3月


1週目

3月1日(木)-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

某低音専門誌が、モロに「地下室の会」をパクって実施してゐるライヴイベントの記事を見る。ワシは他者に対して、羨んだり妬んだり悔しがったりする、といふ事はあんまりないのだが、このやうにメディアとして力を持ってゐるモノに対して無力な現状に、やはり悔しさを感ず。前回上京した時にその旨を云ふと、地下室の会会長の富倉安生さんも、副会長の依知川伸一さんも『あんな二番煎じの真似っこ企画なんか気にせずに、俺達の方が本物なんだから』と、流石の貫禄だった。うーむ、ワシはまだ小物であるな。

仕事に行くのに街を歩くと、花束を抱えた女子高生を多く見かける。はたと気付けばけふは卒業式。おぉ過ぎ去りし日のこの季節、ワシも前途に燃ゆ心で学び舎を後にしたものだ。若人よ、君らの未来に幸多からむ事を。

しかし、仕事を終えて帰る路に、その花束がまとめて捨ててあるのも見ゆ。卒業式の日の、光と影。

2日(金)----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

花粉症が酷くて、せっかくのいい天気なのに散歩にも行けぬ。鼻も大変だが、今年は目が特に酷く、目ン玉が膿んでるんぢゃないか?といふぐらい痒い!!。ぐあぁ!目ン玉をくり抜いて冷たい食塩水で洗いたい!!。

花粉の飛散が落ち着く夕方になってソロの練習に出かける。ワシはソロの練習、てのを、『バーチャルなライヴ』として捉えてゐて、実際にライヴを演るのと同じやうに構成して演る。間違えても演り直したりしない。さすがにMCはせぬが、1曲は1回だけ。それで1.5時間きっかしに終わる。で、けふ、ここ1〜2年の新曲を中心に演ってみたら、ファズもピッチシフターもディレイさえも要らなんだ。用途に応じて使い分ける2台のループマシンだけで1.5時間のパフォーマンスが出来るやうになった。

これは進歩と云って良いだらう。かういふ「自分の中の新しいものを切り開いてゐる」といふ変化は、音楽家にとって今生の歓びなのである。


2週目

3日(土)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

この時期の毎年の恒例行事、アクターズスクールのコンサートのリハが始まる。いつもの事ながら終日スタヂオに缶詰め。子供達の歌声を聴く。やる気があるのかないのか、子供はよく分からん。

夕方、現場を早退してSoe'sのリハに行く。いちをうこのユニットでサロンコンサートに出演申請をした、と云ふ事をメンバーに伝える。そのせいかどうか、けふのリハは仲々ビっと骨の通ったリハだった。でもまだレパートリィが4つぢゃどーしやうもないね。マサミから「一度リハで完全即興、といふのをやってみぬか?」といふ提案がある。そは素晴らしひ。さうだな、実験音楽、と云ひつつ、あんまり実験してないぢゃないか、と自分で思ふ。

ワシはけふ、ファズをきつめにかけたフレットレスの音はトロムボーンの音に酷似してゐる、といふ事を知った。

4日(日)--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

アクターズリハ2日め。ぢつを云ふとワシ、この春のコンサート一杯で、ここを退陣する事になってゐる。少しは引き止められるかと思ったが、ぢつにあっさりと退陣の希望が通ったので、正直、拍子抜けしてゐる。まだ生徒には伝わってないやうだ。7時間ぶっ通しのリハ。

夜、In Duet'sのリハをシタールの泰三君とやる。こないだのリハは探りあいの域を出なんだが、けふのリハは仲々両者の意気込みがぶつかってオモロかった。正直云うてけふのリハがそのまんまライヴならよかった、といふかんぢ。一度『いいヤツ』を演ってしまふと、そのイメェヂを引きずってしまひがちになる。その時の「良さ」に近付こうとしてしまふ。それは違う、と分かってゐても、そこから離れて更にもう一歩先の次元に踏み出すは仲々難しい。ようし、ワシはコレから本番までインド音楽を聴くのは止めやう。

しかし、2時間地びたに座ったままで演奏する、てのぁ立って演るよりハードだね。腰も足もガチガチになる。シタールなんか、基本演奏姿勢そのものがちょっとしたヨーガのポーズみたいなもんだから、泰三君も『長いレッスンの後は立てぬ事もある』と云ふ。インド人は凄いね。

5日(月)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

花粉症の具合があまりに悪いので、もう一度耳鼻科に行き、強い薬をもらって来た。ネブライザー治療を受けたにも拘らず、その後も夕方までくしゃみが止まらぬ。

夜、今月半ばのイベントで、「ヴォーカリスト」として参加するユニット折田プロジェクトのリハに行く。キーが合わぬ曲が多かったので、移調してもらふ。それでも楽器の編成上どうしても現キーで唄わねばならぬ曲があり、High-Cといふとんでもない高さだが、まぁ頑張った。けふの処は悪くない。

バンドで「唄だけ」を担当するのは、長い音楽経験上初めての事で、やってみるとコレはコレで悪くない。しかし、舞台のまん中に一歩前に出て唄う、と云ふ事は勘弁してもらひたい旨を伝える。経験上、前に観客しか見えぬ、といふ状況は、背中がうそ寒くてかなわん。バンドを後ろに従える、のではなく、バンドの中で、唄いたいのだ。

6日(火)----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

けふは寒い、ていふかこれが平年並みなのだらうな。さういや今シーズンは「鍋」をあんまりやんなかったなぁ。喰ふ量が減った、てのもあるけど、やっぱり「寒くない」から鍋をやらう、といふ気にならんのだね。

尼存でErnst ReijsegerといふチェリストのCDを買った。何故チェロか?といふと、ワシは楽器としてはベースより遥かにチェロの方が好きで、本当はチェリストになりたかったのだ。今でもニッチとしてはベースよりチェロに近い所に居るやうな気がするし、事実さうありたい。

そんな訳で、チェリストのアルバムで、とりあへずオモロさうだったら手当りしだいに買うやうにしてゐる。勿論、ヨーヨー・マやミーシャ・マイスキィも聴くよ。

このアルバム、エルンスト(オランダ人)と二人のアフリカ人(パーカスと唄)とのコラボで、全編で何語か分からん極めてプリミティヴな唄とチェロが、噛み合ってンのか合ってないのか分からん微妙なかんぢでアンサンブルを繰り広げてゐる。チェロの民族音楽へのアプローチとしては、今まで聴いた中で一番オモロい。調べてみたらこのエルンスト、フリーの世界では仲々名手として名を馳せてゐるらしい 。

7日(水)----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

なんかものすごく鳴る65年製のプレシジョン・ベースを弾く夢を見た。『ワシ、こんな良いの持ってたっけ?』とか思ひながらブチブチと弾いてゐた。実際のところで云へば、それはジャズベも同じ事なのだが、プレベはワシにとってはあまりに『ベース』で、いくら良い音で鳴らうが、ワシが使う楽器ではない。

せめて24フレットまであってくれれば良いのだが、20(機種によっては19)フレットぢゃあ、ワシにはなんも出来ぬ。それを云ふとジャズベ派のベーシストに「なんで?」と訊かれた。なんで、って云ふか・・・・・。まぁ確かに『僕は自分の生まれ年と同じプレベ1本でなんでも演ります』て云ふのはカッコいい。できればワシもさうしたいが・・・・。

ア、さういや昔はプレシジョンのフレットレスって、メイプル指板だったんだよな。つるつるの白い木目の指板で、あれ綺麗だったなぁ。アレなら欲しいな。

8日(木)-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

生徒の休みが重なり、なんと夕方5:30に仕事が終わる、といふまるで役人のやうなふざけた事態と成った。けふだけの事だらう、と無理に納得し、折角なので夕方の街や、テパァトの地下の食品売り場なんぞをうろうろしてみる。この時間帯のヒトは、だいたい「とりあへず一区切り付きました」といふリラックスした顔をしてゐる。毎日この時間に仕事が終わるのなら、まぁスポーツジムとか、映画館とか、呑み屋とか、行くわな。

しかし、ワシの場合、毎日この時間に仕事が終わるやうでは、そはすなはち仕事になってない、と云ふ事で、そはかなりヤバい。

9日(金)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

昨日に引き続き、けふもあんまり仕事がない。ボヤいてもしゃぁないので、譜面を作ったり、歌詞を書いたりす。しかし、世には同じやうにあんまり売れてない音楽家もワシ以外にもいらっさる訳で、さういふ人はどうやって暮らしてゐるのか、いつか膝を突き合わせて語り合ってみたい気もす。

夕方から久々にしーなとシュウのリハ。ここんところレコーディングにかかってゐたので、練習らしい事を演ったのは、ホンマに久しぶり。案の定、あんまり良くない。お互いが演るべき事を把握出来てないかんぢ。これではイカンよ、といふ話を、洋食屋で飯を喰ひながらす。


2週目

10日(土)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

先週に引き続き、アクターズのリハにて壱日スタヂオに缶詰め。まぁ弁当出るし、茶や珈琲飲み放題だし、結局やる事と云へば、生徒のリハをただぢっと見てればいいだけなので、安上がりな壱日ではある。

生徒以外のスタッフには、春でのワシの退陣が既に伝わってゐて、色んな人から「お疲れ様でした」と云ふてもらへる。

11日(日)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

アクターズ、最後のコンサート。同僚のT女史が車での送迎を申し出てくれたので、ありがたく受ける。けふはとても寒い。

さぁ7年間に渡るワシの「場違いな」仕事の総決算である。いつもは会場で客になって見てゐるのだが、けふはづっとステージの袖にゐて、出入りする生徒達を見守った。なんだかんだ云いながらけふまでよく続けたものだ。その間、受け持つ生徒が増えたり減ったり、年齢層が上がったり下がったり、色々あった。基本的には、苦労は多いが楽しい職場であった。辞めるのは、完全なワシのわがままである。生徒達よ、許せ。

全部が終演した時点で、初めて生徒達に退陣を伝える。驚く生徒達とその父兄。もう一回だけレッスンをやって、それでお別れだ。

12日(月)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

打ち上げで結構本気で呑んだので、ちょいと頭が重ひ。打ち上げ会場の焼肉屋の給仕に、素晴らしくストライクゾーンの眼鏡美女が居った旨を伝えると、女房が「それ昨日聴いた」と云ふ。へ〜〜〜、憶えてないな。デトックスの為にサウナに行く。が、あんまり変わらぬ。

夕方から折田プロジェクト「安芸楽団」の2回めのリハ。このプロジェクトは日本古来の民謡や叙情歌をバンドアレンジにして演る、といふユニットで、以前にもベースとヴォイスでヘルパーを務めた事がある。和太鼓や笛などもフィーチャーする大所帯だ。ワシは今回ヴォイスのみで参加。ベースは藤井くんといふ若い子だが、仲々腰の重い良いベースを弾く男である。このバンドではメセニーバンドのペドロ・アズナールのニッチを目指すのだ。けふはフルメンバー揃って・・・のはずだったが、篠笛のKさん謎の欠席。割とコレが多い人らしい(笑)。

和太鼓の音量に負けん為には、かなりの声量を要するが、さうやって唄ってゐるうちに汗もかき頭の重みも取れ、サウナよりこっちの方がデトックスやんけ、と思ふ。

13日(火)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

しばらくの間海外で暮らしてゐた音楽家の従姉妹が日本に帰って来た。飲みに行きたい、と云ふので連れて行ってやる。日本に帰ってくるにあたって少し相談などを受け、まぁいつも生徒に云ってるやうな事を云うて、彼女なりに何となく身の振り方を決めたらしい。月末からは上京して仕事を捜すさうだ。

ワシがこの世界に入りたての頃、彼女は高校生で、遠からずデビューする、と云はれてゐたバンドでキーボードと作編曲を担当してゐた。既に同世代の仲間からは一目置かれる存在だったやうで、当時ロック系の若者からしょっちゅうその名前を聴いてゐた。ワシはその頃から、親戚の会合などにはほとんど顔を出さん人間だったので、子供の頃以降は全く分からん。当然の事ながら立派な女性になってゐる。

しばらく飯を喰ったあと、ウチに遊びに行きたい、といふので連れて帰る。仕事から帰って来た女房もまじえて、お土産に持って来てくれたワインを呑みながら、深夜まで語り合った。てゆーか、キミこんなにお喋りだったんやね。

14日(水)--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

朝の珈琲を3人で呑み、駅まで従姉妹を送って行く。あんまり客が来ない家だと思ってゐたが、考えてみたら結構色んな人が泊まってゐる。そは悪くないね。

気合い入れてスタヂオに入ってソロの練習をしてゐたら、隣の子供英会話の教室から「うるさいので静かにしろ」と云はれた。こっちも仕事なんだがねぇ。なんで子供を仕事にしてる連中は、自分らの道理が優先されると信じ切ってゐるのか?。アンプのヴォリゥムを1ミリだけ下げて演った。しかしテンションが下がってしまひ、良い練習にならんかった。もう一回文句云うて来たら怒鳴り返してやるつもりだったが、来ず。ちっ。

夜、「世界の車窓」でとても良い唄が聴こえた。名曲「ブルームーン」。この唄、誰や?と思ったらロッド・スチュワート。調べたらスタンダードを唄ってるシリーズが出てゐるらしひ。ので、明日さっそく田我子に行って買って来やう。

15日(木)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

いつもより1時間早く家を出て田我子に行く。ロックのコーナーなぞに足を踏み入れるのは、ホンマに久しぶりだ。「アメリカン・グレイテスト・ヒッツ」といふシリーズで3作ほど出てゐる。どれもか〜〜なりヤバい選曲だが、やはり昨日聴いた「ブルームーン」と「スターダスト」が入ってゐる3作目にした。

早速スタヂオで聴いてみる。ん〜〜〜〜!!。よく『あの戦争中にこんな音楽を産み出す国に戦争吹っ掛けて勝てる訳がない』と云はれるが、まぁ、確かにさう思えるね。かういふのを「永遠の名曲」と云ふのだらうね。まぁ別にアメリカが凄い、てンぢゃないけど。しかしこの「スターダスト」の美しさよ!。ロッドの唄も見事。「売らんかな」といふ企画モノではなく、先達へのリスペクトがちゃんと感じられる。

ロッド・スチュワートと云へば1978年の来日公演。元気一杯のライヴショウのラストが「セイリング」だったのだ。それまでワシは、ロックコンサートをバラードでシメる、てのがあるなんて知らなんだのよ。不思議な感動が我が身を包んだのを憶えてゐる。現在のワシがライヴのラストをバラードにする事が多いのは、ぢつはあの刷り込みなのだらう、と思ふ。

16日(金)----------------------------------------------------------------------------------------------------------

明日の安芸楽団、衣装をできれば和モノっぽくしてほしい、と云はれた。インドっぽいモノなら幾らでも持ってるのだが、いわゆる「和」は本物の和服しか持ってない。で、空手着を染めてみるか、と思い至った。もうアレを着る事もあるまひ。だったら廃物利用でステージ衣装に変えてやれば彼も喜ぶだらう。

そこで東急反頭で『誰でも簡単!』てぇ染め液(かういふのが実際簡単だったタメシはないが)を買って来た。しかし、空手着が見つからんのだ。何処を捜しても無い。そもそもワシは衣装ケェスとか箪笥とか云ふモノを持っておらんので、パっと見て無かったら無いのだ。っかしぃな、捨てた憶えはないのだが。足を怪我したりした時に、やっぱり「もうコレを着る事はあるまひ」と思って処分したのかな?。


2週目

17日(土)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

野外でのイベントの日に、わざわざここまで寒ぅならんでも良からう、といふぐらい寒い野外イベントの日。やれやれ、ツアー前に風邪なんぞひいちゃ洒落にならんぜよ、と思ひながら電車で会場のアリスガーデン広場へ。

日が暮かかったステージでは偶然にも昔の生徒が唄ってゐた。主催者の弁によると『最近売り出し中の若手』らしい。ふぅむ頑張っとるねぇ。良い良い。その後、「よさこい」の人達が出た。頑張って踊ってる人達には申し訳ないのだが、ワシにはこの「よさこい」って、イマイチその良さが理解できないんだぁな。やってる友達も居たりするんで、あんまり悪し様に云ふのもナンだけど。

その後にワシら安芸楽団が出る。もうその頃にはとっぷりと日も暮れ、寒いこと甚だしい。こんなん声出るんかいな?とも思ふ。おまけに『後ろの方で唄いたい』と云うてゐたワシのささやかな希望も、ステージの都合(狭い)で却下。結局一番前で唄う羽目となった。

結果として、我ながら大した出来だった、と思ふ。寒風吹きすさぶビルの谷間に、和太鼓のリズムと篠笛の音、浪々とした無国籍ヴォイスが響き渡った。寒い中を意外なほど沢山のお客さんが足を停め、着席して見て行ってくれた。咽も絶好調。心配してゐたHigh-Cの声も問題なし。ヴォイシストとしての自分の技術の進歩を認識できた。

良いライヴだった。ただ、やっぱ唄うたい、てのは演奏してない時は「休んでる」訳で、その間にどんどん身体が冷えるのには参った。

メンバーの都合で打ち上げはナシ。まだ8:00だし帰るのもナンなので、久しぶりに週末の夜の街を徘徊する。ぶらぶら歩き、目に付いた定食屋で飯を喰ひ、KOBAに行って酒を呑む。3〜4人の知人に会う。さらにハシゴしてPICOに行く。ライヴだったらしく、友人の旅人K氏がゐる。そのうち椎名さんも来る。しばらく3人で呑んでゐるとさらにカシラも来る。みな別々の場所でそれぞれのライヴをして来た訳で、それは仲々良い関係で、良いかんぢである。

友人でも恋人でも夫婦でも、このやうに『何となく吹き寄せられて』集う、てのが、ワシの考える「最高の関係」なのだ。お互い風のやうに自由であらむ。

18日(日)------------------------------------------------------------------------------------------------------------

ゆんべは帰った後もフライヤー作りなぞをしてゐたので、寝たのは3:30。けふはSoe'sのリハが10:00から。はぁ〜さすがに眠いな。

けふのSoe'sはマリンバの瞳ちゃんがお休み。3人でレパートリィをやってみる。もともとワシは、メンバーが全員揃わぬ状況でのライヴ、てのも想定せんといかん、と考えてゐるので、これはこれで良い練習になった。この3人だと簡単にグルーヴはするのだが、そのぶん予定調和、と云ふか完成型が予想の範疇を出んので、意外性はないねぇ。やはり音楽は演り手の思惑なぞ及び付かぬものにならんとオモロない。

一旦帰り、夕方からはしーなとシュウのリハ。こないだ久々にやったリハがあんまり良くなかったのだが、けふはまぁまぁかな。どっちにしても、これが本番前最後のリハで、ワシはツアー先から帰り次第の会場入りとなってしまふので、椎名さんと打ち合わせが出来るのも、けふが最後。それまで憶えてンのかワシ?といふかんぢ。

19日(月)-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

色々とツアーの準備。販売用のCDを何枚持ってくか悩む。ダイヤ改正があったので時刻表もまた買わんといかんな。東京と名古屋の宿はゲットできたが、京都のホテルから「満室」といふお答え。ヌ〜、ぬかったわ。京都ってたしかカプセルホテルって無いンぢゃなかったけ?。

先週に引き続きサウナに行く。春休みのせいか子供が多い。・・・・ん?。どうやら子供だけのグループのやうだ。まだちんちんの毛も生えてないやうな子供が3〜4人でサウナに来てゐる。へ〜〜〜、ワシらの子供の頃って、こんな事絶対にせんかったけどなぁ。

20日(火)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

ここ数カ月、割とコポコポと新曲を書いてゐるので、創作モードになってゐるのだらう。この勢いを買って、今年のツアーのテーマ曲を作らん!と思ひ立ち、スタヂオに入る。テーマは「World is not one」世界は一つぢゃない!。これはワシの中で常々持ってゐるテーマである。そもそも『世界は一つ、人間は皆同じ』といふ発想は、ぢつにアメリカ的で、結局その『同じ理念で統一すべし!』といふ思想が戦争を繰り返すのだ。世界は決して一つではない。人間もひとりひとりみんな違うのだ。違いを認めあう事から始めないと、なにも生まれない、とワシは信じる。

世界は一つなんかぢゃない
君と僕は全然違う
分かりあえる訳なんかない
それでも世界は美しい

今年はワシはこの唄をテーマに活動を進めやうと思ってゐる。

21日(水)--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

12回めの結婚記念日。天気も良く、島根県は津和野へドライヴす。結婚する前から勘定すると3度めの津和野である。なんも考えず、ただゆ〜っくりぶ〜らぶら町を歩く。何も買わない。相変わらず、歩くだけでオモロいところだ。SLが走る所を見たり、樹齢800年の欅の木を見たりす。ちょいと咽が乾いたので適当に目に付いた喫茶店に入る。ここで喰った「豆腐レアチーズケーキ」がたいへん美味であった。

夜は近所の居酒屋「ちゃぶ家」で飯。ビール、ワイン2、焼酎ロック、梅酒ロック、と呑み、更にウチへ帰って焼酎ストレート、と呑む。12年、同じ人間と連れ添って生きて来た、といふのは、やっぱりちょっとした事である。

22日(木)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

あぁなんか温くなってきた。天気予報でも、このまま暖かくなるだらう、といふ話し。ツアー中寒いのだけは勘弁して欲しいと思ってゐたので、これは助かる。仕事にむかふ途中、もはやスカートが「見えない」ぐらいミニの女子高生を見ゆ。春だからか・・・・?。最近は一時期ほど極端なミニスカを見かけんくなって、ぢつに寂しい。しかも開き直ったかのやうに、ミニスカの下にジャーヂなぞを履いとるのまで居る。おぢさんはぢつに哀しい。

久しぶりにがっつりとした食事がしたくなり、定食屋に入って『バラカツ定食』なるものを注文す。とんかつの、98%が脂の肉。

夜、シタールの佐久間泰三くんと、ライヴ前最後のリハ。『お客さんが全部寝ちゃうといいですねぇ』と泰三くん。ほぉ!分かってゐるねぇオヌシ。ワシはライヴ中にお客さんが寝てしまふ、てのは、決してイヤぢゃない。むしろ嬉しい。以前、旧友がライヴを見に来てくれた時、CT25`13といふ、臨死体験をモティーフにした極めてミニマルな曲を演った。後で友人は『お前、ありゃあ起きとるのが辛いぐらいやったぞ』と云ひおった。そは最高の褒め言葉なり。

23日(金)----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

月例ライヴIn Duet'sの参。早めに会場に入り、演台を作る。ワシが考えてゐたものが上手く伝わってなくて、材料が足りん。インド音楽を見た事がない人に、イマジネーションを求むる、といふのが無理な話だった。でも、今さらどうしやうもないので、ある材料を上手く使って、30センチくらいの高さの演台を組み上げた。やれやれ。

リハ中にLine6のディレイが壊れた。スウィッチが上手く作動せん。やれやれ。おまけにベースアンプまで調子悪い。接触不良?途中で音が出なくなる。やれやれ。こんなの出演者に使わせちゃアカンと思ふのだがね。なこんだで、本番が始まるまでに、えらい要らぬ労力を使ってしまった。

スタート時間には沢山お客さん来てくれて、一応満員となる。けふは泰三くんの影響か、比較的若めの客層。まづはソロ。けふは即興から「ふりむいたらトゥアタラ」をオープニングに持って来て、ちょいスベった。その後「月の路」を演って少し持ち直す。「千年刻みの日時計」を演り、出来たばかりの新曲「夏の微熱」も演る。7/8拍子。演奏中、足が攣った。最後「こきりこ節」演って、途中ベーアンがいきなり沈黙す。やれやれ。なんか一貫して機材のトラブルに集中力を削がれたソロだったな。

その後、泰三くんを呼んで、まづ「マタール」といふ、出所のよく分からん曲を演る。それから「キャメル」を演って休憩。なんとかこのふたつで持ち直したかな?。後半は泰三君のソロ(古典)を頭に、カリンバとの即興を1曲と「マコンドに降る雨を見たイサベルの独白」。ラストに、これまた新曲「World is not one」。なんとかいいかんぢにライヴを進める事が出来て、とりあへず、はぁ〜。泰三君も「緊張してる」とは云ってたけど、ワシが思ふ通りのシタール奏者として、しっかりと演奏してくれた。ほぼワシの狙い通りの事がやれたライヴだったと思ふ。楽器の特性上、音色が全くぶつからんので、出音もたいへん聴きやすかった、らしひ。

しかし、まぁ長かったせいもあるだらうけど、アンコールは来なんだ。

珍しくライヴが終わった後もお客さんが残り、色んな人と色んな話しをした。たいへん素晴らしかった、と云ふてもらへる。まぁ、よかったのかな?。


24日(土)-----------------------------------------------------------------------------------------

ツアー用にパンツと靴下を買う。今回は移動が多いので、洗濯が仲々出来ぬかも知れん。少し多めに入れて行くか。とは云へ、Tシャーツパンツ靴下それぞれ×4づつ、ステージ用シャーツ、フリース、Gパン、ジャケットそれぞれが×1づつ、タヲル×3、歯磨きセットなどのサバイバル品、販売用CD30枚。こんなもん。最近は『あれば便利』は『なくても困らぬ』ことだと分かって来た。

夕方、アクターズスクール最後のレッスン。7年間勤め上げて来たここの最後の仕事は、生徒と一緒になってのカラオケ大会!!。お前ら自分が好きなのを歌いまくれ!と云ったところ、子供達なりにノスタルジックなのか、ワシへの餞のつもりか、これまで発表会で演った曲をメドレーでみんなが唄いやがる。この時はあァだったとか、これはこうだったとか、話す。ん、短くはないな、7年。最後には巨大な花束まで進呈してくれて、ありがとうよ、お前ら。楽しかったぜ。

帰りの足で友人「ミっちゃん」のライヴに行く。この女性、最近知り合いになったが、多岐に渡る色んなミュージシャンと交流があり、音楽仲間が大抵その名前を知ってゐる。ワシのライヴも何度か見に来てくれてゐる。ひょんな事でライヴを演ることにはなったが、唄に関しては完全な素人で、人前で唄うのも人生ほぼ初めてに近い、といふ。しかし、驚くほど沢山の音楽家が協力を申し出、この日も若手の人気アクースティックユニット「サルテン」が無償で前座を務めたり、バックは大御所だったり、客席の半分はミュージシャンだったり、なかなか豪華だ。本人は傍目に見て分かるくらい緊張してゐて、まだ休憩時間なのにステージに上がっておろおろ・・・。『まだ早いって!』とメンバーに云はれておろおろ・・・。そのギャップが笑える。

果たしてその実力、てところだが、コレがまた侮れない。もともと佇まいに不思議な色香と魅力を持ったヒトなのだが、それがなんとも見事に唄に生きてゐる。もちろん技術的に上手い、てんぢゃない。しかし、ちゃんと「歌えて」ゐる。唄が「唄ってほしい」やうに歌えてゐる、といふのか・・・・。選曲がまたシブい。1曲めがヴァネッサ・パラディの「ナチュラル・ハイ」だったのには、思わず声に出して『ほぉ〜!』と唸ってしまった。他にもシャンソンあり、ユーミンあり、と多岐に渡り、友人、と云ふ事を差し引いても、たいへんオモロい見事なライヴだった。てゆーか、久々に女性のヴォーカルで感心したんですけど・・・・・。てゆ〜〜〜か、いつか一緒に演ってみたいな。

アクターズを務め終えた自分に、ひとり祝杯を揚げ、花束を持って最終の電車で帰る。また一つ、大きな仕事に、自分でピリオドを打った。さぁ、明日からツアーだ。


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