8月 


ツアーから
3日(月)東京オフ----------------------------------------------------------------

青春18切符を購入して、けふから明日にかけて小刻みに帰るかどーしやうか迷ってゐたが、めんどくさくなったのでやめ、明日新幹線で帰る事にした。ので、けふはホンマに壱日、怠惰な東京の夏を過ごす。日中はづーっと読書に耽り、夜はりょーこと、そぃから杉並のフリーライターにして旧友オノデラとの3人で飲みに出る。

まーぁけふ壱日、東京は地獄のやうな猛暑で、「外出を控えるやうに」との令も出てゐた。広島もどーなんだらうか?。考へてみたら、今回の旅が始まって一度もTVやネットを観ておらず、隔世の感!。

あ、ちょっと心配してゐたループマシン。幸い今回もトラブルなく、予備は予備のまま広島に帰って行けさう。今後もよろしく、て事で。

4日(火)---------------------------------------------------------------

さぁ帰るぞ。

昼前の新幹線に乗り、一路広島へ。8.6に向けて世界中から広島に人々が流れる中、新幹線はたいへん混雑するだらうな、と思ってゐたが、さにあらず。結構快適なゆったり旅で、4時間後には広島に着。猛暑はここでも。

あまりゆっくりする間もなくレッスンへ。ところがこの道すがら、イキナリ愛車「にっち」がおかしくなる。エアコンから吹き出す風が急に熱風に変わったかと思ふと、水温計が跳ね上がり、キナ臭いにほひが車内に立ち篭める。こ・・・これは!?。

慌てて近所のスーパーの駐車場に入れ、しかしレッスンの時間が迫ってゐたので、そのまま放置し、電車に乗り換えてレッスンへ。レッスン→FMの収録まで終えて後、しーなさんに車を出してもらひ、引き取りに行く。かろうじてエンジンはかかる。明日、修理工場に持ってくにしても、この調子では走れるかどーかも微妙。ので、夜の涼しいうちに出来るだけ修理工場の近くまで運んでおく事にす。

昼間ほどの暑さもなく、渋滞もないので、結果的にこれは正解だった。楽器店の駐車場を借り、明日の朝、工場に持って行く。

5日(水)----------------------------------------------------------------

さて、にっちだ。

けふも朝から凄まじい暑さ。近くまで運んでおいた、とは云へ、修理工場まで大丈夫かな、と思ひながらにっちを迎えに行く。工場までは約2Km。よぅし行くぞ!とキアイを入れて出発。信号待ちのたびにエンジンを切りながら、なんとか修理工場へ。だが、結果的にこの走りが、にっちのラスト・ランとなってしまった。

これを直す、となると、中古車が買えるくらいの値段になるらしひ。そして、記録を調べてみると、去年一昨年も、やはり夏のこの時期、10万円クラスの修理が必要なトラブルが続いてゐる。修理はお勧めできない、といふクルマ屋さんに従い、買い換えを進める事にした。

代車に荷物を積み換えながら、コイツで走った9年間を思ひ出す。にっちは2000年式。ワシの処へ来たのが2006年だった。その頃のツアーで使ったナニカの破片なども出て来て、感慨深い。私用で乗る事はほとんどなく、立派な商用車・・・「ツアー車」だった。今までよく走ってくれたな。ありがとう。

ちなみに「にっち」の前に乗ってた「ぐすたふ」は、同じやうな軽のバンで、これは1998年から2006年まで。この手の車は、ワシを例に出すまでもなく、大抵の持ち主が乗り潰すまで使ふので、中古が出ないのが泣かせ所。だが、ワシの中ではもぅ、車と云へば「軽のバン」以外はあり得ない。

さらば にっち。

6日(木)---------------------------------------------------------------

ここ数年さうしてゐるやうに、けふも朝は平和公園に行く。ナニかのデモ隊やそれを制する警察、ウザいマスコミや普通の通勤の人々、をすり抜けながら、原爆ドームの対岸に座り、ひとり黙祷の時間を待つ。そして8:15。1分間だけは、広島の街から鐘の音と蝉の声以外の、全ての雑音が消えた。あの静けさが、祈りのすべてだ。

夜は、奈良の朋友「ノレンニゥー・デ・オッシ」が広島に来てゐるのを見に行く。「幌馬車は行つた:西編」柴草玲、小林未郁との3マンツアー。コラボで全員がステージに上がると、ヤっさんだけが男だ。かういふのって、ハタで見るほど羨ましい状況でもなんでもない、てのぁ経験上知ってゐる。ヤっさんの心情やいかに?。

ノレン〜は、チカラが抜けてゐてとても良かった。最前列に陣取られて、さぞや演り難かった事だらうが(笑)、相変わらずの世界観を堪能した。かうして改めて客として見ると、ホンマに興味深く、オモロいデュオである。また一緒に演りたいものだなぁ。

その後は、8.6のシメに灯籠流しを見に行く。護岸に陣取ってゐるマスコミがウザいが、静かに漂う灯籠に、改めて祈りを捧げる。平和公園ではじまり、平和公園でシメた、50歳直前の8.6であった。

7日(金)-----------------------------------------------------------------

色んな事がうまく流れなくなってゐる印象。バッポン的な対策が必要となりつつある。まぁ50歳の「転機」なのかもしれん、と考へると・・・・・。

そんな中、約2ヶ月ぶりにSHU'sのリハ。パイグもエノちゃんも上手いな〜、と思ふ。かういふ若手を従えて歌える自分を、まぁ幸運だと感謝すべきなのであらう。見えない明日を不安がるより、眼前のテーマを解決してゆくしかないではないか。

カシラとしーなさんがやってゐる「ハルコマサコ」のライヴがJUKEであり、見に行きたかったのだが、レッスンの都合が合わずに断念。はるか太古に一度だけ、ワシとカシラのデュオで演り、しかしワシはまっっったく憶えてない「星になった少年」といふ曲があり、何故かしーなさんが、そのライヴ音源を持ってゐる。その曲を演ったらしひ。

良きライヴであったことを祈りたい。


お盆前

8日(土)----------------------------------------------------------------

車の買い換えに必要な書類を得るため、炎天下をチャリで奔走。

久しぶりに「ひとりジャムバンド」ケラー・ウィリアムスのDVDを見る。アコギを中心に様々な楽器をループで走らせ、ワンマン2時間を演り遂げるステージングは見事と云ふ他ない。・・が、何故見ててこんなにイライラするのだらうか?。独特の「オタクなオーラ」のせいなのか、それとも、にじみ出る「嫌な奴」感のせいなのか・・。

考へてみればワシも、ソロ、しーシュ問はず、ループの使用がパフォーマンスの重要な位置付けにあるライヴを演る。その事が、こんな「イヤな感」を出してゐるとしたら、ちょいと考へもんだ。ぢつは前にちょいと似たやうな事を云はれた事があって、ループの多用を否定的に捉える人も多いのは事実。ワシ自身も肯定し切れない部分はあり、日頃気を付けてはゐる。

ソロはまだしも、しーシュのライヴを、こんな感じにはせぬやうにしなければ・・・。

ところで、一時期ナニかのアイコンのやうに使われてゐた「ジャムバンド」といふ言葉。最近とンと見かけなくなったねェ。演ってる人はそんな言葉の以前から演ってたし、そんな言葉に踊らされて演り始めた輩は、所詮その程度、て事ですよ。

9日(日)-----------------------------------------------------------------

広島FM「Garage songs」チームの慰安会、といふ名目のキャンプに行く。

元はと云へば、ガレソン音響ディレクターで、音楽仲間でもある河野せいじが、「シュウさんキャンプ好きなら一緒にやりませんか?」と誘ってくれたのがきっかけ。せいじ本人は毎年やってるらしひのだが、今どき珍しく電気水道なにもない場所での「野営」なので、誰も一緒に行きたがらぬのださう。「シュウさんなら、あるいは・・・」と思ったのださう。

ワシもしばらくキャンプそのものから遠ざかってゐたが、さういふサバイバルなキャンプはホンマに久しぶり。そらエェね、とか話してるうちに、ガレソンのメンバーから「オモロさうだね」「俺も行こうかな」とか話しが出て、いっそガレソン・チームで行かぬか?と云ふ話しになった。

車数台に分乗し、途中、食料品や燃料やらを買い込みながら、山陰目指して走る。して河野せいじオススメの「その場所」は、地元の人しか知らぬやうな、まさに「プライヴェート・ビーチ」と呼ぶにふさはしい小さな浜辺であった。綺麗な海水と白い砂。「ひゃっほう!」てなかんぢで早速海に飛び込むワシ。此所数年はプールですら泳いでなかったなぁ。餓鬼の頃から「河童」と呼ばれた泳ぎ達者は健在で、日が暮れるまでづーっと泳いでゐた。他は魚釣りをする人、貝を掘る人、浮き輪で遊ぶ人、番組の性格を物語るやうに、各人それぞれ自分の好きな世界に没頭して過ごす。

山陰でしか見れない「海に沈む夕陽」を愛でつつ、火を熾し晩飯の準備。あっと云ふ間に真っ暗になり、その後はランタンとたき火の灯りのみ、となる世界。確かに、下手をすればパソコンの使用だって可能な、現代のオートキャンプしか知らぬ人には、なかなかハードな経験だらう。わざとランタンを消し、漆黒の闇の中で酒を呑みながら、あれこれ語る我ら。

ちょっと前までは、かういふシチュエーションだと、ホンマに朝まで喋ったりしてゐたモンだが、ワインも進んだ50歳直前のワシは、途中から完全に「おネム」状態。零時を待たずしてテントに入り、あっと云ふ間に爆睡。

10日(月)---------------------------------------------------------------

目覚めてみると、大半のメンバーは帰ってゐて、結局泊まったのは河野夫妻とワシだけだった様子。

おはやうビールの後、また泳ぎ、昨日とけふで、たっぷり過ぎるくらい日に焼けた。此所数年のキャンプ&海水浴不足を、一気に解消するかのやうなキャンプだった。

片付け終えて、広島に帰ったのは夕方。一夜にして真っ黒になったワシを見て、女房が笑う。

11日(火)---------------------------------------------------------------

しーシュのリハ。真っ黒なワシを見て、しーなさんも笑う。

この夏は珍しく、ぢつにこないだのツアー後まるまる2週間以上、ライヴのないしーシュ。ワシ個人的にも8月のライヴは8本だけ、といふ「夏休み」的な空白となってゐる。あまりよろしくないね。ので、リハはみっちし演る。まぁ、休止期間も要るっちゃ要る訳で、けふなどなかなか新鮮な気持ちで、日頃演ってるレパートリィに挑んだり出来た。旧曲の思ひ出しや、新曲の煮詰め、など。

けふのリハを終えても、しばらくしーなさんと会う予定はなく、「ぢゃあ文通でもしやう」と云って別れた(笑)。

12日(水)----------------------------------------------------------------

WADAバンドの朝練。真っ黒なワシを皆が笑うかと思ってゐたが、ベースのジュンゾーさんがもっと焼けてゐた。

けふは此所の練習でもゴダンのフルアコを使ってみた。当然ながらたいへんマッチする。メンバーにもたいへん好評。ん〜〜、このバンドでは、「二本刺し」で演るべきなのかねぇ。歌謡ショウのバックバンド演ってた時も、さういやギタリストはガットとエレキ、といふ二本刺しが当たり前だったな、と。

キャンプの話題から、WADAバンドでもさういふ「慰安会」のやうな事をやらう、と話しが盛り上がり、秋口に皆でピクニクへ行く事になった(笑)。

その後、向原までレッスンに行く。遠くの街までレッスンに行く、と云ふ行為は、なかなか嫌いではない。昔、三原までレッスンに行ってた頃も、「チョイ旅」をしてゐるやうで楽しかった。毎週、だったので流石に終いには飽きてしまったが・・・。

13日(木)---------------------------------------------------------------

世間は盆休み。女房もけふから休んでゐる。

ワシはまぁ普通に仕事。日頃から「働いてゐる」のと「休んでる」といふのが曖昧なので、かういふ時も曖昧なのだ。

レッスンの空き時間に、こないだのリハん時にしーなさんから「里子」として託された曲を練る。しーシュには「里子制度」といふシステムがあり、リハで演ってどーもしっくり来ない、といふ楽曲は一旦ワシが預かり、「全権委任」の元に大幅にアレンジ&作り替えをする。『紫の狐』『みみづく時計』『亀の庭』などがさうで、一旦はボツかなぁ、と思ったやうな曲が、割と名曲に生まれ変わったりするので、責任も重大。

久しぶりのしーなさんの新曲なので、メロディは優先したい。ので、けふはメロディを先に把握した後にコードをリハモす、といふ、ワシにしては珍しい手法でアレンジを進めてみた。2時間くらいかけて、(譜面上では)上手く出来上がった。次のリハで実際に音を出すのが楽しみ。

14日(金)-----------------------------------------------------------------

孤独な営業「吟」。

けふは「ど盆」だが、レッスンも入れてゐる通常営業。まぁツイデなので早めにスタヂヲに入り、声でも出しとくか、みたいなかんぢで軽い練習を始めたところ、ナニか興が乗り、けふ演る予定の8曲×3=24曲を唄ってしまった。よぅやく操れるやうになって来たフルアコにも乗せられたか・・・。

んで、その後レッスンをやり、オリエンタルホテルへ。お盆と云ふ事もあり、落ち着いたかんぢの客層で、常連Hさん御夫妻はじめ久しぶりにしっかり聴いてもらへた、といふかんぢの営業だった。ギターもえぇかんぢ。買ってから2年、よぅやく「戦力」として使えるやうになったか・・。けふはマイクロアンプで鳴らしてみたのだが、これも良かったのかな?。

昼間の練習と本番で24曲×2=48曲を唄った訳だ。10月に演らうとしてゐる50曲ライヴへの、良い布石ではある。まぁ、これよりは少々キツいだらうがね・・・。

なかなか良いライヴが出来て、けふは車ではなかった事もあり、Hさん御夫妻としばらく呑んで帰る。暑さのピークを過ぎたのか、それともただの季節の気紛れか、此所数日、夜風が涼しい。


3週目

15日(土)----------------------------------------------------------------

Kissのジーン・シモンズの大ファン、といふマスターがやってる「フォーク喫茶」があると聞いた。何故?何故ジーンのファンでフォーク喫茶!?、といふかんぢがたいへん気が合いさうで、是非行ってみたい店のひとつだ。

御大ジーン・シモンズ閣下は、ワシが当初期に影響を受けたベーシストの1人。ベース弾きながら唄う、といふスタイルに疑問を持たなんだのも、彼の影響である。彼と同じくベロの長いワシは、良く真似をしてゐたもんだ。当時の写真見る(あんまりないが)と、ベロ出してるのがほとんどで、オフクロに「莫迦の真似はすな!」などと叱られてもゐた。

その特異なキャラクターのみならず、ジーン閣下のベースはオモロいのだ。Kissの音楽がリフ主体、といふ事もあるのだらうが、他のバンドの楽曲と違い、単純なルート弾きではないベースのパタンは、弾いてて楽しかった。名曲「ラヴ・ガン」や「デトロイト・ロックシティ」(しかしまーなんちゅーベタで「ロックな」タイトルか!)のベースラインなぞ、シンプルながら、なかなか思ひ付かぬ、今聴いても感心するラインである。

ジーン閣下、ロック・ミュージシャンであると同時に、たいへん「やり手」のビジネスマン、として知られてゐて、ロックバンドにおけるキャラクターのロイヤリティ、といふモノを確立した人物でもある。さういふ処を見習えなんだのが、ワシの落ち度なんだらうねぇ。

16日(日)-----------------------------------------------------------------

女房の実家に、盆の里帰り。

義弟がなんの前振りもなく、彼女を帯同して帰省しており、明らかに動揺してゐる他多数(笑)。まぁ義弟もそこそこの年齢なのだから、さういふ事がある事自体は、全然オカシイ事ではない。が、無口ではにかみ屋だった義弟が見せるそのやうな姿は、たいへん微笑ましく、彼らの良き未来を切に願ってやまない。

さ、盆も終わりだ。フツーに仕事してゐたので、盆休みだった、と云ふ感慨は別にないが、明日から「世間が」通常営業を始める。

17日(月)---------------------------------------------------------------

SHU'sのリハ。10月17日の50曲ライヴの為の練習をしてゐるのだが、選曲がなかなかむずかしいねぇ。ソロで50曲唄え、と云はれた方が、案外あっさり演れるのかもしれん。まぁそれだと聴く人が飽きちゃうからねェ。まーなんつっても「未知の領域」に踏み出す訳だ。心してかからねば、ね。

今の処、「ベースソロで10曲」「SHU'sで15曲」「ギター弾き語りで10曲」「しーシュで15曲」で、のべ50曲、と考へてゐる。あー、なんかかうやって書き出してみたら、あんまり大した事ナイ気がしてきたな。よぅし、風のやうに演らむ。

18日(火)---------------------------------------------------------------

専門学校夏休み明け、ではあるが、本格的に8月で授業打ち切りが決定。8〜9月と休講となる楽器店教室と重ねると、ワシは「大手の」仕事を一気に二つ失うことになった。ちょいとなかなかシャレにならんな。マジで辛い。自分らで立ち上げた「ニュー・ジモ」も、いまだ回生の兆しなく、日々全く手詰まりの感あり。

現実を忘るべく作曲に没頭するが、やはりここはアルバイトを始めるべき時が、遂に来たのか、といふ思ひ。

一昔前に比ぶれば、バイトをする事自体に、それほどこだわりはなく、やらせてもらへる仕事があれば(ない可能性も高いが)、ちゃんとやる自信はある。・・・が、そんな事をするよりは、頑張ってしーシュやソロ、その他のライヴやツアーを増やし、よりコアな「旅の音楽家」として生くるべきなのでは?、といふ思ひも・・・。

まだ、悩む。

19日(水)----------------------------------------------------------------

ジモの経営会議→出張レッスン→しーシュのリハ→レッスン、とよぅ動く壱日。代車が活躍す。

しーシュのリハでは、こないだアレンジに奮闘したしーなさんの新曲を。頑張った甲斐あり、作曲者から『これよ!』と御墨付き頂く(笑)。

しーなさんからは『ハクション大魔王とアラレちゃんがミュージカルをやってるやうな曲にしたい』といふ、たいへんハードルの高い要望が出されてゐて、まぁそれに沿うやうに考へたつもりだったが、見事にクリア。随所に、過去のしーシュのナンバーをパクったフレーズがちりばめられており、まぁ「セルフパクり」といふか、さういふ、やや冗談めかした作りになってゐる。

もぅひとつの曲は、できるだけしーなさんが作ったまんまを生かせるやうに、リズムに躍動感をつける程度にとどめた。こちらも良いかんぢ。どっちの曲も「しーなさんらしさ」が出るやうに、と考へ、まぁ成功した気がす。しーシュのメイン・コンポーザー&プロデューサーとしては、なかなかの仕事が出来たやうでありますよ。乞うご期待!。

動きの多い壱日だったせいか、たいへん疲労し、久しぶりに風呂の中で寝てしまふ。

20日(木)---------------------------------------------------------------

打楽器の青木いくこさんとのセッション2回目。

ワシのソロアルバムなどを聴き込み、そこに打楽器を入れやうとしてくれてゐる姿勢は嬉しいのだが、それだとワシは、自分のソロを演ってる事と変わらず、むしろ独りで伸び伸び演れんだけ、窮屈っちゃ窮屈だ。いくこさんは楽しいかもしれんが、ワシは楽しくない。それではデュオを演る意味はない。

本人にさうハッキリ伝え、もっと偶発的なインスピレーションが発動するやうなセッションに方向をシフトす。よりフリーな部分が多くなり、「呼吸を読む」といふ局面が現れ、いくこさんは大変さうだったが、ワシはオモロかった(笑)。

その後レッスン。唄をひとり、ベースをひとり、ギターをふたり。貸しスタヂヲの方に、えらく上手いパーカスの集団が入ってるな、と思ってゐたら、むか〜しPICO界隈で活躍してゐたアフリカン・ジェンベ&ダンスの連中だった。おぉ久しぶり!と再会を喜ぶ。ギラついた若者たちだったが、そこそこに角が取れ、皆落ち着いた良いかんぢの青年になってゐる。健やかにあれ。

その後、広島に帰って来てゐる久保田涼子と、こないだの東京のイベントの打ち上げ。フライングキッズに連れて行く。店主マミコさんとりょーこ、「攻め」の女同士(笑)えらく気が合って、話しに花が咲いてゐた。

21日(金)-----------------------------------------------------------------

専門学校→居酒屋椎修。

この流れの為、けふは「家で仕込んで持ち込む」といふ事が出来ず、それに合わせたメニュウを考察。夏なのでそぅめんでも、と思ってゐたが、あんまり暑くもないので、こないだ安芸高宮でお出しして好評だった焼そばに冬瓜汁を打っかけて喰ふやつにした。

けふは居酒屋史上最少の動員。全員が「おひとりさま」での御来店。カウンター越しにお客さんとゆったり会話しながら、料理し、酒を出す、と云ふ、ふつーの居酒屋のやうで、これはこれで楽しい。ライヴもその流れを汲み、ゆったりまったりと「夏の終わり」をテーマに唄い、弾く。

しーなさんの新曲からひとつ、「遠い町」を早速お披露目。終演後、お客さんから『し〜なさんらしい〜!』と声が上がる。ワシもそれを狙ってゐたので、嬉しい。「サイドカーに犬を乗せて」に並ぶ、しーな叙情派曲、となれば良いな、と思ふ。

あと、この季節ならでは、お盆の唄「風早」を久々に演る。歳を重ねるごとに、この唄で思ひ出す人の数が増えて行くな、と思ひつつ。

けふは、なかなか選曲がオモロかったので列挙してみる。亀の庭/Dance/眠るとかげ/グッバイサマー/サマータイム/少年時代/遠い町/風早/びしゃもん台/わたしはモナカ/ことほぎの唄/此岸之朱。お客さんもじっくり聴き入ってくれて、たいへん良いライヴだった。

お客さんが少ないぶん、準備した材料も大量に余り、賄いを盛大に作る。ふたりとも割と空腹の限界に達してゐたので、常人では躊躇してしまふやうな山盛りの焼そばを、ペロリと平らげた。


4週目

22日(土)----------------------------------------------------------------

大阪に「呑みに」行く(笑)。

「イグアナ飼育者同士」といふつながりで、元々はイグアナ飼育の情報や報告を兼ねた交流会だったが、最近は純粋に「呑みの席」となってゐる。毎年夏には交流の場を持っており、女房は毎回参加してゐる。ワシは3年ぶり、だかに出席。西梅田のビルの屋上にあるビアガーデン。ビアガーデン自体が久しぶりで、喜び勇んで飲み喰ひす。中華バイキングだったので、麻婆豆腐など喰へたのは良かったが、さすがに「ピータン」は無かった(梶山シュウ弐大好物「麻婆豆腐」と「ピータン」)

いつもだいたい終電頃まで呑むのだが、流石にみんな歳喰って来てゐて、21時には終会。ワシは例によって既にオネム状態だったが、ホテルに帰ってすこし持ち直し、女房と「部屋飲み」。いつもとあんまり変わらんな、と思ひつつ。

23日(日)-----------------------------------------------------------------

けふは女房と別行動で、ワシはひとり兵庫県は朝来市「竹田城」へ行く事に。これを云ふと友人らみな『ハァ?』と云ふ。夫婦で大阪くんだりまで来て別行動する、と云ふのが不思議らしい。まぁいぃぢゃんよ。

竹田城=正式には「竹田城跡」といふ。天空の城、とか日本のマチュピチュ、とか云はれてゐるらしく、ワシは高倉健の映画「あなたに」で知った。名所旧跡にはほとんど興味を示さぬワシだが、何故か心に残り、是非行ってみたい、と思ってゐたのだ。青春18切符の「乗り降り自由」といふ特権を最大限に活かした一人旅だ。

まづは大阪から姫路へ。久しぶりの「身ひとつ」の旅に、思はず鼻歌なんぞ唄ってゐる自分。やはり旅はイイ。姫路から播担線といふローカル線に乗り換え、まづ寺前、といふ処まで。全然知らん町だが、やはり此所も映画のロケとかに使われた所なんだって。こっからはディーゼル車。山ン中をぐいぐい進み、城下町「竹田駅」へ着。

駅から登山道が出てゐて、話しを聴く限りでは全然イケさうではあったのだが、今回あんまり時間もないので「天空バス」と云ふのに乗る。これで真ん中辺くらいまで行き、残りは歩いて登る。登山道、とは云っても全編舗装路で、日頃歩く事に慣れてゐる人ならば、大した事はない。事実、ちゃらちゃらした身なりの若者や、老人、子供までゐて、思った以上に「観光地」であった。

さういふ意味ではやや拍子抜けだったが、頂上=城跡からの眺めは、掛け値なしの絶景で素晴らしかった。案内人のおばちゃんに映画の事を訊ねると、どーやらワシを健さんの熱心なファンだと思ったやうで(笑)、「健さんは此所に座ってゐた」とか「あそこに立って撮影してゐた」とか教えてくれた。映画の中では、田中裕子扮する健さんの嫁さん(歌手、と云ふ設定)が、ここで「天空のコンサート」といふのを演ってゐた。ほらぁ、こないな処で唄なんぞ唄えば、さぞや気持ち良い事だらうねぇ。

小壱時間ほどで辞去(電車の本数が無いので)。竹田→寺前→姫路、と引き返し、そっから先、広島までも18切符で帰る。相生→岡山→糸崎→広島、けふ壱日の総走行時間12時間。絶景にも感動し、「鉄分補給」も出来た(笑)、素晴らしい一人旅だった。

またやらう。

24日(月)---------------------------------------------------------------

よぅやくケータイを買い替える事にした。

本来、携帯電話なんぞプリペイドので充分、なワシであり、それが何やら売り手のおかし気な事情で買い換えを余儀なくされ、今に至ってゐる。今のももぅ使いだしてだいぶ経ち、ボタンが浮いてぺかぺかするし、ちょいと多めに用件話したり、ちょいと写真を撮ったりすると、スグ充電が無くなったりして、まぁ仕方ないのでそろそろ・・・といふかんぢ。

世間では「須磨保」なるものが主流になり、ワシの使ふ、いわゆるひとつの「ガラケー」は、いづれ無くなるのださうな、とか真しやかに囁かれてゐる。そんな事には踊らされぬ。買い換えも「須磨保」ではなく「ガラケー」を目指す。

ところがまー、ことケータイの「売り場」てぇのぁ、ワシにとって現代の市場の中で最大の謎、なのであるが、なんでこぅ色んな事が埒が開かぬのか?!。「商品を売り買いす」といふ至極シムプルなビジネスである筈なのに、なににあそこまで手が廻らぬのか?。何故かうもイラつく事になるのか?。

最初に行った店では、顔色の悪い細い兄ちゃんが出て来て、えらく慇懃無礼な態度で「見積もり」だのを語る。機種変したいだけなんぢゃが、なんか訳の分からん事を云ひよる。ワシはどんな店でも、客としてのマナーは守るやうにしてゐて、「自分は客だから」と云ふやうな不遜で傲慢な態度は、絶対に取らぬやうに気を付けてはゐる。だが、此所はダメだった。「ハナシにならん」と吐き捨てて辞去す。

弐軒目。大手の電器屋の携帯電話コーナー。ここでも舌足らずで声が小さくて、何を喋っとるのかよぅ分からん兄ちゃんが応対で、「機種変したい」といふこちらの要望に対応するのに、何故か10分くらいかかる。よぅやくワシの前で「商談」を始めるが、大手電気メーカのくせに「在庫が無い」と云ふ事で鼻で笑って辞去す。

神よ。

参軒目。受付が、そこら辺にフツーにゐるやうな若い茶髪のお姉さんで、またぞろちょいと不安になるが、「機種変したいのだが」と述べると、こちらへ・・・と通され、ものの数十分で新機種の購入とデータの移し替えが行なわれた。今までの弐軒のアレはなんだったのだ?と云ふスムースさ。特に素晴らしくかんぢが良い訳でも無いが、キッチリした仕事をしてくれて、これよ!といふ思ひ。なんでこれが何処でも出来ぬのか?。

とまれまァこれで「新しいケータイ」が手に入った。この週末からまたツアーが始まる。充電の残りを気にせず撮影ができるだらう。

25日(火)---------------------------------------------------------------

巨大台風接近。

けふ専門学校のおそらく最後の授業=登校、となる筈だったが、学校そのものが休校となり、あえなく最後の授業、終了。このいかにもワシらしい幕切れ。もはや笑うしか無い。続いて楽器店教室からも「全科目休講」の知らせが入り、けふのレッスン仕事は全滅。

まぁ何処も、生徒が教室に来たり帰ったりする間にナニカ事故が起きたら責任を問われて云々・・・を恐れるからかういふ過保護な事になる訳だ。莫迦莫迦しぃにも程がある。野外の労働作業以外で、何処の世界に天候が悪くて休みになる仕事があらうか?!。こげな甘やかしをやるから餓鬼がロクな育ち方をせんのだ。

我ら生き急ぐ中年デュオは、台風の最中にも、リハも本番も演る。

明日からのツアーに備えて最終リハ。演りなれたレパートリィにもそれぞれの新しい思惑(ちょいとした弾き方や音色、フレーズの使い方の違い)、などをちりばめ、新鮮な気持ちで歌える。今月来月と、しーシュにしてはライヴが少ないので、リハを重ねてこの境地を色々と引き出しておきたいですね。

その後、弐ヶ月ぶりのオリエンタルホテル「椎名&フライデー」。けふのお客さんはみな「聴く」タイプで、刺激されて良い演奏が出来た。

26日(水)----------------------------------------------------------------

明日からまた旅なのだが、どーも朝晩がだいぶ冷え込むやうになってゐる。去年までのこの時期と同じやうな格好で行くと、寒さに震える事にもなりかねん。厚手の服を少し持ってった方が良い気がして来たが・・・・。

愛車「にっち」が崩御し、次の車に買い替えるまでの間、代車を借りて乗ってゐる。ワゴンR、といふ軽乗用車だ。これが良く走る。流石「DQN御用達」と云はれるだけの事はある(笑)。ちょいとアクセルを踏み込めば、月まで飛んでってしまひさうだ。軽乗用車、とは云へ、中は広々してゐて、さり気ない装備も気が利いてゐる。色々な事がとても便利だ。これに乗るやうになって早や3週間。この車に慣れつつあるワシ。

こげな便利な乗り物に慣れてゐてはいかんね。


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