癖がついてトレーニングを休む事が多い。かういうところは月々ナンボかかかるので、さうすればカネが勿体無いからやる気になるだらう、と思ったので。このジムには10年ぐらい前(サラリーマン時代)に来てゐたが、音楽で喰う気になって会費が払えなくなって辞めたのであった。ここは自由に使えるサウナやプールもあり、仲々ヨイ。

仕事を終え、このたび友人が開業したバァへ飲みに行く。本人も、まだ経営のノウハウも何も分からず、とりあへずやってみます的なオープンでどーなることやら、と云ふが、友人としては応援したいものだ。ライヴもできる店で、楽器も置いてある。ビールとポテトを頼んでみたが、結構大きめのザルに一杯に盛られて出て来たポテトには仲々感動した。おっさんの客がギターの弾き語りをはじめやがったので、帰る。

ウチに帰ると妻が熱を出して寝込んでゐる。びっくりするぐらいの高熱が出てゐて焦る。39℃を越えた体温計てのを、久々に見た気がする。

夜、京都の豊田勇造さんから電話。5月に広島に行くので、またベース弾いてね〜(京都弁で)、とのこと。勿論OK。楽しみだ。

26日(金)----------------------------------------------------

朝、起き抜けの妻の体温、39.5℃。発熱は好転反応とは云ふが、これはさすがにまづいのではないかっ。医者に行くと云ふ。歩いて5分くらいだが、途中でぶっ倒れてもアレなので着いてゆく。診察を受けてゐるらしい声など聴こえてゐたが、そのうちに看護婦さんが出て来て『奥さん、点滴を射つことになりましたから1時間ぐらいかかりますよ』とおっしゃる。で、独りで帰った。

レッスンの前に、昨日入会したジムに行ってトレーニング。初日なのであまり無理はせずに、軽いモノをやっておく。サッカー教室か水泳教室か、犬猫以下の行儀の悪いガキと、これに躾の出来ぬその若いバカ親どもが、受付ロビー休憩室を占拠してゐて、うざったいこと甚だしい。独り残らずタンを吐きかけてやりたくなる。今が春休みだから、と云ふ事であってほしい。年中こんなんぢゃ会員制のジムに来る意味があまりないではないか。

レッスンの後、ギターの弾き語りの練習。1980年(!)にオフクロに買ってもらったワシの最初のギター。当時2万円といふモノだが、いまだに良い音がするのだ、これが。これ使おうかなぁ。


27日(土)-----------------------------------------

女房の熱は下がったやうである。医者では『風邪』と云われたらしひが、高熱が出た以外は症状なし。彼女は、あまり体力がある方ではないので、イムフルエンザなどに罹ってしまふと結構大変なことになるのだが、今回は杞憂に終わって一安心。

ワシは仕事。アクターズスクール前期末のレッスンは試験なのだ。毎回ナニをやるべきか悩む。譜面を渡し、読める読めぬに関わらず、メロディを読み取れるか、といふことをやった。センスの良いやつは勘でやってしまえるものなのだが、仲々だうしてみんな苦戦してゐる。かういうのは日頃の積み重ね。いかにちゃんと『聴いてゐるか』である。楽器にしても同じことで、聴いた音をすぐ拾えぬやうでは、まだ楽器に触ってゐるだけで、本当に練習出来てゐるとは云えぬのだ。

まぁそれは師匠であるワシの責任なのだが。

28日(日)--------------------------------------------

広島平和公園そばのラウンヂカフェで、毎月行われてゐるらしひ『水辺のコンサート』にFar east loungeで出演。幸い好天に恵まれ初春の光と風の中、気持ちの良い演奏をすることが出来た。ソロを演るつもりで用意してゐたが、ワシらの前の出演者が退場する時、ワシのえへくたーにつまづいて盛大に踏み付けてくれよった。「おいおいマジかよ」と思ったが、案の定、コンセントの接触部分が折れ、使用不可能。くよくよしててもしゃあないので、気を取り直して演ったが、あの場でソロが出来なんだのがちょっと悔しい。

前も主催者にベースをぶっ倒されたり、じつはついこないだも、他のミュージシャンのローディーにアンプを壊されたことがあったりして、ちょいと勘弁してくれよ、と云ふかんぢである。今回のにしても、まぁ不可抗力だから本人を責める気はあんまりないのだが、ステージに上がればもうちぃと慎重に動けよ!と云いたい。値段的に云っても、それこそ何十万って機材が無造作に置いてあるんだしよ。

相撲で云やぁ、曙の付き人が、貴乃花の化粧まわしにタバコの焦げ跡つけるって事だからな。

その夜、椎名まさ子トリオの打ち合わせ。ついでにワシの快気祝いをやってくれると云ふ事で、女房も合流して、お馴染み四川料理の『老四川』にて宴会。風邪が治ったばかりの女房も「薬膳!」と云って良く喰ってゐる。ミュージシャンは恐妻家か亭主関白かのどちらかで、このやうに夫婦同士で付き合える友人てのは、ぢつはあまり居なくて、これは結構嬉しいものだ。アメリカの映画などでは、エグゼクティヴ同士が妻をエスコートしてホームパーティーなぞに興じる姿が良く描かれる(その後不倫に発展するパターンも多いやうだが)が、アレって結構憧れなんスけどね。

29日(月)---------------------------------------------

朝、ゲンタさんから『本州上陸』といふ知らせが入る(ゲンタさんは所用で熊本から広島入り)。長距離運転御苦労さま。ワシはゆんべの酒のせいかだうなのか、えらく身体がだるくて仕方ない。午前中ジムに行ってさっぱりしやうと思ってゐたが、やめておく。

夕方からゲンタさん、川島を迎へてさんましらのリハーサル。ゲストにも来てもらった。営業以外での共演は久しぶりのシバちゃん、相変わらず「痒いところに手が届く」といふより「痒くなる前に何とかしてくれる」ギタリスト。結構ややこしい曲の初見も、全く問題なし。オルカのかをりもパーカッションで参加。シバちゃんかをりとも、ゲンタさんとは2002年のツアー以来久しぶりの顔合わせである。明日のライヴが楽しみ。

リハ後、何やら身体がダルく、熱っぽい。ヌー、昨日の酒のせいだと思いたい。

30日(火)-------------------------------------------------

早めに寝たおかげで、体調はまづまづ。予定では会場入りの前に軽く泳いでサウナっておくつもりだったのだが、大事をとってやめておく。

4:00に会場入り。アクースティック編成とはいえ、パーカッションが3人も居ると、ロックバンドより音がでかい。ははは、こりゃオモロイわ。この頃ワシは、ほとんどのライヴを座って演るやうにしてゐるのだが、かうするといい具合に力が抜けて良い。と云ふより、Jiveといふハコの環境に慣れきってしまってゐるのかも知れんが・・・。

いつもさうだが、ライヴの日は、特に日記に書くやうなことはないんだな。やるべき事はリハでやってゐる。後は楽しむだけ。「ライヴとはリハーサルの段階で九割終わってゐる」と誰かが云ってゐたのを見た記憶があるが、ある意味確かにその通りだな。特にワシは「ああすれば良かった」とか「あそこが悪かった」とかを一切考えない主義なので、ライヴが終われば、すべて『良し』なのである。楽しかった。オモロかった。お客さんもいっぱい来てくれた。みんなお疲れさま。ありがとう。

31日(水)---------------------------------------------------

女房と休みが重なった日は、よくランチを喰いに行く。野菜の惣菜を中心にしたバイキングで昼食。ペットショップに寄る。発情期で気が立ってゐるジリスを、ケージの外からつついて遊んでゐる黒服のニヤ男の集団がゐたので、すれ違いざまに肩を思いきりぶつけて、睨み付けてやったが手応えなし。隣接してゐるカラオケボックスかなんかの店員らしい。弱いものに強い下衆な人間の典型の顔をしてゐる。

帰宅すると、去年の東京下北沢地下室の会ライヴで御一緒した、TKプロジェクト斉藤昌人さんから留守電が入ってゐる。米倉千尋といふ女性シンガーのバックで、広島に来てゐるので会えないか、とのこと。ぢつはなんとも寄寓なことに、昨日のライヴ後にゲンタさんが『去年の地下室の会に出てたTKプロジェクトとジョイントできねぇかなぁ、シュウ君アプローチしてみてよ』と云ってゐたのだ!。その当人から連絡があるなんて!。あの時たった一回だけ会った風来坊のベース弾きを憶えてゐてくれたとは!!。

といふ事で強いえにしを感じ、ライヴを見に行く。楽屋に通してもらい、打ち上げにも参加させて頂いて、メンバースタッフの皆さんとお好み焼きを喰う。ヘラで喰う広島焼きのスタイルを絶賛される。「なんでヘラでそんなに器用に食えるの?」とのこと。なるほど、ワシらは当たり前にかうやって喰うけど、他所の人からしてみれば変わってンのか。キーボードの人がチャレンジして、唇を思いっきり火傷してゐた。インド人が熱いものを平気で手でこねて喰うのと一緒やね、とワシが云うとみんな笑う。

斉藤さん、ジョイントの件を快諾してくれて、それどころか『こっちからお願いしたい!』とまで云ってくれた。ありがとうございます。なんとも不思議な一日だった。


翌月