5月 


1週目〜ツアー

1日(金)----------------------------------------------------------------

今回、広島〜大阪、大阪〜津山、とバス移動。津山〜広島を在来線で移動。ワンマンのステージ(2時間)が2日間で3回、と、ステージに立ってる時間も長く、なかなかにハードな旅だった。だが結局、新作も含め、作品は40点売れ、生臭い話ながら「金銭的にも」かなり成功した旅であった。この勢いで流れに乗って旅を続けやう。

ひとまづ、帰広。明日と明々後日、広島で演り、黄金週間はまた関西〜中部への旅となる。そして、行く先々で、次の行程も決まりつつある。

我らはしーシュ、生き急ぐ中年デュオ!。この身体が動くうちに、動き続けるよ。悩んだり、迷ったり、酔っ払ったり、生きざまを語ったりしてるヒマはない。「ボヤボヤしてたらスグ死んでまう(by 山田さとし)」、のである。

2日(土)即興集団「乱葛」@横川 ロマンティック・ホール-------------------------------------------------------------------

久しぶりの即興パフォーマンストリオ「乱葛」。

けふの会場は、横川商店街の怪しすぎるバァ「外国」の2F、「ロマンティック・ホール」と呼ばれるスペースにて。前に壱度演った事がある。なんだかんだって乱葛も始動5年目となる。だいぶ色んな場所で演らせてもらったぁね。かなりの小スペースなので、けふは「電気ベーシスト」といふ名前を返上し、アコベ壱本で演ってみる事にした。

宣伝の時間もあまりないし、といふ事でこの会場に決めたのだが、開演時間にはギューヅメ状態な盛況。前にここで演った時は、客席に入って行ってのパフォーマンスも出来たが、けふは無理。しかし3人がほぼ同じ場所でパフォーマンスする、といふ図式になり、これはこれで良かったのでは?。ワシも、弾いてて、フと目を上げると鼻先10cmくらいの処に、茜ちゃんのおっぱいや、オサムくんのケツがあったりして・・・(笑)。なんか「密」なかんぢで凄い良かった。たれか写真撮ってないかね?。

アコベも正解だった。滅多に手にせぬ楽器なので、流石に弾き辛かったし、ループも使えぬので、かなり局面的な演奏に終始する事になったが、上手く行った。茜ちゃんオサムくん、お客さんからも好評で、ホっとす。

茜ちゃんが西日本に来た時を狙って、の機で演ってきた乱葛だが、いょいょ東京でも演ってみぬか?といふ話も持ち上がりつつある。演るとなると・・・会場はどこだらうかねぇ?。今年中に実現できれば実現させてみたいなぁ・・・。

あ、会場に、なんと100年ぶりくらいに会う、仏陀のユッコ(Dr)がゐた。くり(Vo&Ba)や、ふみえ(Gu)は何度か会ってゐるが、ユッコはホンマに久しぶり。ので、終演後もひとり残ってユッコと呑む。相変わらず可愛くて変わった娘でナゴむ。よぅ一緒に遊んでた頃は、まだこの娘らって20歳そこそこだったんよなぁ、と。まぁワシも30そこそこだった訳だが・・・。

思へば、遠くへ、来たもんだ。

3日(日)------------------------------------------------------------------

此所数年『ボーズ(仕事ナシ)』の事が多かった黄金週間だが、今年はけふ5月3日のみ空き。あとは全てライヴが入ってゐて、しかも明日からは7連戦。「けふ壱日は休む」といふ大義名分を得て、ホンマに休む。ドアすら開けず、メシを喰ひ、本を読み、映画を観て、ラヂヲを聴く。

まぁ、いつもの仕事の入らない壱日と同じなんだが・・・。

4日(月)ぱんぱかトリオ@ブラッスリィ・ヴァンダンジュ------------------------------------------------------------------

ぱんはかフェスティバル、と題したライヴ@ヴァンダンジュ。

ヴァンダンジュはワシ個人的には3回めのライヴ。けふはしーシュの「出前セット」一式を持ち込んで。最近これにも慣れた感あり。

そして、例の「縦ベース」デヴー戦となるライヴでもあります。ぱんはかトリオで買いに行った物をぱんはかトリオで使う、といふ、まぁ理想的な。

店主ケンタとカワちゃんの宣伝と計画のおかげで会場は早い時間から満員。けふはあくまでぱんはかトリオの一人、としてなので、ソロの一曲以外はバックに徹し、カワちゃんをがっちり支える。

今たいへん良いかんぢにリレーション出来てゐるトリオ。けふも良いライヴが出来た。満場のお客さんは、ヴァンダンジュ絶品料理と音楽に大満足、のイベントだった事であらう。

縦ベー、は思惑通りのハマり具合でGood!。思はず、本来予定になかった曲も縦ベーで弾いたりした。よーし、戦力にして行くぞ〜。

まぁ明日からのツアーには、いつも通りカラス持ってくんだが・・・・。此処んところ全然触ってなかったんで、大丈夫かな?(笑)。


5日〜9日(土)までのツアー記

10日(日)帰広〜豊田勇造@広島 Otis!----------------------------------------------------------------

ゆんべは犬山の「珈琲ふう」に居候。

マスターの小川さんと3時半まで飲み明かし(大笑いの連続)、気怠いしーシュ。
けふは帰りの日だが、ワシはその脚で豊田勇造さんのライヴに参加することになっており、それに間に合うやうに。

しーシュと云へば在来線の旅、と思はれており、まぁ実際さうなのだが、ぢつは名古屋〜広島間は在来線と新幹線の料金差額が¥3000ちょいと、とそれほどのおトク感はないのである。18切符の時期ならばいざ知らず、今の時期に無理に在来線の旅をするメリットは、ほぼない。
ので、今回は急ぎでもあるし、新幹線を使ふ。

したらまぁ2時間と少しで広島に着。
その足でOtisに入り、2年ぶりの勇造さんと対面。
けふは新曲を中心にしたラインナップの半分以上を手伝わせて頂いた。さすがにまだ演り慣れてないやうで、勇造さんにしては珍しく「演り直す」なんて事もしてゐたが(笑)、相変わらず、力強く優しい唄の数々に、静かに盛り上がる良いライヴだった。

Otisのマスター佐伯さんは、ワシとの付き合い四半世紀目で初めて、ヴァネッサ以外の楽器(カラス)を使ってゐるのを見たらしく、そこに驚いておられた。終演後は『スゴくベースらしくて良いね』とお褒めを頂く。

まぁ、もぅすっかりメイン楽器としてもストレス無く弾けるやうになったしなぁ。今後もメイン楽器になりさうなフシがある。弾いて来た年数は少なくとも、共に移動した距離で云へば、すでにヴァネッサに近付くイキオイなのでは?と思ふカラスである。
実際、旅をするにはこの楽器のコンパクトさが、たいへんなメリットなのであります。

長い旅&深い打ち上げのあとに、帰広&直接入りライヴで、さすがにくたびれ果てた。やや早めに会場を辞して家に帰り、壱週間ぶりに女房と対面。

11日(月)----------------------------------------------------------------

ツアー後の残務処理。ジモに篭り、壱日デスクワーク。

朝、チョいと縦ベーに触れただけで、あとはギターもなんにも弾かず。まぁこんな日もある。

12日(火)----------------------------------------------------------------

独りしか居らぬ専門学校の生徒から欠席の連絡があり、期せずして休みとなった。季節外れの台風が接近してゐるからか、ふぇーすブックやつぃったーなんぞ見ても、調子の悪い人が多い。皆さん、お大事に。

ワシはいつものやうに、レッスン→FMの収録→企画会議。

企画会議ではいつも某ファミレスを使ふのだが、此所の店長さんとすっかり顔馴染みになり、色々と便宜を計ってくれる。まぁ、隔週で必ず行って、軽食を注文するなりノートやパソコン拡げてあれこれ語り合ってゐる、明らかにカタギではない中年の男女・・・。

憶えるだらうねぇ。

13日(水)----------------------------------------------------------------

旅から帰って来て、全然マトモに楽器に触っておらず、流石にマズからう、と、とりあへず縦ベの練習をす。

しかしまー、アルコ(弓)って上手くなれんねぇ・・・。これで流暢にソロ弾く人なんて、一体どんだけ練習を積み重ねてるんだらうか?。ワシのやうに『まぁ55歳くらいまでには弾けるやうに・・・』とか考へてちゃダメなんだらうねぇ。

まァ、ベースなのにセロの弓を使ってる時点で、全然ダメなんだらうけど・・・。

このテの縦べでオモロい人に、JOVAN Trobicaといふ人がゐて、上手いんだか下手なんだか(上手いんだらうが)良く分からんかんぢの多様性で、色々と変わった事を演ってゐる。一歩間違えば「イタい」かんぢになりさうなんだが、不思議な包容力を感じさせるベースである。かういふ人は、なんか無条件に好きだ。

14日(木)----------------------------------------------------------------

色々ポカをやったせいで、2ヶ月ぶりの参加となってしまった、WADAバンドのリハ。

昨日、楽器屋で昔懐かしの「サム・ピック(指輪のやうにして親指にハメて使うピック。一昔前のフォーク系弾き語りストの定番だった)」を発見し、けふはそれを使ってみた。これがなかなか使える。人生で一番ギターにのめり込んでゐた時期に使ってたアイテムなので、200年ぶりくらいだったが、不思議なほどスンナリ使えて驚く。これはイイ。今後ギターはこれで弾く事にしやう。

こげなヘタクソギターでも、メンバーからは「(リハに)居ないと全くかんぢが出なかった」と云はれて、嬉しいと同時に、シャっとせなイカンな、と思った。さう、ギターもシャっと弾く。ので、午後からスタヂヲに篭り、3時間も練習しちまったぃ。

15日(金)----------------------------------------------------------------

さういや此所ン処、ソロ(ベース弾き語り)を全然やってないな、と思ひ立つ。演りたい事がしーシュやSHU's(これもリハしてないな)で出来てゐるからだ。

そもそも、強いソロ指向があるか?、と云へばそんなでもなく、自分の造った唄を発現できるならば、フォーマットにはこだわらない。こだわらんのであらば、そらぁ独りよりチームで演った方が楽しいし、広がりがあるのは当然だ。ギターの弾き語りが板に着いて来た事もあり、今あえてベースのソロで演る必然性はない気がしてはゐるのだが、やはりこれもワシならではの表現には違いない。使わぬ刀も磨き上げておくが侍。

てな訳で6月、壱年ぶりに、宇部の「弟分」小田よぅねんらのやってゐる「華麗衆ナイト」に、ソロで出演する事にした。久しく演ってないソロを、あえてアウェーで。よぅねんにオファーすると「嬉しいッス」と返事。よっしゃ、これを期に三月に一回位のペェスで、ソロも演って行こう。

で、ソロの練習。自分で云ふのもナンだが、「らのえてぃあ」とか「ストロマトライト」とか云ふループ展開の曲も、「夜明けの海ごっこ」や「トゥアタラ」と云った純正弾き語り楽曲も、なかなかよく出来てゐる。うむ、これは演らずば勿体ないわ。演らう。


3週目

16日(土)------------------------------------------------------------------

背中や尻の皮がピリピリ感ずる、所謂「神経痛」のやうな・・・。シートン動物記「灰色熊の一生」で、老年期の熊が神経痛の痛みを天然温泉で治療するくだりを女房に説明してゐたりするうちに、夕方にかけて、そはハッキリとした「悪寒」に変わって来た。あら?。

しかし食欲も味覚もあるので、「発汗療法ぅー」とばかりに、衣服を着込みタヲルぐるぐる巻きな上に寝袋に入り、野菜中心のアツアツの鍋を喰って寝る。

17日(日)しーシュ週末遠征:神辺編ハイダウェイ----------------------------------------------------------------

「発汗療法ぅー」とばかりに、衣服を着込みタヲルぐるぐる巻きな上に寝袋に入り、野菜中心のアツアツの鍋を喰って寝たら、朝起きたら9度の熱が出てゐた。あら?。

これはたまらぬ、と休日診療の病院に行く。インフルエンザのテストを受け、「陰性」と出たので、まぁひと安心。だが、もらった薬を呑んでも、いっこうに熱が下がる気配がない。そもそも「頓服に」と云はれて処方されたのが、いつもワシが某かの痛み止めにフツーに服用してゐる鎮痛剤だったので・・・。救急とは云へ、やはり「小児科」ではダメか?。

ワシが8度以上の熱が出る事が稀で、ふらふらする。参ったなぁライヴなのになぁ、と思ひつつ、けふは申し訳ないがしーなさんに車を出してもらふ事にす。

外の空気を吸えば、とか考へてゐたが、それもダメで、症状は悪化の一途。30分おきに悪寒と発熱が波のやうに押し寄せて来るのが分かる。この季節なので、ライヴ会場も町の食堂も、混雑時にはもぅエアコンを回す。その冷気が身にコタえる。半袖の人達の中で、コート被ってガタガタ震えてゐる、と云ふぶざまな姿。注文したラーメンを「喰えなかった」事なぞ、人生で初めての経験だ。

レコ発ライヴにて、なんとか面目はツブさぬ程度のライヴはせねばならぬが、中盤からほとんど記憶にない。なんか曲を途中で止めたやうな気がするのだが・・・。スマイル、レゲエ、譜面のロスト、熱い、寒い、喉が痛い、タバコの煙がキツい、といふ、バラバラの印象しかなく、気が付けばしーなさんの車がウチの前に・・・。

ので、この日のライヴの感想があったら、たれか下さい。

18日(月)----------------------------------------------------------------

起き抜けの体温が39度。

朝イチでいつも使ってる内科に行き、昨日の経緯を話す。喉の奥を覗いたセンセイ『はァ・・これ痛いでしょぉ?』と。だが、救急外来で薬を貰ってるなら、それを呑んで様子を見なさい、との事。そのやうに壱日ぢっと布団にゐたが、やはり30分おきに寒気と発熱が襲いかかって来る。

喉が腫れ上がり、水を呑むのも痛い。だが脱水症上が怖いので、痛みを堪えて呑む。夜になっても状況変わらず。ヤケクソ気味で鎮痛剤を3倍投与す。したらよぅやく普通の「痛い」くらいになったので、約30時間ぶりにごくごく水を呑む。

寝る前の体温37.9度。

19日(火)----------------------------------------------------------------

起き抜けの体温38.5度。

もぅ笑うしかなく、てゆーか笑う体力もなく、ふらふらしながらまた病院へ。経緯を説明すると「ぢゃあ点滴しませう」と。30分くらいかけて抗生物質の点滴を受けると、嘘のやうに身体が楽になった。こんなに劇的に効くのなら「何故もっと早く打たないっ?!」と児玉清ふうのツッコミを入れるも、まだ熱は37度台をウロウロ。喉の痛みも相変わらず。

取り合へずレッスンには行く。この時点の体温37.5度。けふは二ヶ月ぶりに「椎名&フライデー@オリエンタル」の営業日なのだが、レッスン終了時に37度を切ってなかったら、休ませてもらおう、と思ってゐた。んで、まぁ、かういふ時には、かうなるのがワシの「業」で、レッスン終了時の体温36.8度。

立派に営業を努め上げた。かういふ時はコレで、とばかりに、所謂「元気系」ドリンクを呑んでみたら、塩酸を呑んだやうな(呑んだ事はないが)喉の激しい痛みに苛まれた。これはいけない。もはや喉粘膜はあり得ないほど焼けただれてゐるのだらう。友人に教えてもらった、経口補水液といふのを呑んで寝るのみ。これですら少し滲みる。

寝る前の体温37度。えぇぞえぇぞ。

20日(水)----------------------------------------------------------------

起き抜け体温36.8度。

よぅやく、まぁ平熱に近いところまで下がった。が、油断禁物。学生時代に似たやうな事があり、あん時もさしたる原因が分からぬまま高熱が出続け、日記によるとそはまる1週間続いたやうだ。しかもその時に出た熱は今回より派手で、日によってはなんと41度を超えてゐた。今の歳でそんな高熱が出たら生死に関わる。当時に日記にすら「死ぬのか俺は」と書かれてゐる。

抗生物質の点滴は3日続けねばならぬらしく、けふも病院へ。昨日はゾンビのやうに歩いたが、けふは普通に歩いて行ける。喉の腫れにつひてセンセイに問うと、火傷のやうなものだから、治癒するのを待つしかない、と。まぁさうでせうね。

ので、メシは相変わらず流動食しか喉を通らず、おカユのちょいとした塩気ですら、滲みる。それでもまぁ昨日までに比ぶれば全然マシなので、ちょいと通常業務などしてみるが、するとやはり37度チョイくらいには熱が出る。ぬぅむ、完治はしておらぬ。油断するべからず、である。

レッスン終了時、36.5度。知人ミュージシャンが広島に来てゐるのに、挨拶だけでも・・・と思ひはするが、明日は自分の本番。グと堪えて帰宅し、おじやを啜っておとなしく寝る。

寝る前の体温35.5度。よっしゃよっしゃ。

21日(木)----------------------------------------------------------------

起き抜けの体温35.5度。はァ・・・なんとか回復した、のかな?。3回めの点滴を打ちに病院へ行くが、センセイ「うむ・・熱が下がったンならもぅ良いでしょう」と放免。飲み薬を追加してもらひ、まぁいちをう「快復」と。

んで、居酒屋椎修。今回マジで下手すると「居酒屋椎名」になるところであったが、どぅにか開店に漕ぎ着ける事は出来たやうだ。ライヴのお題もリハもあったモンぢゃないが、まぁ演るからにはキチっと演る、のがしーシュ。料理も下拵えの要らぬものを準備して、早めにフラキズ入りして、綿密な打ち合せをば・・・。

開店壱時間くらいは5〜6人のお客さんで、あぁこらぁ病み上がりにちょうど良いわ、とか思ってゐたが、20時を過ぎた頃にまとめて御来場。あっと云ふ間に満員になり、料理もドリンクもフル回転。流動食しか喰ってないので力が入らぬで、フラフラしながら、だったが、これはこれで逆に病み上がりにちょうど良いリハビリ、と云へぬでもないか(笑)。後でしーなさんに『よく頑張りました』とおホメを頂く。

さてライヴの方も「出来るだけで上々」位に考へてゐたので、チカラも抜け、良いかんぢに演れる。唄の7割をしーなさんに担当してもらふ。デュオはこの辺も助かる。

終わってみれば、また今月も良い居酒屋であった。終演後には空腹を感じ、いつものやうに賄いを作ったのだが、半分も喰はぬうちに満腹になる。やはり胃が縮んでゐる。これまたこれはこれでダイエットと思へば悪くない。

22日(金)----------------------------------------------------------------

専門学校へ。病み上がり→居酒屋→職場復帰、と日々がめぐり、やはり身体の芯に力が入らぬかんぢがして、すげぇ疲れてゐる、といふ印象。まぁしゃあないね。

けふは専門学校を終えたら、旅の仕度をしてレッスンへ。レッスン会場からそのまま夜行バスに乗る、と云ふスケヂュールとなってゐる。レッスン終えたスタヂヲでのんびり本でも読みながらバスの時間を待つつもりでゐたが、けふに限ってレンタル・スタヂヲが満室。うるせーうるせー。おまけに利用者のタバコの煙でロビィはづっと煙ってるし・・・。まぁしゃあないね。

頃合を見てバス乗り場へ。先に来てゐたしーなさんと合流。久々に乗る名古屋行の夜行だ。弐階席の最前列を予約してゐたが、これが前が狭くて足を伸ばせぬ、といふ事が発覚。しまったなぁ。他に席が空いてりゃ移ろうか、とも思ってゐたが、満席。金曜の夜に、これだけの人数が名古屋へ向かふのか、と思ふ。まぁしゃあないね。

足は伸ばせぬが、前に席がないのが救いか・・。フロントに足を上げた行儀の悪い姿勢のまま、寝る。


4週目

23日(土)名古屋遠征:今野邦彦&和美 結婚記念パーティー------------------------------------------------------------------

病み疲れと、継続して呑んでゐる風邪薬、バスが発車してから呑んだ梅酒のお陰もあってか、車中泊にしてはぐっすり眠れたやうだ。午前7時に名古屋駅に着。けふは名古屋の「弟分」今野邦彦&山中和美の結婚式とライヴパーティーへの参加の為の名古屋行で、ちょいと早起きすれば新幹線で来れぬ時間帯でもないのだが、あえてバス旅にしたのだ。

人前式から参加。挙式→披露宴→ライヴパーティーと進む壱日行事に、丸々関わる。彼ら二人の人柄を偲ばせるやうに、全国各地から音楽家や仕事仲間が駆け付け、若いふたりの門出を祝った。来賓には一部上場企業の関係者も連なり、邦彦も和美もカタギの人間であった事を思ひ出す。ワシのゐたテーブルは「ミュージシャン席」で、そこだけ派手な色のスーツや着流し(ワシ)、ノータイに柄シャツ、リーゼントや長髪、といった怪人が集ってゐたが、式が進むにつれ、いちばん男泣きに噎いでゐたテーブルでもあった。

その後のライヴパーティーも和やかにハッピーに進んだ。誰も酔い乱れたりもせず、良い式典&パーティーだった。けふ壱日、邦彦&和美の幸せを「お裾分け」してもらってゐたやうな、本当にハッピィな日だった。あらためて、おめでとう邦彦&和美。君らの未来が友好と和解に満ちたものでありますやうに。

ワシはやはり本調子ではなく、式典のフルコースも、パーティーのオードヴルも、なかなかハシが進まぬ。ビールも苦味ばかり気になるし、ワインは酸っぱい。ので、甘〜いフィズの類いばかりをねぶってやり過ごした。3次会に流れて行きさうな人脈からさり気なく離れ、早いうちにホテルに帰って就寝。

24日(日)名古屋遠征:今池りとるびれっじ----------------------------------------------------------------

日曜の朝ホテルにゐる、てのは、ぢつは割と珍しく、久しぶりにTVを灯けてみる。「新・日曜美術館」をやってゐた。TVを持ってゐた頃、「見るべき価値のある」数少ない番組のひとつだった。相変わらず良い番組だった。サーヴィスのモーニングを喰ひに下りたところで、邦彦&和美にばったり。昨日、ちゃんと挨拶できずに別れたので、会えて良かった。昨日の3次会はなんと4時まで続いたのださう。行かんでよかった〜(笑)。

さてけふはライヴ。昨日の結婚式に合わせてブッキングした、りとるびれっじレコ発ワンマン。3月にノレンニゥー・デ・オッシと来たばかりで、正直お客さん来てくれるンかいな?と思ってゐたが、結構満席で嬉しい。ライヴ的にも遠征先でのワンマン、て事で、滅多に演らないカヴァーや、結成当初のオリジナルなども織りまぜ、たっぷりと聴いて頂いた。ダブル・アンコールまで来る、良い出来のライヴだった。

演目:毬藻ありマス/メアンキエリ/私はモナカ/誰かとGood luck/うねり/くちなわは語った/たそがれ/此岸之朱/バブの店先/風のとおり道/パスタ/山/コクーン/ジェラシィ/みみづく時計/砂に泣き/らくだ/おかえり/ひつぢは意外と気が荒い。以上シメて19曲。「パスタ」と「山」はwith 谷口幸至朗。

印象的だったのは、珍しくマスター幸至朗さんが終始正面カウンターに陣取り、づっと聞き入ってくれてゐた事。そして終演後『もぅしーシュ完璧やな』と云ってくれた。名古屋はワシがソロでゼロから開拓した土地であり、そこに「しーシュで」来る、といふ事の意味を、ぢつはづっと問われてゐたやうに思ふ。それに対して、幸至朗さんからこのやうな言葉が聞けた事は、我らが正当なデュオとして認められた事であり、深い意味がある。

進もう。まだまだ、この先へ。

25日(月)----------------------------------------------------------------

定宿「女将の猫ハウス(笑)」に宿泊。此所の猫達も成長し、だいぶ落ち着いて来たので、以前ほど夜中に悪さをされる事もなくなった。

けふは帰るのみ。在来線でのんびり帰るか、新幹線でさっさと帰るか、を協議した結果、新快速のある姫路までは在来線を使い、そこから特急券を買い足して新幹線に乗る、といふ折衷案で行く事にす。やってみると割と良い。適度な「長旅感」も味わえ、飽きる頃に特急に乗り換えてショートカットする、といふ感覚。¥2000くらいは安くもなる。今後、名古屋からの帰りは、これにしやう。

な訳で、西の空にまだほんのり明るさが残る頃、広島に着。たった二日の遠征だったが、えらく長い旅をして来たやうな気がする。

26日(火)----------------------------------------------------------------

熱に臥せってゐたせいもあるだらうが、この旅の間、えらいこと「体力の低下」を感じたので、朝のロードワークを再開す。

病院などで御老体を目にすると、やはり健康に長生きせねばいかん、と強く感ずる。「老い」は「老い」で良い。しかし「歩く事」にすら他人の力を借りねばならぬやうになるのは、やはり良くない、と思ふ。ワシの親父は、癌で臥せるまでは、自力でしっかり歩き、毎日買い物に行き、散歩もしてゐた。そのやうな将来の為に、いまを生きねばならんのだ、と云ふ気がしてゐる。

専門学校→レッスン→FM収録→企画会議。体調は八割がた復活。

27日(水)----------------------------------------------------------------

取り壊し寸前の古民家に、ジョージ・ハリスンの超レア音源が多数隠されてゐる、といふ情報を得て、それを発掘しに行く、といふ夢をみた。ワシは別にジョージのファンでもないし、夢の中でも『俺は別にファンではないが』と思ひながら・・・。

パルクールのやうに軽く宙を飛びながらくだんの古民家へ着く。弐階の天袋の中から、ビートルズの「あの」イラストでサイケに描かれたLPがたーくさん出て来て、「確かにこれはレアなお宝だ。専門店に売りに行こう」と考へてゐたが、同時に出て来た沢山のジョージやビートルズにまつわる「読み物」には興味を示し、「コレらは貰っておこう」と思ってゐるワシ。

変な夢だった。

ハタと気付いたら、けふのレッスン中、ビートルズのメンバーの特性につひて、生徒と語ったのを思ひ出した。『ジョンは偏屈でポールはポップ、ジョージはサイケが好きだった』みたいな話をした。それが夢に現れたのであらう。単純な男である。

28日(木)----------------------------------------------------------------

けふは友人のミュージシャン(♀)が縄で縛られてゐる夢を見た。

きのう寝際に、「変身忍者・嵐」やら「怪傑ライオン丸」やら「仮面の忍者・赤影」やら、に出て来るちょいとエロいヒロイン達・・・無意味にミニスカの着物で、時代劇なのにパンティを履いてゐて、不用意に悪の組織に捕まって、何故か縄で縛られたり、はりつけになったりする・・・・『山吹』とか『沙織』とかの画像や動画を見たからだらう。単純な男である。

レッスンにチャリで向かってゐたところ、前輪が突然「シュゥ〜!」と音を発し萎んだ。見るとタイヤが割けて大穴が空いてゐる。ナニカを踏んだ形跡もなく、これはやはり経年によるタイヤの劣化(去年、後輪が同症状で交換)だらう。まぁけふの処は手持ちもないし、そこら辺に捨て置いてバスに乗る。したらバスにはHobo&Kingのみゆきさんがゐて、偶然の邂逅におしゃべりが弾んだ。

みゆきさん、娘&息子が成長し、この夏で完全に親元を離れるさうな。ほぇ〜〜・・。みゆきさんと一緒にバンドを演ってゐた頃は、まだメンバー全員20代だったのだ。ワシの(親父の)車にメンバーぎゅー詰めになってあちこち演って廻った事は、昨日のやうに思ひ出せる。まさにコーイン矢のごとし。お互いまだまだ頑張って音楽演らうぢゃないの、と別れる。楽しい偶然だった。

けふはその後ちょいと嫌な事件があり、落ち込みさうになるが、人生はブルーズだ、と開き直る。

29日(金)----------------------------------------------------------------

けふは専門学校→個人レッスン。その前に昨日パンクしたチャリを自転車屋さんに持ってって修理。足ィ怪我したときのリハビリ用に、と買ったチャリなので、もぅ13年乗ってゐる事になる。ナニげに今まででいちばん長く使ってる乗り物かもしれん。

けふはその後、なんと23時から1ステージだけ、オリエンタルホテル「吟」がある。貸しきりパーティーが入るから、時折このやうな極端な事になる。ギャラは変わらんので、おトクっちゃおトクなのだが、やはり音楽家としては少々わびしい。ので、普段はMCなしで8曲演ればでだいたい30分、といふ配分で演るのだが、けふは最初から『10曲演らう』と決めてゆく。

喉の快復がまだ万全、には至らず、この現場のやうに「チョいと抑えて唄う」といふのが、なかなかしんどい。張り上げれば出るのだが・・・。ので、マイクを出来るだけ離して、ナマ声に近いかんぢで唄う。けふこそゴダンのフルアコを使おう、と思ってゐたが、やはり間際でビビり、いつものガットで演った。

ここの仕事、タマにはベースの弾き語りや、ほかのちょいと変わった趣向の事を演ってみやうかな?、と思ひはするのだが、ど〜もまだそこに至らない。基本的に「何を演っても自由」と云はれてゐて、御贔屓のHさん御夫妻も『タマにはさういふのも』と云って下さってゐるので、そろそろ演っても良い、ハズなのだが、ど〜も無駄にTPOを考へてしまふ小物なワシ。次回あたり、マジでちょいと変わった事、演ってみるかねぇ・・・。

30日(土)------------------------------------------------------------------

高田エージin広島、をしーシュで迎える。

これを演らせてもらへるやうになって、もぅ何年かねぇ・・?。思へば、旅で知り合って、広島に来てもらって、一緒に宇部に行って、横浜に迎えてもらって・・・。エージさんとは今年に入ってもぅ4回も会ってゐて、逆にけふパーカッションで参加してくれる「てっちゃん」こと小川哲弘(広島在住。しかも御近所さん)とは、去年のエージさん来広以来壱年ぶりの邂逅(笑)。

会場はお馴染み、お好み焼きの大松。早い時間から大入り満員で、熱気ムンムンの中、OAの「大松ロマンチカ」が先行。に続いてワシら。気負う事なく、独自の世界観を提示でき、また結構ウケて嬉しい。ゲストで入ってくれたてっちゃんのパーカスも相変わらず冴え、良いステージ。

その後エージさん登場。もぅそれだけで「持って行く」かんぢは相変わらず流石。今回は割と早い時間からワシらを呼び上げ、中盤以降はづッと4人の「バンド」としてライヴを繰り広げた。これが、自分で云ふのもナンだがなかなかに凄かった。今年3月にエージさんの本拠地である、横浜はサムズアップ----しかもエージさんのバースデイ・ライヴにゲストで出させてもらった時、ワシらはワシらのニッチを再確認した。あれは、思へばしーシュの新しい壱歩だったのだ。

しーなさんからも、「ベースが変わった」と云はれる。ワシもさう思ふ。よりシムプルに、より伸び伸びと、演れてゐる気がする。良いライヴだった。エージさん、ありがとうざいました。「次はいつ会うンだっけ?」といふ会話が楽しい。ワシは今月末に飛騨古川で、しーなさんは夏に浜名湖で、また、ハッピィをよろしくお願いします。

しーなさんが明日早いので、ワシらは打ち上げから早めに撤退。お客さんのほとんどが残ってエージさんを囲んでゐる光景は、なんかしみぢみ「良いなぁ」と思ふ大松であった。

31日(日)-----------------------------------------------------------------

けふは久しぶりのソロ。しかも「独弾」・・・、ベースのソロ・パフォーマンスだ。

といふのも、この春からリニュゥアル・オープンした新・ジモ教室。ここのイベント第一段として、講師によるデモンストレーション・ライヴを演らうではないか、と。目的は、まぁ新規生徒の募集に他ならぬが、まぁとにかく誰でも来てもらって、ジモの講師がどげなモンか、を見せる、と云ふね。

藤本よりお(ギター&ウクレレ)モンゴル松尾(鍵盤)キング増本(ギター&ハープ)上野友敬(ドラムス)、にワシ。といふ布陣で、それぞれが20〜30分の間になにかアッピールするものを演る、といふモノ。ワシはベースソロを始め、ループ使い、唄、民族歌唱、ギターなど、まぁ「見本市」のやうに。お客さんは知り合いばっかりではあったが、10数人は来てゐて、日頃ワシのソロなど見た事ない人等にも、そこそこ梶山シュウと云ふモノを提示できたやうに思ふ。

自分の出来としてもなかなかオモロく、あぁソロ・ステージってこんなかんぢでも良いな、と云ふ新たな発見にもなった。全体的にもみんな流石にそれぞれベテラン、「得意料理を持ち寄ってパーティーす」みたいなかんぢで、最後の講師全員によるセッションも楽しく、終わってみるとなかなか良いライヴ・イベントだった。始まりが17時、と早かったので、全部終わってもまだ21時、てのも良い。

打ち上げに流れるやうだったが、皆いかにも「お好み焼き」を喰ひさうな勢いだったので(笑)、ワシは辞退した。ワシは生っ粋の広島人だが、「イベントの〆のオコ」はもぅいいです。

6月へ