11月

怒濤のライヴ週間(長いよ)

1日(日)うどんのわきた/Bobbys-----------------------------------------------------------------

さて、怒涛のライヴウィークが始まりますよ。

その初っぱなは、どたばたジャズトリオBobbvs。恒例の「うどんとジャズ」だ。
今回ちゃんとリハや打ち合わせをした方がいい、と進藤センセイ(フリュート)から意見があり、そはごもっとも、と珍しく直前リハを入れて臨んだ。
お客さんの入りはまづまづ、旧わきたの常連だったお客さんの顔も見え、嬉しく懐かしい気持ちでライヴスタート。

ま〜ぁ なかなか難しいユニットだぁね。
ジャズナンバーを演るとまだ良いんだが、ポップスを演る局面がキツい。
ドラムの居ない編成なのにベースに合わせない、といふ・・。それでは上手くビートが流れる訳はないよねぇ・・。少なくともリハを演った意味は、あんまりなかった。

まぁこのユニットはボビーさんが気持ち良けりゃOKなバンドではあるし、お客さんも一様に楽しんではくれてゐるんだが、ベース弾きとしての不達成感たるや・・・・。もぅちょっとちゃんとした事を演りたいんだけどねぇ。

帰りは進藤センセイを家まで送り、帰宅して明日からの旅支度。

2日(月)フライングキッズ/しーなとシュウ---------------------------------------------------------------

ライヴ週間2日目。東京から「兄妹分」デュオ・しんごとひでこ、を迎える。

てらしましんごのソロ時代は、よく一緒に旅をしたし、なんつってもしーなさんが初めて「ツアー」といふモノを経験したのも、彼との旅。が、此所数年、結婚を機に拠点を名古屋から東京に移し、嫁さんのひでこと組んだデュオの熟成と、生活環境の確保に取り組んでゐた。そのふたりが改めてデュオを名乗り、初めての広島遠征を行なう、最初のお手伝い。

ワシはこないだのソロお江戸遠征ん時に顔を合わせてゐるが、しーなさんは夏ぶりの再会。旧交を暖めながらリハやチェックを進め、お好み焼きでエネルギー補給。考へてみたらウチも、居酒屋椎修以外でフライングキッズで演るのも久しぶりだな、と思ひつつ。

ウチが先攻。けふはえせニックやアグレッシヴさを省き、ソフト&まったり系のラインナップで構成。「しーなとシュウ」や「しんごとひでこ」のネーミングの先駆けである、「ふちがみとふなと」の名曲『バブの店先』なども久々の披露。後攻のしんひでに回す。

しんごとひでこ、としてのライヴを見るのは、これで3〜4回めだが、今回ハッキリとその「進化」が見て取れ、これはすごいユニットになって来たな、と。本人らが冗談めかして語るには、(夫婦揃って)失業して得た豊富な空き時間を全部練習に費やした、といふ、その成果が見事に実を結んでゐる、といふかんぢ。唄や演奏技術の格段の向上もさる事ながら、やはりユニットとしての路線をはっきりと見据えた志も大きいだらう。天晴!しんひで!。ウチらもウカウカしとれんぜ、としーなさんと語る。

残念ながらお客さんは少なかったが、30人以上入ってるかのやうな盛り上がりを見せたライヴだった。もっともっと多くの人に、彼らを聴いてもらひたい。

3日(火)東京吉祥寺:cafe SUTEKINA/久保田涼子&Friends---------------------------------------------------------------

ライヴ週間3日目。けふからお江戸へのプチ遠征。

まづはヒコーキでひとッ飛び。吉祥寺のcafe SUTEKINAにて、久保田涼子の生誕を祝うライヴ企画「Birth vol7」へ。りょーこを支えるバック陣営は、ワシらしーシュと、パーカッション&ギターに池田アースケ、二胡に芳晴、といふ布陣。全員が「演奏職人でありシンガー」といふメンバーで、ハモも自由自在。常に全員が唄ってる、といふかんぢのリハに手応えを感じる。

色々鑑みた結果、基本ノーマイク・・・ピヤノは電子鍵盤を付属のスピーカーで、ベースも簡易式のちーさい奴で鳴らし、後の楽器は完全生音で、といふ事にした。会場の規模から云ふと、ワシらには全く問題はなし。これより広い空間で生で演ったこともある位だが、問題は主役のりょーこ。なんつっても、彼女は音楽においてはアマチュア。しかしかういふ場でフンバってこそ、ワシらを付き従わせて唄う意味が生まれるのだ、と(いちをう)師匠らしく喝を入れ、本番に挑む。

結果として、りょーこは見事に演り遂げてみせた。

師匠として見れば、もっと此所をかうすれば・・のやうな部分は多くある。それを先々、共に見てやりたくなる、と云ったかんぢだった。けふ初めて一緒に音を出したメンバーも完璧で、出来ればけふと同じ編成、同じ構成で、しかるべき音響の入った会場を使ってもぅ壱度演ってみたい。そんなライヴだった。

手広く「アート/デザイン」の世界を活くるりょーこには、その世界の友人や協力者が多く、彼らの働きもまた、けふのライヴの成功に一役かってゐる。考へれば考へるほど、ワシはこの娘を16の頃から知ってゐて、危なっかしいお嬢様みたいだった少女の頃から、しぶとくしたたかにこの大都会を生きる女性として、斯様なコミュニティを持つまでに至ったか、と云ふ思ひに、感慨ひとしを。

誕生日おめでとうりょーこ。

4日(水)千葉柏市studio WUU/しーなとシュウ----------------------------------------------------------------

ライヴ週間4日目。去年の夏以来、弐度目の来訪となる、千葉県は柏市へ。

昨年7月に、正直どんな処なのかもあんまり知らずに訪れた柏。出迎えてくれたのは、柏の「仕掛人」ナリさんこと成沢ヒデトモ氏と、彼の率いる超絶音楽雑疑団パンカナリッコラ。これがもぅすごい経験で、のっけから大盛り上がりの満員の会場もさることながら、ライヴ終了後も延々と続くセッションや音楽談義は深夜まで繰り広げられ、たった壱日で柏が大好きな町、となった。

あの町に、もぅ壱度行きたい、といふ意見では早くからしーシュの意見が一致。今回もナリさんに相談した所、快く引き受けてくれた。前回は割とざっくばらんなセッション系のお店だったが、今回はグランドピヤノが入った本格的なライヴハウス。対バンはヤスコッティ&いっくん、といふ、やはりピヤノ&唄のシブい若手のデュオ。

最高なのはナリさんで、なにやらこのたび「愛の呼塚交差点」といふ御当地ソング(ムード歌謡)をリリースしたやうで、けふも全身金ピカのスーツ姿で登場。ウチらふたバンドの合間に「間劇」のやうな形で出演してくれた。これが「本気でやる冗談」の典型、といふやつで、『流石はナリさん!』と唸らずにはおれない。ライヴ以外でも、行く店通る道の其処此所にナリさんを知る人がゐて、その人望と存在感は、まさに掛け値なしの「柏の仕掛人」の様相だった。

ライヴも勿論えぇかんぢ。ヤスコッティ&いっくん、のパフォーマンスがまた素晴らしく、ソウルフルなんだがラテン系、といふ他であまり見た事ない男の唄うたいだった。相当に鼻っ柱の強い青年、と云ふかんぢだが、まだ二人とも20代で、これはこの先楽しみな若者たちだ。しんひでと云ひりょーこと云ひ、今回は若者に刺激を受けるツアーである。

終演後は、もぅ既にだいぶべろべろになってゐる(笑)ナリさんと、彼をギターでサポートした作曲家の大内哲也さんとハシゴ酒。ここでも『次回はウチで演ってください』といふ話しを戴く。ホンマにすごい町だ柏。去年に来た時も、また明日にでもその日の面子で集いたくなったが、今回も同じ気持ち。

またまた、ますます柏が大好きになった。

5日(木)横浜元町アースリーパラダイス/しーなとシュウ-----------------------------------------------------------------

ライヴ週間5日目。フとした折に、ニヤけた顔のまま寝てゐるのをしーなさんに目撃されており、旅とステージの疲労は、知らず蓄積してゐるのだらう。

けふはィヨコハマ。今年早くも3回めの来訪となる、元町はアースリーパラダイス。中華街を抜けて会場まで辿り着く時間が、だいぶ短くなった。その中華街で、まづは腹ごしらへ。明日、帰るまでに買っておく土産を、先に物色しておく。たぁ云へ、だいたいいつも同じもん買って帰るのだが・・・。

さて、けふはアスパラ3回めにして、初のワンマン。ここらでもだいぶ知ってもらへるやうになったとは云へ、なかなかにチャレンジィなライヴである。お客さん2人くらいだったら・・・、とか色々考へる。が、しかし、開演時間にはほぼ満員御礼となり、嬉しい我ら。ヨコハマのお客さんはノリが良いので、壱曲目からさかんに声が上がり、口笛が飛ぶ。カヴァーや古いオリジナルも加えた、幅広いラインナップ。

ウチのライヴの特徴として、お客さんがぢっくり聴き入る、といふのがあり、曲がフィニッシュしても1〜2秒の静寂が訪れる事が多い。その一瞬の静寂は、かなりビビるもんだが、大抵はその後に強い拍手が起こり、ホっとするのだ。けふもさういふ場面が何度かあった。

特筆すべきナンバーは、この店の馴染みでもあり、我ら旅する音楽家の仲間でもあった、焼津のヒデさんこと長井秀行さん(移動アクセサリー職人。10月に自動車事故で急逝)を偲んで唄った「Moon bow」。高田エージさんのこの名曲を、ひときわ愛してゐた、といふヒデさんに送ったセッション。店に置いてあるヒデさんのギターを、この日店の手伝いをしてゐた、やはり旅仲間のカズマに弾いてもらって唄った。

ヒデさんにも届いたかな?。

良いライヴだった。色々な縁が、ツイ去年まで、誰も知り合いなど居なかった横浜に、我らを導いてくれた。店長のミヤさん、カズマ、エージさん、そしてヒデさんも、そのやうな流れの中に、共にゐる。いつか本当に、もぅ弐度と会えなくなる日が来るまで、ワシらは『またね』と云って、別れ続けて行くのだ。

6日(金)広島十日市ふらんす座/オトナの音遊び-----------------------------------------------------------------

ライヴ週間6日目。ツアー帰り→即、地元本番。といふキョーフの流れ。

此所数日でだいぶ疲労した胃袋をいたわる為に、中華街で名物のお粥をすすり、各種土産を買い込み、ヒコーキに(正確には空港に向かふバスに)乗り込む。機内ではほぼ寝込んでゐて、あっちゅー間に広島に着。ガレージに預けてゐた車で、直接けふの会場ふらんす座に入り。けふは東京から「妹分」高満洋子と、彼女のトリオのベーシスト山内薫さんを迎えての、男女デュオ×2企画。

思ひのほか早く着いたワシらに、洋子ちゃんも山内さんも『早いねぇ〜』と驚く。ついさっきまでヨコハマにゐたんだな。

けふはそれぞれのデュオの他、デュオ相手の組み替えや全員でのセッションもあり、リハもほとんど出来ぬが、キアイで乗り切る。名うての名ベーシストと共演の多いよーことのデュオもナンだが、山内さんとのベースデュオには、流石にチカラが入った。なんせベースマガジンなどで、その『特集記事』なども読んでゐたやうな御仁である。まぁ共演は初めてではないが、完全デュオは初めて。しかも演るのがジャコの「コンティニウム」といふ暴挙。ど〜なる事やら、と思ってゐたが、思ひの他うまく流れ、割とこの日一番の拍手喝采、となった。

最後は4人でしーシュの「Dance」と、よーこの「ハレルヤ」を演って、大団円。ハードな壱日だったが、なんとか演り切った。お客さんも交えての打ち上げが終わった頃には、もぅしーシュ疲労困憊の極みにあり、本来ならしーシュの「旅の打ち上げ」にもぅ一杯くらい呑りたい処だったが、却下。やれ、お疲れ様でした。

しかしまだ音は続くのである。

7日(土)五日市sound ZERO/WADAバンド-----------------------------------------------------------------

ライヴ週間7日目。旅の間、一度もギターに触れておらぬベース弾きが、ギタリストとしてステージに上がるWADAバンド久々のライヴ。

まぁこのユニットは「超草楽団」といふ事で、素人の和田さん(vo)をプロ集団が如何に盛り上げ、また如何に自分らも楽しむか、といふ処なので。前に同じやうな経緯のバンドを見た事があるのだが、それは唄のおねぇさんがハジけまくって唄い盛り上げてゐるのに、バックのバンドはフツーに「仕事」してるだけだって、たいへんつまらなんだ憶えがある。

WADAバンドに関しては、さうなってはイカンと思ひ、またそれは皆もさう思ってゐるやうで、思ひ思ひの演り方でステージを楽しむ。本番なのにステージ上で本気笑いをしながら演奏する、といふまぁこのバンドならではのライヴ。それは観てる方もたいへん楽しいさうで・・・。終演後、多くの人にそこを指摘された。

ワシに関しては、やはり久々に手にするギターがちゃんと操れなんだのが残念。精進せねば、ね。

酒飲みの居らぬバンドなので、特に打ち上げらしき事はやらんのだが、茶を呑みながら次のライヴの展開なども話す。ここは基本的にライヴに向けて練習するバンドなので、ライヴが決まらぬとリハもない。ベースのジュンゾーさんが『それは少し寂しい』と云ひ、宴会やりながらリハをする、なんてーのはどうか?、などと話しが出て、年始にかけてのなんとなくが、何となく決まる。

やれ、お疲れでした。しかし、あと壱日、音は続く。

8日(日)JIMO cafe/インストラクター・ライヴ-----------------------------------------------------------------

ライヴ週間8日目。いちをう千秋楽。

けふはライヴ、つーかジモ・ミュージック・スクールの講師陣による「デモ」であり、しかし生徒獲得や実力披露、といふ意味では結構重要なライヴでもある。ここでヘタな事をすれば、『あそこではヘタが教えてゐる』といふ事になる。まぁさういふ音楽教室は腐るほどあるけど・・・。

モンゴル松尾(key)、King増本(gu)、上野友敬(dr)、藤本よりお(uk)、にワシ、がそれぞれソロでパフォーマンスする。過去の「デモ」では、ホンマに5組のソロライヴ、といふ様相だったのだが、3回めとなるけふは、なんかやたらと「話芸」が冴え、さしずめ『音楽漫談合戦』の様相となり、これはこれで大変オモロかった。

ワシはベースを弾き語りながら『ポップス音楽とベースの関係性と技術の推移』みたいな事を演り、たいそうウケる。思ひ付きのぶっつけだったが、これ「ひとつのショウ」としてちゃんと作れたら、意外に何処でもウケるかもしれんな、と思った。

わりとお客さんも入り、3回めのデモ・ライヴは成功。その後、教室としての会議もやり、如何にもこれから呑み→お好み焼き、と流れて行きさうだったメンバーに別れを告げ、ひとり帰る。怒濤のライヴ週間のシメは、独りが良い。

やれ、お疲れでした。これにて終了。だが、今週末には、また次の遠征が入る。よぅそろ。


2週目

9日(月)---------------------------------------------------------------

ライヴ週間終わり、のんびりした壱日。だが、レッスンもしたし、他の事もけっこう色々とやった。

あまりに長く縦ベースに触れてなかったので、練習したりもした。唄うたいカワちゃんとの「ぱんぱかトリオ」での関東ツアーが決まりさうであり、このバンドでは縦ベを使うと良く、ツアーもさう出来たなら最高なのだが、まぁ無理よね。「カラス」に馴れた身としては、通常サイズのベースですら、旅に持って行くのはシンドイ、と思ってしまふ。ウッドで旅してる人とか、よくやってるよなぁ・・・。

10日(火)---------------------------------------------------------------

久しぶりに、ベース教室に新入会が二人。ふた方とも女性である。さういやちょいと前には、水曜日は女性ばかり5コマのレッスンがあり、家での女房とのも含め『水曜日は女性としか会話せぬ日』などとたわけた事を云ってゐたな。

夜はFMの収録。今夜から女房が、恒例の大相撲九州場所観戦の旅に出ており、呑気な独り身の夜。ので急ぎ帰る必要はなく(まぁいつも急ぎ帰ってる訳ぢゃないけど)、飲みに出る事にす。たま〜に行く居酒屋なんだが、必ず見かける初老の女性がゐて、いつも独りで本を読みながら水割りを呑んでおられる。女将に訊くと『火曜日以外毎日来る』とのこと。ちなみに火曜日は店が休みぢゃけぇね、と女将は笑う。

だいたい毎日20時くらいに来て、閉店まで本を読んでゐる、といふ。女将は「家で読んだ方が落ち着くぢゃらうにねェ」と云ふが、きっと彼女には、この下世話で暖かい店の雰囲気が、独り本を読むのに最適な空間、なのだらう。素敵な女性だ。

11日(水)----------------------------------------------------------------

独り身の朝。あえていつものやうに、女房と喰ふのと同じやうな朝飯を作り、同じやうに飯を炊き、独りで喰ふ。良い。

レッスンの後、しーシュのリハをやり、しーなさんとラーメンを喰ひに行く。で、家に帰って独り晩酌。良い。

12日(木)-----------------------------------------------------------------

昼と、夕方に壱本づつレッスン。面倒臭いがその都度、家に帰る。チャリでトレーニングしてゐるつもりで。

けふは本格的に『独り家呑み』をやる事にす。かつをのたたきを買って帰り、のっけ盛りを拵え、湯豆腐を仕込み、ちょいと冷えるのでヰスキィのお湯割を呑みながら、DVDで「コンタクト」観る。良い。

13日(金)ソロ遠征「独弾」:黒瀬町串小屋-----------------------------------------------------------------

独り身最後の朝はやや曇天→のち雨。けふは女房が帰って来るが、ワシはけふから入れ替わりで旅に出る。売れっ子のアーティストの家庭のやうだ。

雨の中、黒瀬町まで車を走らせる。ライヴのできるリペアハウス、としてお馴染みの串小屋だが、道路拡張工事につき、現店舗では最後のライヴ。ワシはここで「こけら落とし」として独弾を演らせてもらっており、シメも飾らせてもらふ、といふ光栄を噛み締めながら、心して演る。

けふは独弾=ベース弾き語りにこだわらず、ギターやカリンバも弾く「マルチ弾き語りスト」として演る。かなりの雨模様にも関わらず会場は満員で、常連の皆さんと共に、串小屋さいごのライヴを楽しんだ。カヴァー、オリジナル取り混ぜ、全20曲。常連ヤマナカーニャ夫妻から、「シュウさん、またコードがシンプルになりましたね」と云はれ、やはり気付いたか、と(笑)。

最近、わりとそれを目指してゐる。以前なら3音で鳴らしてゐたコードを2音に、しかも単純な5度和音で。これでも「まだ多い」と思ってゐて、いづれはホンマに「ベースラインと唄だけ」で聴かせれるやうになりたいが、耳はまだコードを欲してゐる。修行が足らん。

お客さん交えての店打ち上げも、いちをうけふがラスト。呑みながら、ワシが全国を廻って感じる「お店とお客と演者の円滑な関係」を語る。少々アツくなってしまったが、たいへん貴重な意見を聞かせてもらった、と喜ばれた。あと、唄を作る際の心構えとか・・・。

夜も更け、いつものやうに会場の弐階倉庫に泊めてもらふ。此所に寝るのも最後かァ・・。雨音を聞きながら寝床に入り、「お化けが出る」と聞いてゐたが遂に出なかったな、と思ふ(笑)。

14日(土)しーシュ週末遠征:萩市陽だまりガーデン-----------------------------------------------------------------

串小屋から直でしーなさん宅に向かい、機材を積み込んで、けふはしーシュとして旅に出る。

萩市は陽だまりガーデン。一歩お店に入ったら、樹の薫りに心癒されるログハウス風カフェだ。今年は4月に来てゐるが、そん時は他会場でのライヴの打ち上げ、としてであり、ライヴしに来るのは去年の7月以来。しかもその時は富安秀行さんとの「唄声一座」としての来訪。ワンマンのライヴはホンマに久しぶりなのだ。

持ち込み機材を自分らで設営&いぢりながらのライヴ。最近、このスタイルに馴れたワシら。わりと『これが一番(音が)良いんぢゃないか?』といふ意見に達しつつある。

萩に来ると大抵顔を出してくれる人達が軒並み欠席、と云ふ知らせが入ってゐて、懸念せしも、最終的には満場となり、これがまた自分らで云ふのもナンだが、えらいこと出来が良いライヴで(笑)、特に久しぶりにカリンバを使って演ったヂブリの「風のとおり道」など絶賛の嵐。『また一段以上にグレードが上がったねぇ』と云はれ、嬉しいしーシュ。

打ち上げ中に「藍馬川の家(しーシュ4th「11AM」のジャケ撮影ロケ地)」のオーナー室田さん一行が来られ、再会を祝してエキストラ・ステージをもぅ壱本サーヴィス。これもたいへん喜んで頂き、相変わらず素晴らしい縁に満ちた萩の夜、であった。

片付けも終わった店内で、オーナーの山懸さんと語るには、やはり様々な事象の移り変わり。変わらぬものなど何処にもない。物事は次々と変わって行き、残るのは思ひ出のみ。だからこそ、その出会いと出来事のひとつひとつを愛おしみ、そこに帰依するのであるな、と。

さう。しーシュも変わって行かねば。

15日(日)しーシュ週末遠征:長門市向津具パタ屋-----------------------------------------------------------------

午前中、まだ寝ておられる山懸さんを起こさぬやう、ごそごそと荷物を片付け、長門へ出発。かういふ作業もだんだん上手になって来たしーシュ。来年には、この程度の機材で演れる会場をこの車で廻る、壱ヶ月くらいの旅に出れたら良いな。てゆーか、出やう。

萩→長門間は近いちかい。ので、途中マイナーな温泉地に立ち寄ったりしながら、のんびり「ぐっち」を走らせる。入手時すでに9万kmも走ってる老車だが、良く走る。

パタ屋もほぼ壱年ぶりの来訪。去年も今頃やって来た。その時は日頃のリハ不足を解消すべく、前夜入りしてステージでリハさせてもろたのだ。その時のリハで「わたしはモナカ」を完成させたのだった。

昨日の萩同様、いつも必ず足を運んでくれる人々からの、相次ぐ「お断り」の連絡が入っており、これは流石に・・!と思ってゐたが、時間になればサにあらず、結局は満員の客席となり、安堵する我ら。マジで「4人くらいかも・・」と思ってゐたので、これはホンマに嬉しい。心して唄う。

昨日と同じく、ワンマンならではのラインナップで行く。特筆すべきは、パタ屋オーナー、ヒナ兄こと嶋田日直男さんのリクエストで、「丘にのぼる時」を演ったこと。

しーなさんもソロでカヴァーしてくれてゐるし、こないだ東京では久保田涼子が唄うのを二人でサポートしてゐるが、「しーシュとして」この曲を演るのは初めて。しかし思ひ出してみると、ワシが初めてこの油谷=向津具に来た時(2002年)に演った壱曲が、この「丘にのぼる時」なのだった。そして、その時の旅こそが、ワシの東京への進出を踏み止まらせ、今の暮らしにシフトさせたポイントでもあるのだ。

昨日に引き続き、素晴らしいライヴとなった。初めての時から13年。改めてこの地と、そこに生くる人達と、自分との関わり、不思議で素晴らしい縁に感謝しつつ、これからもよろしくお願いします、と。


3週目

16日(月)---------------------------------------------------------------

長門から帰る。出がけにパタ屋を覗くと、御近所の御老人達がフロアに集まり、カラオケやフリマに勤しんでおられる。中心で仕切ってゐるヒナ兄。良い仕事してるなぁ。また来ます。

夕方前には家に着き、しかしリラックスする間もなく、パーカッション軍団のリハに行く。例の、素人パーカッション・チームをワシが牽引して唄ものを演らす、といふアレ。本番は来週水曜日だと云ふのに、個人の練習がほとんど進んでおらず、焦る。唄うことに対して気後れしてゐる人も多く、予想以上の出来の悪さに、声を荒げてしまふ。

まぁ考へてみりゃ一般人にステージでハジケよ、と云ふのも無理な話しか・・・。まぁだからこそ、自分の持ち分としての個人練はしっかりしておいてほしかったところだが、それが出来てない現状を観て、思はず鬼教官になってしまった。

逆に、スーパーカッションのクボタさんなど、厳しく指導しながらも、要所でジョークを交え、場をナゴませながらリハを進めてゆくのがとても上手で、ウ〜ム、ワシはさういふ処全然ダメだな、と。

リハ中、づっと叫びっぱなしだったので、久しぶりに声が嗄れた。

17日(火)---------------------------------------------------------------

此所数週間で唯一、レッスンしかない日。

昨日のリハで叫んで声が嗄れ、弾き過ぎて手が腫れてゐる。

18日(水)----------------------------------------------------------------

しーシュのリハ。こんだけライヴやツアーが続いても、ちゃんと時間をとってリハをするワシらは、えらいと思ふ。

ケータイの録音機能に、新曲(になるはず)のモティーフがいっぱい溜まってゐる。ほぼ完成してるのもあって、これを早く形にしたいんだが、時間がない。

19日(木)-----------------------------------------------------------------

向原までヴォイスのレッスンへ。まだ雪の兆しなく。やはりこの辺も、今年は異常にあったかい、と云ふ。

市内へ引き返し通常レッスン。ギター×2人とベース×1人。その後、教室で着替えてオリエンタルホテルへ。椎名まさ子とフライデー、としてラウンヂ営業。

何故かマイクスタンドが紛失し、デュオ形態を取ることが出来ず、此所数回はやむなくしーなさんの唄&ピヤノとベース、といふ単純な構成で演ってゐたが、けふはお客さんからワシにも唄ってほしい、とリクエストがあり、仕方なくマイクを右手に持ち、ベースは左手のタッピングのみで弾きながら壱曲唄った。てゆーか、出来た(笑)。しーなさんも感心してゐたが、ワシも驚いた。やればできるんだねぇ。

終始、ちゃんと聴いてくれるタイプのお客さんばかりで、たいへん演り易かった。毎回こんなかんぢなら良いのにねェ。

20日(金)-----------------------------------------------------------------

旅の仕度を少し。レッスン前に軽く腹ごしらえでも・・・、と思ってゐたらメール。何事かいな、と思ひきや、リハをスッ飛ばしてゐたやうで、慌てて飛び出る。1時間の遅刻。昨日の夜までその話しをしてゐたのに、すっかり忘れてしまってゐた。

けふはその後も、帽子を忘れたり、譜面を忘れたかどーかを忘れたり、チャリの鍵の在り処が分からんやうになったり、と散々。忙しすぎて色んなことがワシといふ人間のキャパを越えかけてゐる。いかんなー、かういふ事では・・。どっかの誰かみたいに瞑想でもやったら良いのかね?。

そんなアタフタな中、ゆんべに引き続きオリエンタルホテル。孤独な弾き語り「吟」。けふは丸山桂子の「どうぞこのまま」を増設。これホンマはしーなさんに唄ってほしい唄なのだが・・。あと、大ラス曲(23時半頃)に陽水の「最後のニュース」を持って来てみたんだが、これはかういふ処には向いてない曲、と判明(笑)。

あ、さぅさぅ。どーにもピッチが合わずに「ん〜〜〜」なかんぢだったフルアコを、串小屋のオクボさんがリペアしてくれた。けふの「吟」がその初ステージだったのだが、このギターで初めてホンマにストレスなく弾けたかんぢ。お見事!。オクボさん、ありがとうざいました。

な訳で、なんともばたばたした壱日だった。帰宅する頃(1時)には、もぅ疲労困憊。こんな日にチャリにするからだ、とか云はれさうだが、まぁ、ね・・・。


4週目

21日(土)深秋 週末遠征:大阪関目「我らの家」---------------------------------------------------------------

今月3度目の旅。バスで大阪にGO。

此所数週間の肉体疲労はピークに達してゐるが、しんどい、と云ふかんぢは全然ない。こは気が張ってゐるから、に過ぎず、長い移動の間なぞアっと云ふ間に眠りに落ちる。バスはその目的にも最適で、なんせ乗り換える必要がなく、座っとれば目的地に着く、といふは嬉しい。ので、爆睡しながら大阪へ。

4月のレコ発以来の大阪・関目。世界で一番しーシュの音楽を愛してくれてゐる人達、と云っても過言ではないお客さんに囲まれての夕夜2ステージ。今回もありがたいことに夕夜ともにソールドアウトださうで、そんな関目のお客さんに向けて、最適&最高なラインナップを準備して挑む。カリンバのループ演奏やインストなど、関目では初、となる出し物も多い。かういふのって裏目に出るとイタいのだが、好評を持って迎えられた様子で一安心。

あと、今回はマスターGonsukeさん、女将ミヨコさんのデュオ「MIYOGON」とのコラボを各ステージに壱回づつ挿み、それもまた盛り上がりに一役買った。ただまぁ、夜の部の最後ら辺は、流石に自分らでも集中力が限界に来てゐるのを自覚でき、お客さんの盛り上がりにもノセられ、だいぶザツな演奏になってしまったかな、と(笑)。

しかしまぁ、今年最後の関目を、やはりお馴染みの盛り上がりでシメれたのは、本当に嬉しい。来年のブッキングも決まり、なんと此所でのワシのソロも決まった。年末の京都では、またMIYOGONとコラボもあるし、こらぁますます良いおつき合いを続けさせて頂きたいな、と。

関目の皆さん、いつもありがとう。

22日(日)深秋 週末遠征:関市「ロックンロールカフェ」---------------------------------------------------------------

さて、けふは関市へ。

「関目」と「関」。語感ほぼ同じだが、だいぶ離れてゐる。関市は岐阜県。名古屋の上ら辺。わりと日本列島のど真ん中、っぽい位置にある。大阪から電車を色々と乗り継いで5時間。長良川鉄道の「富加」といふ駅に着。

まーぁ、日本にもまだまだ色んな場所があるねぇ、と思はしむるかんぢの駅である。一言で云ふと「鄙び」まくってゐる、のだが、その鄙び方に情緒がある、てかんぢ。駅前にはなにもなく、デカい銀杏の樹がどどん、とそびえてゐる。ワシらと、もぅひとり旅の若い女性、の3人だけが電車を降りたのだが、3人ともがそれぞれ駅周辺を写真に収めはじめる(笑)。『トトロが出さうですね』とその女性が笑い、場がナゴんだ。

駅前に、けふの会場「ロックンロールカフェ」の奥さんが車で迎えに来て下さってゐた。てゆーのも、どーやっても車でないと行けない場所なのだ。

田舎道の先にフイに現れる異空間ロクカフェ。ここは小学校の校長先生だった福田裕治さんが、退職後に趣味の空間として建てた、まぁ音楽家の理想郷だ。ワシらはマスターの福田さんを、親しみ込めて「センセイ」と呼ぶ。

今までここは富安秀行さんの「音もダチ」絡みでしか来た事がなく、それでも随分しーシュを気に入ってくれた人が多く、是非ワンマンを、といふ声が高かった。それにお答えして実現したけふのライヴ。まだ3回しか来た事の無い会場での、無謀なるワンマンである。自分らの把握できる範囲では全く集客の予想がつかない。ところが、フタを開けてみると満員のお客さん!。嬉しいなぁ。

昨日の関目でのラインナップに準じて、しーシュの色々な側面を観てもらふやうな構成。富安さんとの絡みで、云はば「ダイジェスト」的なライヴしか観た事の無い人にも、満足して頂けたのではないかな?。「また来て下さい」と何度も云はれ、実際、次の来訪もほぼ決まった。

ありがとう。また来ます。

23日(月)深秋 週末遠征:名古屋りとるびれっじ---------------------------------------------------------------

名古屋へ。

関市から名古屋は近い。昼には名古屋に着き、まぁ名古屋に来ればココだらう、とお馴染み大須観音へ。いつものやうに鶏の丸焼きを喰ひ、昼からビール。連休の最終日だが、街の何処もそれほど混雑しておらず、秋っぽい空と、広い遊歩道や公園など、なんかイイかんぢで、改めて名古屋はやっぱりイイなぁ、と思ふ。不思議がられるけど・・。

さて、おそらく今年最後のりとるびれっじ。今年はこれで4回目。ワシと名古屋、の関係では過去最低回数ではなからうか?。多い時には年に8回くらい来てた事もあるが・・。

オープニングには「弟分」今野邦彦にソロをお願いした。邦彦は身重の嫁さんのフリュートをフィーチャーし、いつもの明るさで盛り上げてくれた。

ウチは前半で邦彦や、マスター谷口幸至朗さんをフィーチャーし、後半を昨日一昨日に準じたラインナップで、やはり「しーシュお蔵だし」みたいな雰囲気で構成。この3日間、ウチにしては珍しくあまり構成を変えずに演ってみた。その分、土地土地での反応、ウケ方が微妙に異なるのが面白い。関目は一緒に唄って盛り上がり、関は食い入るやうに聴き込み、そして名古屋はまったりゆったりお酒とともに、みたいな。その自然な反応の違いは、ホンマに楽しくて、あぁホンマに日本もまだまだ観てない処いっぱいあるんだな、と。

終演後は、残った常連さんと飲み喰ひしながら喋る。驚いた事に、初めてワシが名古屋に来た時のソロを観てくれてゐる人が数人ゐて、今もしーシュを観に来てくれてゐる。そして数えてみたら、ワシが初めて名古屋に来たのは、ちょうど10年前だった。しーシュが結成された年の事である。ほぁ〜〜〜〜〜、感慨深いねぇ。

考へてみたら、このたびの週末遠征は「お礼参りの旅」みたいなかんぢだったな、と。

皆さん、本当にありがとう。

24日(火)---------------------------------------------------------------

広島へ帰る。

ワシの多忙月間はぢつはまだ続いてゐて、けふも帰った足でレッスンが4コマ。その後FMの収録、といふ流れ。ので、在来線でトコトコ帰る訳には行かず、新幹線で一気に広島へ。たった2時間半で着いてしまったぁ!。

そしてレッスン&収録。もぅちょっと慌ただしき日々は続く。

25日(水)ドス・オリエンタリス&レイ・タンボール広島公演----------------------------------------------------------------

先から取り組んでゐた『素人パーカッション軍団に唄って頂く』企画、の本番。

こは元々、ドス・オリエンタリス(ウーゴ・ファルトース&ヤヒロトモヒロ)とレイ・タンボール、の来日公演:広島版の前座を、我らが水木ツンが受けた事による。ツンちゃん、一世一代のプロジェクトとして、自分のパーカッション・コネクションのすべてを、此所で爆発させやうとした感あり(笑)。

企画の一部を任せられ、「監督」として担当した、とは云ふものの、けふのワシの出演はホンの一部のみ。わりと「蚊帳の外」感を感じながらも、慣れぬ大舞台に挑む、素人集団の奮闘を見守った、といふ壱日。本番の出来は、あと一歩、てかんぢ(リハの最終項が一番良かった)だったが、皆、楽しさうで良かった。コワい鬼教官になったりもしたが、まぁ良かったのかな?。

ワシはベースのソロと、ウルグアイのパーカスチームの即興コラボに参加。あとで通訳から聞いた話しによると、ウルグアイ勢から『けふのステージで一番印象に残ったモノ』として、ワシが挙がった、のださう。打ち上げで作った焼そばは彼らにも好評で、「あのベース弾きは一体ナンだ?」との声も挙がってゐた、とか(笑)。『見事なグルーヴだった』と。グラシアス。上っ面だけでも、ラテン音楽を勉強してゐて良かったよ。

早々に引き上げるつもりでゐたが、遠い国から来てくれた凄腕音楽家たちにそのやうに云はれたら、居残らぬ訳には行くまい。結局2時くらいまで、飲み語りしてしまった。

しかしまぁ、2010年に、舞台「Tip Hotel 2」の音楽監督として関わらせてもらった時と同じやうに、大勢がひとつのものを作り上げやうと頑張ったあと、の独特の清々しさ、は、やはり良いものだ。日頃、わりと孤独な活動をしてゐる身からすれば、なをさらである。皆さん、お疲れ様でした。

26日(木)シャンソニエ・シュウ@ふらんす座-----------------------------------------------------------------

前々から取り組んでゐた「シャンソニエ・シュウ」の本番。

関西のエキセントリック・デュオ「沼娘」のチエルーム、のソロツアーの対バン。としてのシャンソニエ。けふはもぅ、伴奏はしーなさんに完全任せ。ワシは唄のみに専念する。まったく手ブラでライヴ会場に赴く、なんて初めての経験かもしれぬな。けふは純粋な「歌手」として、シャンソン、ジャズ、スタンダード、映画音楽などを唄いこなす。

まぁ、かういふ事を「真面目にやってる」と思われてはイカン(実際は真面目に取り組んでも)ので、合間合間にケムに巻くMCや、意味不明の小咄などを取り入れ、全9曲を唄い切る。出来としては、少々スベるくらいでちょうど良い、と思ってゐたので、その意味ではわりと地味に演りすぎたかな、といふ点も。まぁお客さんはだいたい笑ってくれてたし、良かったのだらう。『もっと真面目に取り組んでも良かったのに』といふ意見も頂いたが、それは次の課題として・・・。

かういふ局面でのしーなさんのピヤノ伴奏はもぅ完璧に確実で、バンドを従えた、に匹敵する安心感で唄に没頭する事が出来た。さすがは我が相棒である。

試みとして、けふの「小咄&唄」といふ、まるでラヂヲ番組を聴いてゐるかのやうなステージ構成は、今後しーシュでも使えるかもしれない。演り手の主義や主張、思想や想ひ入れなど、本来 音楽には必要ないのだ。あるべきは『音楽』そのものだけ。これからもワシは、さういふ道を進む。

27日(金)-----------------------------------------------------------------

ちょいと休憩の壱日。けふはレッスンが2コマのみ。

しかし、用事が多く、チャリで西へ東へ奔走す。色んな人に会った、といふかんぢの壱日となった。昨日から急激に寒さが増し、その分カラリと空が晴れ渡り、まぁ清々しい日だった。

これから先、何を唄ってゆくべきか、を考へる。此所数日で感じた、自分の中の音楽と、世間一般で云はれる音楽との乖離。「うた」は何処にあるべきか。それを奏でる我らは、なにを心に持つべきか。ひとつ確かな事。そは、かうして文面にできる事の中に、答えなどない、と云ふ事。言葉は多ければ多いほど、その本質を嘘臭くするのだ。語ってはならぬ。唄い続けるのだ。

明日のジモカフェでのソロ・パフォーマンスで、この怒濤のライヴ月間が、一区切りつく。結局、今月は19本のライヴを演った。やってみて気付いたが、ライヴで喰って行く、といふ事の為には、これでもまだ足りない、といふ事だ。

28日(土)---------------------------------------------------------------

たぶん、今年最後の「独弾」。久しぶりのジモカフェ・ライヴだ。

けふのはジモカフェマスターRIKUが企画したもので、いつもは割とクラブ系のイベントが多い此所で、アクースティック系のも是非、といふ思ひから、のやうだ。まぁ、アクースティック、とは云へ、昨今プラグドしない生楽器など無く、かく云ふワシも電気ベース。ループマシンとワウのみのワシなぞ「原始的」ですらあり、みんなどデカいえへくたボードを持ち込んで来てゐる。あくまで「らしさ」としてのアクースティック、て事で。

久しぶりに若者ばかりの出演者に混じって、の参加となり、年齢なぞワシの半分くらいのコらばかりで、しかしこの辺に媚びるでもなく、イバる訳でもなく、フツーに接し接せられる自分を、まぁ良い50歳だと思ふ。しかしまーワシが初めての音楽仕事をした頃に、このコらは生まれたのだよね〜。ま〜〜〜〜〜〜、なんていふか・・・。

しかしなんともおとなしいお客さんだったな(笑)。ほとんど喋らずにダダっと演ったワシはまだしも、場内を煽り煽られしながら演るタイプのコらは演り難さうだったな。怒濤のライヴ月間のシメ、としてはちょいと尻すぼみ、のライヴとなってしまったが、まぁこれもまたライヴ。

この壱ヶ月、よぅ頑張ったワシ。だが、こないだも書いたやうに、今の思ひとしては『これではまだ足りない』といふ気持ちの方が強い。怒濤、とは云っても、たかだか月に19本だ。ビジネスマンが月に働いてゐる日数を見よ。

まだまだ、である。

29日(日)---------------------------------------------------------------

休みの日。久しぶりに女房と焼肉を喰ひに行く。なんか聞いた事もないやうな名前の部位を食す。美味い。

むか〜し(今もあるンか?)『ソフト焼肉』といふのがあった。子供の小遣いで買えるくらいの値段で、タレに漬け込んであり、『ソフト』の名のとおり柔らかくて、たいへん美味い部位であった。今にして思へば、たぶん横隔膜ら辺の肉なんだらうが、子供達だけでのキャンプなどで重宝してゐた。

それを喰ってると親父がポロっとこんな事を云った事がある。

『前ぁよぅ闇市でかういふ肉を売りよったよ。たいがい犬か猫の肉ぢゃったらしぃがのゥ』

かういふ話しをされたら嫌がる人も多からうが、ワシは昔から「へ〜、犬や猫の肉ってどんな味なんかな?」と思ふタイプだった。今でも『はい犬肉です』と云はれて出されたら、食べてみると思ふ。

30日(月)---------------------------------------------------------------

よなかのとうふ、リハ。まぁライヴが決まってゐる訳でもないが、取り合へず3人で音を出しておくか、みたいな。考へてみたら、こないだのジモカフェライヴなんか、このユニットで出てもよかったな、と。まぁ今思っても仕方ないが。

さてけふはバイトに行く。

決まった場所に決まった仕事を入れてバイトす、てのは難しいが、単発のちょっとした労働、をこのやうに回してもらふやうにしてゐる。大抵が仕入れやら搬出、といった単純で軽い肉体労働で、素性も聞かれずに働けるのは気分転換にもなってよろしい。けふは閉店後のデパートでのディスプレイのお手伝い。担当してくれたのは若い女性の転売員で、こんなおっさんが来るとは思ってなかったに違いない。

だがまぁかつてのワシは、三桁に迫る仕事をこなしたプロのアルバイター。今でも手際良く働ける自信はあり、けふもそのやうに。「すごい手早いですね」などと云はれながら、ほどよく労働。清々しく勤め上げ、気分良く夜風を切ってチャリで帰る。