小寒(1月6日をピークにその前後の15日)

------------------------------初春の 石に坐ってゐる 降り晴 

年が明けました。

大晦日は、友達がやってるクラブのカウントダウンパーテ−に出演し、カウントダウンだけやったらすぐ帰ってきました。結構その後も盛り上がってゐたやうですが、何せこちらは年末から連日連夜の忘年会で、胃も脳も限界が来ておりましてな。しばらく酒など見たくもありません。それにここのところ、あまり楽しくない酔っぱらいを見る機会が多く、もうそろそろ「酒を飲む」といふことを真剣に考えた方がイイやうな気もしてゐます。やはり酒は、気心の知れた友達2〜3人で、音楽の話でもしながら濃いめのヤツを1〜2杯やって終わり、といふのが好きですね。

しかしナンですな。

人間の脳味噌には、外部から入って来る有害な物質をシャットアウトする「関所(弁)」が何個かあるさうです。大抵のものはその弁を越える事は出来んと云います。しかし酒はそこを通ってしまうさうなのです。つまり脳味噌は酒を「有害」としてゐない、といふことでしょうな。昔から酒は「百薬之長」とも云いますしね。まぁあくまで「度を越さん限り」の噺でせうが。酒に限らず「過ぎたるは及ばざるが如し」とも云います。

「記憶を無くす事を恐れてはイカン」と云う人もおりますが、いい年こいて、そりゃ無責任といふものでせう。ワシらは世間で「酒を飲む」事を認められてゐる大人です。お互い節度を保って楽しく飲みたいものですな。

昨年は年明け3日からライヴが入ってゐました。なかなかに気持ちの良いライヴで、それを皮切りに一年間に渡り、結構良いライヴの多い年でした。今年は19日の春秋楽団が初ライヴになります。かういうことを云うとナンですが、ワシは春秋のライヴで始まる年には、あまり良い事がない、といふ不吉なジンクスを持っておりましてね。なんとか19日までに飛び入りでもイイからどこか他で演りたいなぁと思っております。誰か一緒に演らへん?。


猫の足跡 よたよたと初雪の上

年も明けてみると早いもので、もうけふから仕事ですわ。

年末の、あのどっか浮かれたやうな気分から一変、また新しく浮き世の連鎖が始まつてゆくものなのですね。

二十歳そこそこの頃の正月と云えば、まぁ少なくとも松の内は家にゐたことすらありませんでしたね。それこそ寝る間も惜しんで、遊び歩いてゐたものです。疲れたら誰かの家に雑魚寝してね。何をして遊んだ、といふ明確な記憶はありませんが、とにかく楽しかった。かう云ってはナンですが、損得勘定抜きの友達だけで自分の世界が構成されてゐた最後の時代でせうね。あの頃の仲間も皆それぞれ家庭を持ち、今ではもう滅多に会う事もなくなりました。

さて、年明けとともに、楽器の弦を新調するかだうかを決め倦ねておりました。

ワシは元来、新しい弦の音があまり好きではなく、死んだ弦を好んで使います。そうさな、好みで云うと、張り替えて1週間くらい経った頃の弦の「こなれ」具合が一番好きですな。まぁさうさう上手い具合に死んでくれんのがものの摂理といふもので、仕方なく二ヶ月に一回くらいのペースで張り替えております。

人によってはライヴごと、極端な人はリハが終わって本番前に、もっと極端な人になるとワンテイクごとに張り替える、なんて人も居るやうですが、「ようやるわ」と思いますね、めんどくさいのに。

で、話は全然違うのですが、やたらたくさんの弦が張ってある、見た事もない楽器を弾く夢を見ましてね、初夢に。

見た目はチェロのやうなのですが、厚さが5センチくらいしかなくて、えらく軽い。で、ど−見ても毛糸みたいな弦が、ネックだけぢゃなくて、ボディにもいっぱい張ってあるんですよ。どこを弾いても鳴るんですわ、これが。「これってドゥブロカ(その楽器の名前らしい)ですよね?」とか云って店員に弾かせてもらうんですわ、ワシが。

それがイイ音でね。

だうも立てて弾くものらしくてね。調子にのって弾いてると、店長らしきドレッドヘアのお兄さんが、これまた見た事もないやうな打楽器を引っぱり出して来てね。セッションをするんですよ。さういう夢です。

ワシはよくかういう「見た事ない楽器を弾く夢」といふのを見ますね。箱に弦が張ってあるのとか、ネックがニ本以上生えてるベースだとか、鍵盤がついてるベースだとか、ガスで音が出るギターとか。

あぁ、クリエイティヴといふのはかういうことなのか、と思いましてね。作ってみるんですよ、カネ出して。勿論上手いこと行く訳ありません。やっぱり楽器といふものは素人が考えて作れるもんぢゃないんですよ。でも、しばらくするとまた「あれをこーすればマトモな楽器になるかも」とか考えてしまってね。また失敗するんですわ。さういう風にして、結構邪魔にしかなってない、でも、誰にも売る事が出来ん(誰も買ってくれん)楽器が、ぢつはウチにはいっぱいありましてね。

ダブルネックのベースなんて結構よく出来てますがね。だれか要りません?。4弦×2のやつと5弦×2のやつがあります。どっちもフレットレスとフレッテッド。どっちもピックアップは取っちゃってるんですが、繋げばちゃんと音は出ますよ。¥7万くらいでいかがっすか?(セコい云うな!作るのには¥40万くらいかかったんぢゃ!)。

ところで、占いに凝ってるらしいワシの姪(11歳)によると、今年のワシの運勢は『最悪』ぢゃげな。


忙しき友を思ひ 少し嫉妬する

やられた!。

いやね、年末にね、久しぶりにCDを何枚かまとめ買いしたんですよ。その中にね、魔李魔李・里図無機裸−・麻疹癌といふバンドのCDがありましてね。このバンドをワシはライヴレビュウかなんかで見かけたんですわ。バックはフィッシュマンズのドラムをはじめ、日本の新世代凄腕連中が固め、新人とは云えないまでもフレッシュな女の子をフロントに立てて、ちょいとねぢれたファンキーなのを聞かせてくれる、みたいな事が書いてあってね。今年からミキを迎えるオルカ団としては参考になるかも知れんと思ってね。買いましたよ。

これがなんともつまらん音楽でね。

まぁバックは確かに上手いのかも知れんが、それがどーしたって噺でね。女の子の声量は圧倒的に不足してるし、在り合わせみたいなアレンジや、今風(?)のヒップホップ感覚だかなんだか、妙に力の抜けた演奏といい、よう分かりませんなワシには。なんと云っても「あたし1人がLonelynessそしてYour cindness It's just feelin' good なんぢゃらかんぢゃら(あくまでもこんな感じってレベルで読んでね)」みたいなかんぢで、英語の合間に日本語があるやうな中途半端で稚拙な歌詞には参った。これならモー娘。でも聴いた方がマシってなもんです。

ワシは常々生徒や世間に云っておるんですが、「上手い」こと自体には何の意味もないんですね。

「演奏が達者」とでも云いましょうか、そんなものは何の判断基準にもならん、といふことです。

ものすごく極端な例えを云うとね、100メートルを7秒で走れる人間がゐる、としませう。スピードだけなら獣並み。でもその人が号砲に反応してスタートする事や、まっすぐ走る事が出来んとしたら、その人は競技者にはなれませんね。さういうことですよ。音楽も。

まぁこれをまた逆説的に云うと、スタートや直線疾走なども含めたものが「走る」といふ技術で、ただ早く走る事だけが技術ではない、といふことなんですが。それもそのまま音楽に流用できる理論ですよねぇ。

以前、弟子のバリホとさういう噺をしたことがあるんですが、「ヘタウマ」といふ言葉がありますね。「上手ではないけど味がある」ってやつですか。ワシはあれなどは「究極の技術」だと思う訳ですよ。

要するに必要ないものを省いて表現できるものを持ってる訳ですからね。普通10の言葉で説明するものを1ぐらいで語れる。これが技術と云わずして何?。だからヘタウマってのはヘタではないんですよ。技術を持ってるのに、それを上手く流用できない人達のほうがよほどヘタなのですね。で、さういう人が結構多いんだな。さういう人に限って「ヘタウマは嫌いだ」とか云うんですね。ヘタのクセに。

良く見かける光景なんですが、若い人達がたくさん出演するイベントの楽屋。大抵のベーシストは楽屋でずーーっとスラップをやってるんですね。ベチベチベチベチと。で、さういう人がいざ本番になってなにやってるかっていふと、8ビートのメロコアだったりしてね。おいおい、お前さん、さっきやってたスラップはなんだったの?みたいな。

少し噺が逸れましたか?。

まぁ「凄腕のミュージシャン」が集まったからと云っていい音楽ができる訳ではない、といふことですよ。吐々怒里委無詩阿多亜が証明してますけどね。両方ともワシにはイイ音楽には聞こえませんな。あ、吐々の「アフリカ」って曲は好きですけどね。でもあれはあのバンドにしては異色の曲らしいから、やっぱりイカンね。

まぁ騙されんやうにしませうや、兄弟。


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