October


1週目


10月1日(金)---------------------------------------------

チーマーにボコボコにされる夢を見て、4:00頃目が覚めてしまふ。けふは専門学校なので・・・、と思ってると、大遅刻する夢をみて、また目が覚める。結局、えらく寝不足のまま学校へ出かける。バイクがえらく揺れるな、と思い、見てみるとパンクしてゐる。タイヤが擦り切れてしまってゐて、こりゃあタイヤ交換せねば治らぬだらうな。アー!!また出費が嵩むぅ!。

東京のゲンタさんから電話。来年の1月に決定しかけてゐたキキオンのライヴレコーディングが、事情により少々先延ばし、といふ話。地下室の会のライヴと抱き合わせでスケヂュール組んだから、レコーディングが中止となると、地下室のライヴの為だけに上京する、といふちっとばかりややこしいことになった。

今週、久しぶりにライヴもリハも無かった。オルカ団の新曲を作りたいのだが、どうも取っ掛かりが悪い。久々にスティングなど聴いて「アーかう云ふシムプルなのもいいな」とか思ふ。ソロ用の曲も新調したいし、やりたいことだけは沢山ある。しかし家にゐてぢっとしてると、つい本など読んでしまふ。つくづく、現場に出ぬとダメなタイプだな、と思ふ。


2週目


2日(土)-----------------------------------

朝、久しぶりにアクースティックベースを持って河原に行き、野外練習。5弦が邪魔である。練習を終え、ベランダでこれまた久々にヨガ。こんなの毎日やんなきゃ意味ないのにネ。

アクターズスクールの時間割りが変わり、少し遅めの授業時間となる。新入生ひとり。これがまた小3だって。ハー、やれやれ。トダミチが屋久島の旅行から帰って来ており、土産に屋久島焼酎をくれた。奇しくも同じ時期に、ワシの行きつけのバー「KOBA」のスタッフの連中も屋久島に行ってたやうだが、ニアミス。

3日(日)---------------------------------------

生徒の発表会の為のリハーサルで、1日カン詰め。しかも朝が早い。7:30に起きると、耳の後ろがズキズキする。ワシは頭痛といふものをほとんど知らぬ人なのだが、これは数少ないワシの頭痛。しかもほぼ確実に、あとで発熱する徴候なのである。ヤバい。頭痛薬だけ持ってとりあへず現場に行く。機材セッティングにしゃがむ度に、耳の後ろに激痛が走る。これはたまらん、と薬を飲むと、てきめん眠くなって来る。ホコリのせいか鼻水も出はじめる。アタマがぼーっとしてきて、なんか腰に力が入らぬ。

夕刻までなんとか頑張る。講師演奏のリハも終わり、少々の会議。いつもはこの後、大抵みんなで飲みに行くのだが、けふはパスさせてもらふ。ウチに帰り、軽く喰ってすぐ寝る。やはり7度少々、熱が出てゐる。

4日(月)-----------------------------------------

慢性的に眠りの浅い人間(ワシだ)は、体調が悪くなると、よけい眠りが浅くなる。ゆんべも長時間寝たわりにはあんまり熟睡できてない。熱は下がってゐるが、なんとなくふらふらする。ボーっとしながらメールを開けると、友人ミュージシャンからのメール。ワシがサイトで公開してゐる内容についてのクレーム。ボーっとしながら取り合へず指摘された内容を削除し、本人にはお詫びではなく、説明のメールを打つ。何故ワシがそのやうな事を書いたか、真意はなにか、批判の気持ちなど全くない事、など。

時を同じくして、ワシへの批判めいた匿名のメールを発見。先日のクアトロを見てのことらしい。シンクロニシティである。ワシは結構辛らつな事を云うし、書く。それは自分が云われる、書かれる、ことも意味してゐる。自分の日頃の言動などを鑑みても、なにか云われたり書かれたりする事は覚悟してゐる。だからまぁ気にせぬやうにはしてゐるが、やはり批判されるとひどく落ち込む。ワシは「批判されると燃える」とか云ふ、訳の分からぬ前向きさは持ち合わせておらぬでな。

強くならねばならない。関わる全ての人や物事を、優しく受け止める事ができるまでに。

5日(火)---------------------------------------------

先日、生徒と雑談してゐて、映画「バトルロワイヤル」を見たが意外にとても面白かった、と云ふやうな話をしたところ、女生徒のひとりがガイド本(って云うの?登場人物の詳しいデータやら、作中で語られぬ舞台設定とかが書いてあるやつ)を貸してくれた。こんなのが出るくらい、あの映画って人気あったんやね。知りませんでした。

この日、教室を開いてゐる楽器店の近所で殺人事件が発生。自宅で寝てゐた女子高生が、侵入して来た何者かに刺殺される、といふ痛ましい事件。犯人が逃亡中とかで、全講師に生徒と会場の安全確保に努めるやう指示が入る。生徒もさる事ながら自分も気を付けなきゃなぁ。先日、マグライトとしても使える特殊警棒を入手したが、こんなの持ち歩いてたら逆にワシが疑われるか?。

殺された女子高生が通ってゐたのは、東京で活動中のワシの弟子川島弘光の卒業した高校である。

6日(水)-----------------------------------------------

オルカレコーディング。そろそろ大詰め、と云いたい所だがさにあらず。欲を出してる訳でもないんだけどね。けふはゲストミュージシャンとして、ヴァイオリニストにして、カシラこと三代目春駒小林一彦の奥方、オタマ女史を招いての録音。

オタマ女史はソロでリサイタルを開き、それがまた狭くない会場が満員になるほどのバリバリ現役人気ヴァイオリニストではあるが、完全にクラシック畑の人で、かう云ふレコーディングは初めて。ヘッドフォンを付けて大音量を聴きながら演奏する、と云ふ状況に相当面喰らってゐる。音がデカいとピッチも取りづらい。それは同じフレットレス楽器を弾くものとして良く分かる。

『アドリヴは全然出来ませんので・・・』と云ふことなので、ソロまでびっちし書き込んで渡してゐた楽譜を、よく練習してくれてゐて、感謝。本人も仲々納得行くテイクが出ずに苦しんでゐたが、なんとか夕方前にはオッケー。女史の送迎をかをりにお願いして、ワシは残ってカズイとサウンドコラージュを仕上げる。最終的な録音とミックスダウンは11月に持ち越される事になった。

かうまでレコーディング期間が長いと、果たして自分が正しい事をしてゐるのか?といふ疑念が湧く事がある。ましてや先日のやうに匿名で批判されたりすると、やってゐること全てが無駄なのではないか?と思ふ事さえ、ある。

7日(木)--------------------------------------------------

今後、オルカ団が『会場で、十分なサウンドチェックが出来ない状況』に直面した時の為、個々の音出しから、自然に曲につなげて行けるプロローグのやうなものを作らうと思ったが、アタマをひねってゐるうちに時間切れ。レッスンに行く。久しぶりにチャリで行ってみる。

9:00までレッスンの後、オルカのリハ。MIとまちゃが来て、喋ってゐたが時間になってもかをりが来ぬ。けふがリハだと云ふ事を忘れたか?と電話してみても出ぬ。ダンナの店の方に電話しても誰も居らぬ。なんかあったのやも知れぬな、と残る3人でリハにならぬリハを、とりあへず、やる。2時間近く経っても来ぬので、これは絶対になにかあったのだ、大きな事でなければ良いが、ここ数日、広島は物騒で・・・・などと話してゐると、そのかをりから電話。以下、その時の会話。

ワシ:もしもし、かをり、大丈夫か?
かをり:シュウさ〜〜ん(泣きさうな声)!!
ワシ:なにがあった?大丈夫か?
かをり:寝とったぁぁぁ!!

ちゃんちゃん!

この後、スタヂオにやって来たかをりが、ねちねちと皆のいぢめに遇った事は云ふまでもない。まぁ事故でなくて良かったが、心配して損したよ。ライヴが終わったらなんか奢らせてやる。

その後、カフェ楽座に行く。けふは博多はドリームボートの店長淳平さんと、東京はテキーラサーキットのSHIMEさんのデュオライヴがあったのだ。リハがあったのでライヴを見るのは無理だったが、久々に淳平さんに会いたかったし、九州ツアーの相談もできるかな?と思ったのだが、ワシが行った頃には淳平さん、すっかりべろんべろんで、『オォォォ!シュウちゃん!久しぶりィ!』と云って握手した後は、ソファにひっくり返ってグーグー寝てゐる。打ち上げ参加者全員がひとり一曲づつ唄うハメとなり、『彼岸へ』を唄った。アメリカン大好きな人達の中で唄われた「彼岸へ」に、座は完全に「引いて」ゐた。ダメですかね?これ。

8日(金)----------------------------------------------------

朝から冷たい雨。女子高生刺殺事件、発砲による殺人、と、ここ数日やけにバイオレンスな広島で、また事件。ワシの家から1キロも離れてない所で、不動産会社の事務所に銃弾が撃ち込まれた、と女房からメールが入った。ナントつい20分前にそこを通ってゐるのだ。なんなのだらう?この不穏な空気は。特殊警棒を携帯しておく事もオーバーではないのではないのか?。いや、特殊警棒など役には立たぬかも知れぬ。

専門学校の授業後、けふはスタヂオでレッスンなので、トレーニングはやらぬ。久々に『ペッパーランチ』で昼メシ。ほぼ1ケ月ぶりくらいの肉である。すっかり肉喰わなくなった。ここ数週間は根菜とか、茸とか、さういふものばかり。久々の肉食のせいで、しばし胸焼け。


3週目


10月9日(土)---------------------------------------------

特に何かあった訳でも無く、クスリを服んだ訳でも無いが、久しぶりによく眠れた。珍しくam10:00までぐっすり。昨日、帰り道で雨に襲われ、仕方なく置いて帰ったチャリンコを、レッスンに行くついでに引き取りに行く。

その後、久々にBobby's bandの打ち合わせがあるので、チャリで「うどんの脇田」へ。30分遅れて行ったら、もうみんな呑んでる。ちょいと練習しやう、といふ事だったのだが。まぁいいや、と鍋をつつき、酒を御馳走になる。帰り、また雨が降ってゐたが、そのままチャリで帰る。久しぶりに傘をさして自転車に乗ったな。高校生の時以来ぢゃないか?。

10日(日)-----------------------------------------------

でらしねの格好(ベースとコロガシとディパック)をしたまま、砂丘をものすごい勢いで駆け降りて行く夢を見た。

起き抜けに1時間ぐらいベースの練習。明日の発表会の為の譜面の確認。午後から女房と買い物に。カメラの電池、フィルム、村上春樹の新刊など。

11日(月)----------------------------------------------

祝日。インストラクターとして働いてゐる五日市ふちだ楽器店のコンサートである。ギターやキーボード、各科の生徒達が即席にユニットを組んで1曲づつ演奏する。ワシの生徒はかういふのに出たがらぬやつが多く、まぁワシも無理強いはしたくないので、去年はほとんどワシが弾いた。さうすると一部からクレームが来て(ワシはしかしいつも誰かからクレームを喰らってゐるな)、それに反論するのもめんどくさいので、今年は他教室から生徒を集めて出場してもらった。おかげで楽だった。

生徒も良く頑張ってゐて、充実したコンサートだった。講師演奏もよくウケた。打ち上げも楽しかった。けふは生徒と一緒になって楽しんだ1日である。秋のお祭りである。

12日(火)-----------------------------------------------

旅行。九州は大分、湯布院のはずれにひっそりと佇む温泉郷、湯平へ出かける。俳人種田山頭火が愛した、知る人ぞ知る秘湯の町だ。

ワシが山頭火を知ったのは、あのイヤらしい「金八センセイ」シリーズのどれか、川谷卓三が先生役をやってたヤツで、新任のセンセイが黒板に山頭火の句を書き、それについて生徒にも何か句を詠ませる、と云ふいささかたまらぬ設定でだった。

山頭火はいわゆる『五、七、五』の律に捕われぬ「無季、自由律」の俳人で、同じく自由律の尾崎放哉の句と比べると、なんとなくのほほんとした感じが強い。今で云ふとヒッピー風、ですらある気がするので、好きだ。

まぁそれはそれとして、要するに溶けるまで温泉に入りたかったワケよ。

新幹線と在来特急を乗り継ぎ、湯布院のもうひとつ先、湯平駅で下車。農協を兼ねた駅舎の周りには、見事になんっにもない。もちろん無人駅。駅前に立ってボーと見渡すと『湯平温泉→』と看板が立ってゐる。地図を見てもたいした距離では無ささうだ。歩くのが好きなウチら夫婦は何の迷いも無く、歩いて行く事にする。ところがこれがこれが!!。

距離的には確かに大した事は無かった。しかしその行程の8割が上り坂で、さらにその6割は、おそらくここ数年は誰も歩いた事がないだらう、と思われる苔むした舗装路。さらに地図では分からなんだが、山をふたつ越えるのであった。

1時間かけて、汗だくになりながら、それでもなんとか湯平温泉に到着。予約してゐた旅館『右丸(みぎまる)』を訪ねる。まだ若い女将が『まさか、駅から歩いて来られたンですか?!』と云ふ。

ここ湯平は、江戸時代に敷かれた石畳を、今も残す情緒ある町。川に沿って伸びる1キロもない石畳の町に、しかし旅館が30近く存在する。スノッビィな所は全くない。観光地ではあるのだが、町人はお世辞にも愛想が良いとは云えぬ。土産屋がニ軒。うち一軒は薬局も兼ねてゐる(ここで二日目に風邪薬を買った)。山頭火にちなんだミュージアムのやうなもの(無人)が一軒。カラオケもない。パチンコ屋もない。スナックもない。一軒だけある食堂も、ワシらが居る間は、遂に閉まったままだった。時間のつぶし方を外的なものに求める人は、半日持たぬであらう鄙びた町。ウチら夫婦には最高に面白く、滞在中、何度も何度も石畳の町を行ったり来たりした。

その日の夜、露天風呂に入ろうとして裸になった途端、猛烈な悪寒に襲われた。ヤバい、これは熱が出る前兆だ。慌ててお湯に飛び込み、とりあへず茹だるまで入ってゐる。その日はそのまま寝た。部屋のすぐ外が渓流になってゐて、せせらぎ、と云ふにはあまりに激しい流れの水音を聴きながら、ぐっすり。

13日(水)---------------------------------------

浴衣がびっしょりになるまで汗をかいて目を覚ます。お陰で熱は下がってゐる。朝食までに朝風呂。湯平自体がマニア向けの温泉地である上に、シーズンオフ、さらに平日、といふ事もあって、泊まり客はワシらしか居ない模様。女将も『お好きな時間にお好きなお風呂に入ってもらって結構ですよ』と云ふので、逗留中、とにかく入りまくった。

朝飯を済ませ、風邪薬を買いに行きついでに、町を散歩。特に見るものは何もないが、見えるものはいっぱいある。町並み、建物、石畳、路地、猫、山、川、空、風。ほとんど人がいない。山頭火ミュージアムに行き、旅行者の為に用意されてゐる墨で、句をしたためる。大学時代、国文学ゼミで俳句を専攻してゐた、といふ意外な過去を持つワシである。

旅に来て病むそれもまたよし

町に一軒だけある、といふバーは閉まってゐる模様。そこに附随するカフェもクローズ。食堂も開いてない。最終日に聞いた話では、週の中日は休みにする人が多く、これまたタイミングが悪い事に、たまたまこの日は、町内会の婦人会がこぞって旅行に出てゐた、とか。

旅館では昼飯が出ないので、少し困った。唯一オープンしてゐた、恐ろしく愛想のない土産屋で「いそあられ」を買って来て飢えを凌ぐ。ワシは昼の間、独りで外湯に出かけ、誰も居ない洞窟みたいな共同風呂で、ちょっとビビりながら湯に浸かった。夕方までに、更に3箇所の風呂に浸かる。どこも貸し切り。だ〜〜〜〜れも居ない。

晩飯の後、更に露天に入る。身体が冷えたら風呂に浸かり、暖まると出る、をくり返した1日。

14日(木)-----------------------------------------

最終日。起きたら女房は既に露天に入ってゐた。昨日より早い朝飯。チェックアウトした後、外湯に入る。もう一度、町をゆっくり歩く。けふになってカフェが一軒開いてゐたので入って珈琲を呑む。ママさんが「この町で、あなた達みたいにごゆっくりされる旅人はとても珍しいのです」と云ふ。この3日間、ひたすら町をうろついてゐた二人は、町の人も気になったらしい。広島から来た、と云ふと「わざわざこんな所に何しに来られたンですか?」と云われた。このママさんから上記のやうな、昨日今日と町が死に絶えてゐた訳を聞いたのだ。

週末は宿も一杯になり、バーもオープンして賑わふ、と云ふ。

「ぢゃあ次は是非週末に来ます」と云ふと、記念品をくれた。

それからさらにもう一度、外湯に入り、湯平を後にする。「気に入ったね」と女房と云ふ。

あれだけの目に遭ったのに、また、駅まで歩く。天気は良く、風は冷たいが日射しは暖かい。1時間かけて駅まで歩き、特急に乗る。と、それまでの旅情を一気に奈落の底に突き落とす、キョーフの『常識知らず湯けむり大声お喋りオバハン4人旅御一行』が居り、すぐ前の席で喋りまくる!。こやつらは、話題がなくても捜して喋る!。少し寝て、静かになったと思ったら、またすぐ起きて喋る!。菓子を喰いまくり喋る!。珈琲を呑みながら喋る!。喋る!しゃべる!シャベル!。

めまいがして来た頃、女房が『自由席が空いてゐる』と耳打ち。自由席に移り、やっとリラックス。指定席との差額分を九州鉄道に寄付してでも、移って良かった。

博多で新幹線に乗り換え、広島へ。ワシはその夜からレッスンがふたコマ。その後オルカのリハなので、そのままスタヂオに直行。

15日(金)-------------------------------------------

旅館ではあれだけぐっすり眠れたのに、ウチに帰ると、なにか寝つきが悪い。また不眠症の症状が出てゐるのか?。

不在の間のメールをチェック。20数件の広告メールが入ってゐて、削除済みアイテムが一杯。マトモな用件は一件だけだった。専門学校で授業ふたコマ。修理に出してあったバイクを引き取りに行き、買い物へ。2〜3日分の食材と酒を買い込む。

不在の間、何件か仕事の依頼が電話に入ってゐたらしいが、ケータイをづっとマナーモードにしてゐたので気付かなんだ。日記をまとめて書いてゐる間に2件電話。11月のライヴがふたつ決まる。ウーム、また忙しくなりさうだな。レコーディングも仕上げんといかぬのによ。今年中に発表できるンだらうか?。


4週目


10月16日(土)---------------------------------------------

ライヴの日。風邪なのかなんなのか知らぬが、身体がダルく、ぼやーとしてゐる。最近、ライヴを演る日に体調がバッチリだった事が、ついぞ無い。変に力まぬから、これはこれで良いのだが。けふは、アクターズスクールのレッスンを1.5時間繰り上げてもらひ、仕事してから会場入り。機材は昨日の夜中、先に運び込んでおいた。

会場入りすると、他のメンバーは既に音を出し始めてゐる。「いやいや、遅くなり申した」と楽器をセットする。楽屋になにやら長くてデカくて太い竿のやうなものが置いてあり、「なんやこれ、邪魔やなぁ」とか思ってゐたが、これが後にサプライズとなるとわ!。

けふは「オルカ団ライヴ」といふ訳ではなく、明日が誕生日なもんだから、ワシの所縁のあるミュージシャンに入れ替わりで出演してもらい、ちょっとわいわい楽しくやろう、といふワシのソロ企画。出演者はMichiko、カシラこと小林一彦、水木ツン、オルカ団。いちをう、それぞれは個別の活動をしつつ、それぞれが顔見知り、といふ人を選んだ。

いつもは大概告知メールを100件近く出すのだが、今回はそれをやらなんだ。宣伝活動もナシ。あえて口コミだけ。これが果たしてすごい客入りで、主にMichikoからの口コミで、なんかえらく低年齢層の子供達まで来てくれてゐた。ステージのワシの位置から見て真正面に、アクターズスクールの小学校高学年クラスの女の子達がぞぞっと座ってゐて、いつもと全然違うかんぢがしてオモロかったな。

ゲストの熱演もあり、ライヴは大いに盛り上がった。途中、MIがいきなり「Happy birthday」を唄いだして、何事や?と思ってると、なんとサプライズケーキが・・・・!。やられた!なんも気付かんかったが、コイツら陰で周到に用意してたらしい。つい先日23歳の誕生日を迎えてゐたまちゃにも同じくケーキの贈呈があり、店の方からシャムパンまで用意されてゐる。お客さんからも花束やらプレゼントやらを、両手に持ちきれぬほど戴き、ここ数年、女房以外の人に祝ってもらった経験のないワシは、はた目で分かるくらい動揺してしまった。

おまけに、先ほど楽屋で『邪魔や』と思った太くて長い竿は、なんとワシへのメンバーからのプレゼント、ディジュリドゥだった!。

なんとも・・・・・。心ニクい仲間達である。Thank you very much pal !。

あまり調子のよろしくない妊婦のMIを送りついでにまちゃとかをりも早めに退散し、カシラも帰り、ツンちゃんも生徒と飲みに出かけて、日付が変わり、残ったMichikoと2:00まで呑んで帰った。

かうしてわたしは39歳になった。

17日(日)------------------------------------------------------------

昨日が誕生日だったと思ってゐる人も多かったやうだが、ワシの誕生日はけふである。夜は女房と呑みに行く約束をしてゐるが、日中は久々の休み。半日ゆっくりする。

ウチの近所にある、いわゆるテーマパーク風居酒屋「ちゃぶ屋」に行く。昭和初期のブリキの看板や、古い酒瓶などがディスプレイされてゐて、まぁその手のイロモノ系の店かと思ってゐたのだが、仲々しっかりした料理と、各種の名酒を取り揃えてゐて、大いに気に入った。こんなエエ店が近場にあったとは驚き。立地条件はかなり厳しさうだが、つぶれない事を祈らう。

18日(月)------------------------------------------------------------

ゆんべは女房共々かなり呑んだが、寝起きはさほど悪くない。酒気の残りより花粉症による鼻づまりの方がひどい。

専門学校の授業をひとコマ後に、久しぶりにジムへ行く。ここ数年、下ッ腹の肥大が気になるので、そこら辺を引き締めるトレーニングを。ワシは大体3年周期ぐらいで痩せたり太ったりするやうで、前回一番痩せたのが退院直後。今はまた太る時期にあるやうだ。若い頃の暴飲暴食のせいで、おそらくはかなり内臓脂肪も付いてゐるに違いない。

ンなことを考えた割には、晩飯は「煮込みラーメン」とビールで『くわぁっ!』と云ふぐらい喰ってしまった。女子高生か、ワシは。

19日(火)------------------------------------------------------------

けふはナニかオカシかった。専門学校での生徒が、いつにもましてリズムが悪い。それは学校だけに限らず、けふ一日廻った教室の全ての生徒達すべてが、日頃できる事が出来なんだりした。磁場が狂ったりとか、さういうのでもあるんやろか?。台風が近付いとるせいだらう?と冗談を云ったが、あながち冗談のつもりでもないんだな。

満月の夜は殺人や自殺が多い、と云ふ。物語的に云々ではなく、統計でもさういふ結果が明白であると云ふ。経験から云っても、満月の夜はヂョギングしてても、スタミナがいつもより長く持続する。まぁ考えてみれば、海の水をあんだけ上げたり下げたりする月の力が、海水の成分に近いといふ人間の身体に、なにか影響を及ぼさぬハズがない。何もない、と考える方が不自然だらう。同じやうに、地球本体の何がしかの力が、ワシらの生活に知らぬうちに及ぼしてゐる事、も当然あるハズだ。

ワシらは、ワシらを取り巻く世界のことに、ぢつはあまりにも、無知なのである。

20日(水)----------------------------------------------------------

またしても台風。教室は休みとなり、1日オフとなる。

午前中、11月のジャイヴでやる個人企画のライヴの為、久々に腰を据えて曲作りを行ふ。ベース2本によるアンサンブル、といふ具体的なアイディアがあったせいか、極めて短時間に3曲のモティーフが出来上がった。いつもこれくらい集中出来れば良いのだがネ。以前、この日記でも触れたが、あの久石穣の作曲風景、といふのをTVで見たことがある。クラシックで使うやうな指揮譜を前に、15時間もの間ひたすら集中する姿に感動したものだ。

台風は結局、各地で甚大な被害を出しながら、日本を駆け抜けて行った。平成に入って最悪の被害状況だとか。

21日(木)---------------------------------------------------------

朝、河原に行き、ディジュリドゥの練習をする。ウーム、音は出るのだが循環呼吸が・・・・。昔、テューバを吹いてゐたが、あのクセでつい口でブレスしてしまふのだ。おまけにほっぺたは膨らませぬといかんし、ナニからナニまで西洋楽器と成り立ちが違う!。気長に練習するか。

昨日出来た曲のモティーフを完成させ、譜面にする。久しぶりに三段譜に書き込む。アクースティックベースギターと、エレクトリックアップライトベースの為の室内楽!。この段階で1曲ボツることにした。が、計2曲。上出来だらう。その後レッスンまでの時間にジムへ。

レッスン中、空き時間が出来たので、中古レコード屋に行く。ナント、ワシがドイツから直接取り寄せたジョナス・エルボーグのシリアでのライヴ盤「Aram of two river」があるではないかっ!?。個人輸入の手続きやなんやで結構かかったのだが、これなら¥1,000ちょいとで買えたのかぁっ!。しかしそんな事より、このCDを広島でワシ以外の人間が入手してゐた、といふ事が驚き。てゆーか売りに出すなや。

夜はオルカのリハ。この日曜日の野外イベントの為のラインナップを。良いかんぢ。オルカはこのライヴを最後にMIやんが産休に入るので、しばらく活動が出来ぬ。まぁその間、3人でぼちぼち古い曲の焼き直しでもやってるか。

22日(金)--------------------------------------------------------

朝早く、女房の父方のおばぁちゃんが亡くなった、といふ訃らせが入る。仕事があるワシは無理だが、女房だけ急ぎ帰省する。ウチのおばぁちゃんの時も二人して葬式に出れなんだワシらである。足腰を悪くして、晩年はづっと施設で暮らしておられたおばぁちゃんだが、ワシの事を先生と呼び、『いつか先生のピアノで唄を唄うんぢゃ』と云うておられた。可愛いおばぁちゃんだった。どうか、安らかに。

専門学校の授業ふたコマ。その後、私塾でレッスン。合間にジムで1時間トレーニング。

夜、カズイのスタヂオへ、オルカのラフミックスの音源を取りに行く。友人であるバッキー守岡とホカホカ5がレコーディングをしてゐる。ここのメンバーとは日頃ほとんど接点はないが、仲が良い。サックスの藤井政美など会ったのも2年ぶりくらいで、『いや〜元気にしとるかね?』とハナシになる。『バリトンサックス買ったけぇ、今度低音デュオ演ろーで』と云ふ。おぉよ。

オルカが産休の間は、この辺のジャズ系の連中と色々遊んでみやうかな、と思ってゐる。その第1段として11/12中野チカラさんとデュオ。例のアクースティックベースギターとアップライトエレキベースの為の二重奏、である。ちょうどチカラさんもゐたので、その譜面を渡しておく。


5週目


10月23日(土)---------------------------------------------

おばぁちゃんの葬儀の為、女房が帰省してゐる。よって昨日は久しぶりに独りの夜だったが、さすがに浮ついた気分にはなれず、ホカ弁を喰ってビール呑んでさっさと寝たのである。さうしたらえらく寒かったせいか、なんか起き抜けからかなり調子が悪い。風邪なのか、単に花粉症の秋バージョンなのか?。洗濯などしてゐるがくしゃみが止まらぬ。仕事に行って生徒相手にばたばたしてゐると、なんとか調子は戻ってきたが。

夜、だいぶ遅くなってから、折詰めを持って女房が帰宅。折詰めを二人で喰っておばぁちゃんへの供養とする。女房、さすがにくたびれ果ててゐるやうだ。人が死ぬと、とにかく周りは忙しい。だからこそ気を紛らわす事が出来るのだらう。ワシの前では気丈に振舞ってはゐるが、初孫として可愛がってもらった彼女には、やはりとても大切なおばぁちゃんだった事だらう。

ヒトは生きるごとに、他人の死を背負ってしまう。それでもワシらは死者を後に残したまま、先に進むしかないのだ。おばぁちゃん、お疲れさまでした。

24日(日)---------------------------------------------------

沼田町いきいきフェスタ出演日。直前になって会場入りの時間でモメたりしたが、2:30に一旦ウチに集まり、ワシの車に乗って行く。天気は良く、暖かい。が、これがクセもので、市内に比べて若干標高が高い沼田町は、日が陰って来るとあっと云ふ間に気温が下がるのだ。去年、相当寒い思いをしたワシは、皆に防寒を忘れぬやう、云っておいた。

さて、会場は例によって、良く盛り上がってゐる。会場に着くと早速、屋台を襲撃する。ワシはまづビール。つまみは・・・やはりお祭りと来ればアレだらう。ところがっ。なんとこのお祭りにはアメリカンドッグが売ってない!!。これだけの屋台が出てゐて、アメリカンドッグが無いとは、だういふ事だ?!。あのふうはりとした、少し甘い衣に安っぽいケチャップが染みて、はふはふと噛めば中からこれまた安っぽい魚肉ソーセーヂが・・・・・!!。あれが、あれこそがお祭りなのだ。アメリカンドッグのないお祭りなどお祭りではない。アメリカンドッグこそがお祭りの象徴であって、アメリカンドッグを中心にお祭りが動くのだ。アメ

さて、日が暮れ、だんだん寒くなって来はじめた頃、ライヴが始まる。先出は、JIVEでいつもPAをやってくれてゐるKoh君のバンド。若手のテクニシャンを集めてゐるな、といふかんぢ。みんな折り目正しく、良い青年達だ。

オルカ団はけふのライヴを最後に、MIやんの産休の為、活動休止に入る。その前最後のステージだ&お祭りだ。楽しく演らう。このところ準レギュラー化してゐるツンちゃんをパーカスに迎え、派手目のラインナップを30分!。演目はReturning/エトランゼ/不知火/エレクトリックシティボーイ/丘にのぼる時、以上5曲。予定に入れてたけど「美唄」は演らなんだ。お祭りだから100人中5人聴いてりゃ上出来だい。が、曲が進むにつれて段々、客がこっちの方を向きはじめたのがオモロかった。最前列のコドモがづーっと耳を塞いでゐた。へへへ。ざまぁみろ。

司会のねーちゃんが『山とか海とか、さう云ったモノが心に浮かんで来ますねぇ』と云うておった。うむ、良い感性をしてゐるな、おぬし。観客のウケもまづまづだったが、主催者にえれぇ好評だった。実行委員長まで挨拶に来てくれた。『来年は・・・・?』とおっしゃるので、『呼んで頂ければ来ますよ』と云ふ。ただ、アメリカンドッグの屋台は用意してくんなきゃ・・・(笑)。

オルカ団としては、取り合へず節目となるライヴを、良い形で終えられて嬉しい。その後、9:00ぐらいまで神楽やなんかを見て、帰る。まちゃがみんなで飯を喰いに行きたさうだったが、かをりが「ゼニがない」といふので、また日を改める事にした。

ワシはその後、仕事を終えて帰って来た女房と待ち合わせ、あんまり美味しくないラーメンと皿うどんを喰った。

25日(月)-------------------------------------------------

新潟中越地震。日を追うごとに被害が明るみに出て来る。続く余震。手際の悪い行政。いつにもまして遅い政府の対応。どー考えても、自衛隊はサマワよりこちらに派遣されるべきだと思ふのだが。

女房とTVを見てゐて、「備え」と云ふモノが、ぢつはあまり意味がない、といふ結論に達する。避難袋などを用意しては居ても、今回のやうに家屋や山が倒壊してしまえば、一緒に潰れてしまうし、食糧の貯えなども結局はすぐに尽きてしまう。必要なのは「生き延びる技術」なのだ。汚水を浄化する方法、火をおこす技術、暖を取る方法、効果的に栄養を摂取できる知識、さういふモノを身につける事が、ほんたうの「備え」だと痛感した。次は誰に順番が廻ってきてもおかしくないのだ。

被災地の方々に、一日も早く安らぎが訪れる事を、切に願ふ。

26日(火)----------------------------------------------------

雨。専門学校。先日、「作品展(文化祭のやうなモノ)が近いので、けふはあまり目新しい事はやらぬ」と宣言したせいか、生徒の半分が休みやがった。ふたコマ授業をやったあと、日頃は一旦ウチに帰るのだが、けふはスタヂオに直行。この週末に大阪でエキストラ参加するナカハラヒサロヲバンドの音源をチェックする。譜面に書くつもりだったが、かえってややこしくなるので、憶える事にする。シムプルなブルース進行の曲が多く、比較的楽である。さてさて、ナカハラさんの所望する「ロッケンローノリ」でイケるかだうか?。

一旦収まってゐたが、再び新しいベースをオーダーすべきか、思案中。ヌーム。

27日(水)-------------------------------------------------------

晴天。けふは昼からナカハラバンドのリハが入ってゐる。その前にジムで40分ほど筋トレやる。佐貫うどんで昼飯を済ませ、スタヂオDuckへ。大阪ツアーのラインナップをおさらい。ドラムは十数年前、ほんの一瞬だけ一緒にバンドを組み、その後、忘れた頃にひょんな所でひょっこり顔を合わせる、といふ妙な縁のある、同い年の内海くん。アンサンブルはまぁ問題なし。つくづく思うが、かういふ音楽をやってる限り、ベースってホンマにぢみなパートやね。

5:00に終了、そのまま車を飛ばして五日市へレッスンに。ナニカと理由をつけて断ってはゐるが、なんかここも生徒がだんだん増えて来よるな。ここは少し前まで生徒が全員女性だった。ので、毎週水曜日は、「上手く行けば野郎と全く口を利かない」曜日でもあったのだ。今は独りだけ少年の生徒がゐる。

28日(木)-------------------------------------------------------

昨年末以来の椎名まさ子トリオ関連の仕事である。クリスマスディナーショウの会場として、毎年使わせてもらってゐるブライダル会場「アヴェニュー」の新館がオープンし、そのお披露目に各界の著名人が招かれ、その場でワシらが演奏する、といふ、まぁ典型的な営業仕事。直前になって、ぢつは今回の仕事がトリオではなく、し〜なサンとのデュオである事を知る。パーカスのマー坊は仕込み、セッティングを終えたら次の会場で仕事らしい。最近、心身共に疲れてゐる、といふマー坊と少しハナシをして、『まぁあんまりキバるなや』みたいな事を云ふ。

さて会場の新館は、眩しくて目が眩みさうな白亜の建造物で、当然、まだ全然汚れておらず、かういふコトに嫌疑的な性分のワシは、『この壁にウチのイグアナの糞をなすってやったらオモロイやろな』とか不遜な事を考えてしまふ。

仕事はまぁ「聴く相手の居ない」音楽の典型と云ふベきか。しかしさすがは椎名まさ子。どんな状況でもきっちりと役割を全うする姿勢には頭が下がる(かういふコトを書くと、彼女は『わざとらしい世辞を書きなさんな』と怒るのだが・・・)。なんか軽く熱があるらしい、みたいなコトを云うてたが、ライヴの後は晩飯も御馳走してくれた。考えてみれば、一緒に演りはじめてから、マー坊抜きの二人で飯を喰ったのは初めてである。

29日(金)-------------------------------------------------------

けふは専門学校の作品展(文化祭のやうなモノ)がある日だが、ワシはナカハラヒサロヲバンドのツアーメンバーとして、午後から大阪に出発せねばならぬので、朝のうちに会場に顔を出し、生徒にハッパをかけておく。本番前に髪をいぢってる奴がゐたので、二人ほどモヒカンにしてやった。

さて、広島駅に行き、我ながら計画性が無い事に呆れるが、タマタマやって来た新幹線に乗り込む。自由席だがガラガラなので、これは良ひ、と思ってゐたら、それは『こだま』で、それでは4:00に大阪は千日前に入る事は出来ぬのであった。やれ、大変だと3ツ目ぐらいの駅で降り、後続の『のぞみ』に乗り換えたら、今度は自由席がギチギチに満席で、新大阪までづっと立ちっぱなし。

毎度思うのだが、『のぞみ』の自由席を3車両に限定する意図はどこにあるのだらう?。指定席はガラガラなのだよ。サラリーマンはケチらずに指定席取れや!とも思うが、にしても、あれだけ大量の指定席を確保してそこが利用されて無い、といふコトを知りつつ、JRは何故ナニもせぬのだらう?。民営化されて長く経つが、中身は昔のお役所仕事のままだ。

さて、電車を乗り継ぎ、無事、時間前に千日前のライヴハウス「アナザードリーム」に着いたが、メンバーがまだ来て無い。ワシはぢつは単独行動で、残りのメンバーは広島から車でこっちに向かってゐる。だうも渋滞に捕まってゐるらしい。

ケンタッキーで「御山椒チキン」を喰いながら待ってゐると、メンバーが到着。早速リハ。店内は広く、音響も良く、良いハコである。PAは女性の方だったが、これが仲々むっちりでセクシーで

今回の遠征、良く事情が分かっておらなんだが、以前ナカハラさんが個人的に広島に招聘したミュージシャンが、お返しに大阪に呼んでくれた、といふもの。ナカハラさん、良い活動をしてゐる。リハが終わったら早速飲みに行くあたりは、さすがに関西のミュージシャンでんな。

客入りは、はっきり言ってかなり寂しかった。

が、打ち上げは盛り上がった。その日の出演者全員でハシゴに次ぐハシゴ。4:00近くになってようやくお開き。通天閣近くのサウナに入る。けふはここで泊まるのだ。カネの無いツアーバンドがサウナに泊まる、といふのは良く聞いたハナシだが、ワシは初めて。結構わくわく。風呂に浸かり汗を流して仮眠室へ。大部屋にづら〜〜っとリクライニングが並び、100人近くの男達が寝てゐる。当然、そこかしこから地鳴りのやうな鼾が聞こえ、全然、静かではない。中でも『お前それはネタだらう?』と思うくらいの凄まじい鼾をかく男が1人ゐて、明らかに無呼吸症のそれは、部屋のどこに逃げても聞こえてゐた。運悪く耳栓も忘れて来た。仕方なくヲークマンを小さな音で聴きながら寝るが、それをもかき消す鼾ッ。

あまりにすごいので、顔を見てやらう、と思い、行ってみると、ずんぐりした男が、口と目を半分開けたまま寝てゐた。本人がものすごく苦しさう。あんた、病院行った方がいいと思うけどな・・・。

かうして大阪の夜は(朝は)更けていったのである。

30日(土)------------------------------------------------------

ついでに更新。凄まじい鼾は一晩中続いてゐたが、まぁうとうとぐらいはしたやうで、気が付くと朝8:30だった。9:00に退館しないと追加料金を取られるので、とりあへずナカハラさんを起こし、広島に帰る準備をする。けふはメンバーと一緒に車で帰るのだ。

10:00には高速に乗り、ひたすら西へ。途中ガソリンが底を尽きかけて、かなり本気で焦ったりした。交代で寝たり、運転したりして、午後3:00には広島に到着。ウチのアパートの階段を上りながら、えらく長い旅から帰って来たやうな錯覚に襲われる。が、昨日新幹線で広島を出発してから、24時間しか経ってゐないのだな。

女房は仕事に出てゐて不在。軽く昼飯を喰い、これを書き上げた。今からアクターズスクールのレッスンに行ってくる。

31日(日)---------------------------------------------

大阪ツアーとレッスンとほぼ徹夜のおかげで、さすがに良く眠れた。外も程よく雨が降り、惰眠を貪るには良い朝だったやうだ。それでもまぁ10:00には起きる。ベースが弾きたいな、と一瞬思うが、けふは休日、と云ふことでやめておく。けふはウチのオフクロの70歳のバースディを祝う日。

本当は何処かのレストランテで、ナニかイキなものを喰う予定だったのだが、オフクロが『(家から)出るんがたいぎぃ』と云うたので、ホームパーティーとなる。女房と夕方前の電車に乗って実家へ帰る。途中花屋に寄り、なんや綺麗な花カゴのやうなものを買う。会うたんびに小さく縮んで行くおやじとおふくろである。親父77歳、オフクロ70歳。

結構たくさん飲んで喰って、11:00頃、頭痛くなって帰宅。


翌月