5月


1週目


5月1日(日)-----------------------------------

休み。上手い具合に雨天。2時間少々練習した後は、一日ビデヲ見て過ごす。超々々B級モンスターもの『アイスランド』。なんで南極でヘビが動けるンだらうか?。しかもこんなデカいヘビがあんなスピードで動けるのか?。もうひとつはホラーもの『ゴシカ』。大した期待はしてなかったが予想以上に面白かった。アカデミー賞女優ハル・ベリーの、フィジカルなイロケにもおおいに満足。

2日(月)------------------------------------

黄金週間内だが専門学校。午後からネコノヅクのリハ。ようやくアレンジが固まってきた。3時間の練習の後に、ウチの女房も呼んで、駐車場でのバーベキュウをする。火を焚き、肉を喰ひ、酒を飲む。此所の家族とは、すっかり夫婦同士で付き合えるやうになった。

3日(火)------------------------------------

晴天。また山にでも行きたくなるが、昨日あれだけ呑んだからなぁ・・・。まぁプチトレッキングといふ事で、ビデヲ屋に30分ぐらいかけて歩いて行く。会員カードの更新を兼ねて、ブルーズ・ウィリスとモニカ・ベルッチが共演してゐる「Tearof the Sun」を借りて来る。これまた意外にオモロかった。全編にアフロ系の民族音楽を基調にしたサントラが使われ、これがまた良くハマってゐる。

映像と音楽、が良く同じものとして扱われてゐるのを目にするが、アレはちょっとどうか。例えば佇んでゐる人間の横顔に「歌声」といふタイトルをつける事の方が、音楽的だ。さういふ意味では、やはり昨今、音楽家の表現への努力が足りない、と思ふのである。「分かりやすい」と云ふ事は確かに大事な事だ。しかし、「明解さ」と「幼稚さ」は同義語ではない。

4日(水)------------------------------------

晴天。けふこそは山に行くベ、と思ひ、とりあへずバイクで出発。県北を目指して小1時間走り、適当なところで目についた枝道に入る。舗装路が切れたところにバイクを停め、そっから歩く。大して歩かぬうちに小さめの池のほとりに出た。どうやらシーズンオフのキャムプ場のやうだ。水辺に座って1時間ぐらいぢっとしてゐる。此所まで山奥に入ると、流石に人工音は一切聞こえぬ。風の音、水の音、鳥の声、それだけ。とても良い。

湖畔にひとつだけテントが張ってあって、誰かがビヴァークしてゐるやうだ。が、辺りには全く人の気配がない。・・・・・ここまでどうやって来たのだらう?。どこにも車など停まってゐなかった・・・・・・・。炊事場を使ってゐる形跡も無い。なにより、テント以外のものが、なにもない・・・・・・・。

なんとなく恐ろしくなって来たので、退散。

夜は、春のツアーで出演させてもらった名古屋のLittle village のマスター谷口幸至朗さん率いるWET BACKの広島ライヴに行く。前座に二つバンドが出たが、はじめに出た人らはキツかったな。ギターも唄もハーモニィも、単に下手、と云ふより、なんか凄く耳障りなグループ。悪いけど拍手出来なんだな。2ツめに出たお馴染みCha cha perra が、とても癒しに思えた。

WET BACKは正統派カントリーロック。フィドルの人がエエ感じを出してゐた。MCでワシの事など話してくれて、しかし誠にえにしと云ふは不思議なものよ。名古屋と広島・・・・。近くはない。しかし遠くもないのだな。後のツアーもお気を付けて。

5日(木)-----------------------------------------

Far east lounge でイベントに出演。よくある郊外型の、どうしてこんな山奥に街が出来るかね?と思わせるニュータウンの、更に上の方に新しく出来かけてゐるベッドタウンの、ウチの車がうんうん唸って煙を吐きながらようやく登るやうな高台の、ほとんどマチュピチュ*のやうな街の一角にある、住宅展示場の、片隅の、特設ステージでのコンサート。

バーリ・トゥードバンドFar east〜の面目躍如たる内容で、けふはサックスにウノ・ユリカ女史も加えた4人編成で、R&Bあり、ポップスあり、レゲエあり、演歌(!)あり、カエルの唄(!!)あり、コドモをステージに上げてのパーカッション大会あり、とまさに何でもありのライヴ。意外にちゃんとしたステージで、司会者もゐて、PAもちゃんと入ってゐるイベント。持ち時間もたっぷりあった。

カシラは用意してくれてゐたが、今回はソロは演らなんだ。正直な話、此所数日マトモにベースに触って無かったので、普通のベースラインもミスりがちだった。いかんいかん、ちゃんと練習しとかねばね。

終演後は「流れ解散」。職人集団である。まだ日も高く乾いた風が心地よい。

しかし、まぁ、ナンだね。住んでる人にゃ悪いけど、いくら中心街へのアクセスは早いとは云ふても、こんな辺鄙な場所に引っ込んでまで、分譲一戸建てが欲しいかね?。

マチュピチュ:南米はペルーに存在する、インカ文明の古代都市遺跡。標高2,280mの頂上にあり、山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれる。相当に高度な文明を持ってゐたとされるが、16世紀半ば、ナニカの理由で放棄され、その後400年以上にわたって人の目に触れることはなかった。1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが発見。未だ多くの謎に包まれた古代遺跡である。ちなみにあの有名な「ナスカの地上絵」も、同じペルーにある。

6日(金)-------------------------------------------

黄金週間終了。昨日のアレでちょっと真面目にベースの基礎練習。昼から専門学校の授業。その後、久しぶりにマシントレーニング&サウナ。個人レッスンをひとり。夕刻に帰宅。プロ野球交流戦がけふから始まった、とか。ワシは野球にもほとんど興味は無いが、確かに少しオモロさうだね。

先週、デンマークの会社に直接注文したCDがもう届いた!。すごいぞデンマーク!。ちゃんとデンマークの切手が貼ってあるぞ。発注してから1週間経ってねぇぞ!。早えぇ〜〜!!。いや〜〜〜世界は身近になったのだねぇ。さぁみんなも、レッツ海外通販!!。英語の勉強にもなるぞ。

小包の中に、何故かお香が一本だけ入ってゐた。サービスか?。


2週目


5月7日(土)-----------------------------------

例の、デンマークのバンドのCDを聴きながらヲ−キング。オルガン、バスーン、パーカス、といふ変わった編成。想像してたのとだいぶ違うけど、これはこれでオモロイ。別のも聴いてみたくなった。

ネコノヅクのリハ。ライヴが1ケ月後と近付き、内容も固まって来た。新曲が6ツ。増やし過ぎか?とも思ふが、まぁ演ってみりゃいいか。

夜、こないだCDを購入した、ヨーヨー・マの「シルクロード・アンサンブル」の特集がTVであった。その内容に言葉を失う。これは単に興味本位な企画モノではなく、音楽家達の壮大な旅だ。マ氏はこのアンサンブルの活動を、後半生のライフワークだ、と云ふて居る。このやうな思想と展望が、世界的に著名なクラシック畑の人から出て来たことが、とても素晴らしい。と、その反面、このテの人達にこのテの事に真剣に取り組まれたら、ポピュラー系のミュージシャンでは全く太刀打ち出来ぬよなぁ、とも思ふ。

まぁ、えせニックはえせニックで、フェイクして行きませうか。

8日(日)------------------------------------

インストラクターズの指導法研修会(のやうなもの)があって、参加する。ひとしきりレクチャーやなんかがあって、その後にインストラクター同士でセッションする。かういふ機会でもないと会わぬ人もゐるので、それなりに楽しい。が、みんなあんまり楽しさうでもない。

午前中から始まって夕刻まで。長い。打ち上げになだれ込みさうだったので、帰る。

フと気が付くと、風景の中で、木々の緑色がえらく濃くなってゐる。新緑萌ゆ、と云ふのだらうか、初夏に近付いて来てゐるな、といふかんぢだ。風情は仲々だが、かういふ季節は、ワシがこの世で最も苦手なヒトたち-----毛虫くんや芋虫さんやはらぺこあおむし---が沢山現れるので、気が抜けない。

9日(月)--------------------------------------

専門学校。ひとコマだけ授業やって、その足でジムに行き、結構疲れるまで泳ぐ。その日の仕事が全部終わった後は、かういふ『体力の無駄遣い』ができるから良いな。夕刻から別の仕事が入ってゐる日はさうは行かない。

けふは台屋悶怒シティ粗霊油内の高級食材店に寄り、前々から気になってゐた『サバカレー』の缶詰めを買ふ。他に無添加ピーナツバター、夏場の靴下のやうな強烈なにほひを放つヲッシュチィズなども買ふ。

なにか前腕部に軽い筋肉痛のやうなものが残ってゐるな、と思ひ、よく考えて見たら、昨日研修会でドラムスの体験レッスンを受けたせいだと知る。パーカッションをいくら叩いても、まぁ、打撃による掌の痛みこそ残るが、筋肉痛は起こしたことがないのだが。やはりドラムスと云ふは、不条理な力を駆使してゐるパートに違いない。

10日(火)--------------------------------------

先日の研修会のセッションにて、技が少々荒くなってゐる事に気付き、最近おろそかだった基本練習に時間を割く。スケール練習をしてゐるうちに、「ムガーム奏法」と云ふのを思ひ付く(コラコラ、基礎練習ぢゃないのか!?)。ムガームとはアゼルバイジャンの、歌唱などを広く含めた旋律の様式の事だが、このムガームの第一人者アリム・カシモフの歌声をベースで真似たもの、である。まだ披露出来る段階ではないが、これがモノになれば、ワシの「えせニック」度にもさらに磨きがかかることだらう。へへへ

専門学校〜個人レッスン〜オルカのリハとまづまづ忙しい一日。オルカのアンサンブルも最近かなり荒さが目立つ。ユルいからと云って気を抜いて良い訳ではない。メンバーにはもう少し意識を高く持ってほしい、と思ふ。

11日(水)---------------------------------------

妙に身体がダルいので、週例のプールはパス。譜面書いたり、新曲作ったりする。しかし、こんなふざけた日々を送ってゐて、なんでワシは生活出来てゐるのだらうか?。タマに、あまりの自分の『働いて無さ』に愕然とする事がある。

まぁワシは、起きてゐる限り、ほぼ24時間音楽の事を考えてゐて、それが「仕事」っちゃ仕事なのだが。

12日(木)---------------------------------------

朝、ワシがヲ−キングするコースで、『芝の養成』が行なわれてゐる。造園業者の、陽に灼けた逞しい青年達が、2トントラック一杯に積まれた、50センチ四方ぐらいの芝を、剥き出しの地面にぺたぺたと張ってゆくのであるが、道のカーブに合わせて丸く切ってあったりして、なんか可愛らしいのである。この「芝」も、製品として売られてゐるのだらうか?。『本日、芝(丸型)¥○○』とか云ふ広告を見て、『おォう、これは買い得だ!』とか云ふのがあったりするのだらうか?。

世の中には、様々な職種に応じて様々なグッズが売られてゐて、例えば、ワシらが弦の巻き取りに使うペグ回しのやうに、その業種以外の人には使い方の想像も付かぬグッズも、然るべき場所に行けば、売られてゐる。商品になる、と云ふ事は、それを作る人がゐて、また、それを考案する人もゐる訳で、ワシは、それら、人の目につかない処で、特定のヒト以外には気にも留められないものに、真剣に取り組んでゐる全ての業種の人々に、心から敬意を表したい。

夜、日系4世のハワイアンウクレレ奏者ジェイク・シマブクロがTVに出てゐる。噂には聴いてゐたが、なんと鮮やかに弾いてみせる事よ。ウクレレてあんな事が出来るんだねぇ。ベースと同じ4本の弦であの表現力。すごい。やはり『根付いたもの』の強さ。かと云ふて、日本人の三味線奏者が、あれと同じレベルの事が出来るか、と云ふと・・・・。ヌ〜〜、日本人ってホンマに不器用な人種やな。

13日(金)-------------------------------------

ウチのベランダから見える川で、男子5人女子1人の子供の集団が遊んでゐる。見たところ小学校3〜4年といったところか・・。この歳頃で紅一点の編成は珍しいな、と思ひつつ望遠鏡で観察す。明らかにその川遊びに飽きてゐるらしい女の子が、『帰りたい〜〜』と叫んでゐるのを無視して遊び続ける男子ども。まぁオトコたるものさういふものよ、と思ひながらも、女の子は大事にしてやりぃな、とも思ふ。男は幾つぐらいから女の子の主張(あるいは声明)を、尊重(あるいは甘受)するやうになるのだらうか?。

昨日ぐらいから、「王子」と自ら名乗る阿呆男の、胸糞が悪くなるやうな事件。単なる底なしに無知の愚かな人間には違いないが、ちょっと前まで売れに売れてゐた、ファンの事を『ぼくのスレーヴ』と呼んでゐた、あのビヂュアル系バンドの男らも、一歩間違えば、これと同じだったのだらうな、とも思ふ。

夕方、久しぶりにBobby'sのリハ、と云ふより「練習」。来週、ちょっとした仕事が入ってゐるので。


3週目


5月14日(土)-----------------------------------

寒いのか暑いのかよう分からぬ気候だな。先の予定がコポコポと決まって行きつつあるが、今年は、恒例の夏の長期ツアーはやらぬ事にした。何となく今はそっちへのモチヴェーションが働かない。少し「音」(かういふ事云ふと、単純にサウンドの事だと思ふヒトが多いが違うぞ)に対して行き詰まってゐるやうな気がする。今のワシは、最近鼻につくキムタクの云ふ『開いてない』状態なのだらう。

それを敏感に察知する椎名さん。『元気ないね?』と云われて驚く。今際の寄与知ろうのコンサートに行かぬか?と誘ってくれる。椎名さんとデートするのは良いが、残念ながら寄与知ろうにはあまり興味が働かず。

15日(日)--------------------------------------

クサってゐても仕方がないので、山に登る。けふは単独行。こないだと同じ弥山の堂元登山道。まぁ日曜日だから仕方ないが、結構ヒトがゐてシラけるなぁ。「駒ケ林」といふ標識があったので、そこに登る。林、て云ふからには林だらうと思ってゐたら、弥山山頂の岩場の事をさう云ふらしい。どどーんと大パノラマが楽しめるナイスな場所だった。弥山って山頂は地表が無くて岩だけなんだって、へ〜〜〜〜!!。

高所恐怖症のワシには、ちっとケツの穴が開いて来るやうな処だが、意を決して岩場の先まで行き、腰を下ろして1時間ぐらい山と会話す。しばらく誰も居らなんだが、二人組のおばぁちゃんがやって来た。70歳だと云ふ。しばらく歓談して、その二人が登って来た道を降りてみる事にした。ところが!!。これが本格的な登山道で、サイン(登山者のための標識。カラーテープが枝に巻かれてゐる程度のもの)を頼りに潅木をかき分けて進まねばならぬ、しかも、場所によってはクライミングも必要な難ルート!。あの二人、ホンマにここを登って来たの?。かういふ道は、足下ばっかりに気を取られてゐると、サインを見落としてしまふので気が抜けぬ。しかも登山は『上り体力、下り技術』と云ふ。やれやれ、えらい事になった、と思いつつ、でも取り合へず下りるしかない。

適当な倒木で杖をこしらえ、休み休み、1時間ぐらいでなんとか下山。下から見ると、ルートなど全く分からぬ。上級登山者のためのコースであった、と納得。お世話になった杖を山に返し、汗だくで帰還。良い登山だった。

16日(月)---------------------------------------

ハードな山をやった翌日だが、日頃のぢみなトレーニングのお陰で、目立った筋肉痛もなし。念のために専門学校の授業の後、30分ほど泳いでストレッチとする。けふは夜にBobby'sトリオの営業がある。

夕刻前、ドラムスの藤井マナブの家に行く。早めの晩飯を御馳走になりながら、マナブ秘蔵のコアなビデヲ(音楽モノですよ)を見る。8:00前にマナブの車で会場入り。よく分かって居らなんだが、大金持ちの慈善団体のなん周年かの記念式典でのゲスト演奏、といふ事のやうだ。BGMかなんかだと思ってゐたが、ちゃんとした演奏枠。その割に、サウンドチェックもリハもなしで、いきなり本番。まぁ完璧なコトが演れる訳がない。それでもまぁアンコールも(2回も)来て、楽しんではもらえたやうだ。しかし、かういふ席って、終演後、席に呼ばれて色々振る舞われるのには、毎回閉口する。歓迎してもらえるのは嬉しいけど、酒の入った金持ちって、濃ゆくてねぇ・・・・。

帰りの車の中でマナブと、あの人達は確かにおカネの大好きな、少々品のない人達だが、彼らは彼らなりに、例えばワシらが起きてゐる限り音楽の事を考えてゐるのと同じやうに、おカネの事を考えてゐるのだらうな、と話し、それはそれで、結構しんどい人生だらうなぁ、と思ふ。決して負け惜しみではなく、金持ちにはならぬ方が人生は楽しい。

17日(火)----------------------------------------

日、月、ととても情報量の多い日々を過ごしたので、まだ火曜日か?といふ気がする。

ゆんべはどうしたのか全然眠れず、朝までづっと音楽聴いたり、本を読んだりしてゐた。日が昇る頃、ようやくウトウトしかけたが、ここで寝ると多分昼まで起きれぬだらう、と思ったので、起きる。その後は、専門学校→個人リハ→レッスン→オルカリハだったが、懸念したほど眠くはなかった。

昼飯の背油ラーメンを食してゐる最中、MIから電話(奇跡的にケータイを持ってゐた!!)。なんと車に轢かれた、と云ふ。声を聞く限りでは大事には至っておらぬやうだが、一応、安静と云ふ事で今夜のリハは欠席。残りの3人でリハ。詳しい状況が分からぬが、大丈夫かいな?。

18日(水)----------------------------------------

MIの怪我は軽くて済んだやうだ。色んな情報が錯綜してゐて、全身でパーンと跳ねられたのか、下をゴンとぶつけられたのか、上からぷちっと轢かれてしまったのか、分からぬ。湿布を貼って寝てゐる、といふ事だ。

レッスン前に、日曜のイベントの為に、かをりのドラムセットをウチの車に積んでおく。先日の藤井マナブのコンパクトなセットに比べて、なんとかをりのセットのかさばることよ。ドラムって大変な仕事だねぇ。

このところ連日のやうに、狸らしい小動物のD.O.R.(Dying on the Rord=車による轢死体)を見かける。狸が人里に姿を現わす事自体が珍しいのに、この多さはなんだらう。さういや先日登った弥山の山頂でも、やたらカラスが騒いでゐたなぁ。ナニカの前触れぢゃなからうか?。

19日(木)------------------------------------------

朝からインストラクターズ会議。楽器店主催による生徒の発表会の企画会議だ。昼過ぎに終わり、そのままジムへ。30分ほど泳ぎ、讃岐うどんで昼飯。そのままレッスン。空き時間に久々にタワーレコードを散策す。アフリカのバ・シソコといふ若手のアルバムを買う。コラといふアフリカンハープ2台とベースにパーカス、といふ編成。超絶のガットギターにしか聴こえない。こんな速いフレーズ、ハープでどうやって弾くんだらう。

音は正統派。アフリカの唄ものって、かうして聴くと、ホンマにポップスの源流だね。いやぁアフリカは奥が深い。名前からして『』だからねぇ。

このバ氏、グリオの出身。グリオとは、ポピュラー音楽といふモノが確立される遥か以前から存在してゐるアフリカ独自の商業音楽である。このグリオの民は家族を中心としたグループで各地を巡り、音楽を奏でる事だけで生計を立ててゐる。同じやうな民族にジプシーが挙げられるが、底辺層として蔑まれてきたジプシーに比べると、元々は王族のお抱えの楽士であったグリオは、非常に敬われ、愛されてゐる。

その唄の内容と云えば、『あぁ、あなたはなんと素晴らしい王だ!その威厳の前ではどんなものもひれ伏す!あなたの為に私は唄おう!あぁなんと素晴らしい王様だ!!なんと素晴らしいのだ!!』。あるいは『あぁ漁師さん!あなた達のお陰で私は魚が食べれる!なんと素晴らしい職業だ!!なんてすごい漁師なんだ!!!』といふやうな事を、素晴らしいコブシと、惚れ惚れするやうな張りのある声で朗々と歌い上げるのである。で、ギャラをもらう。

まぁものすごい大仰な太鼓持ち、と言えぬでもないが・・・・。

20日(金)----------------------------------------------

2〜3日前から左手の小指が痛む。ので、しばらく練習はしないでおく事にしやう。

昼から専門学校→個人レッスン。けふは友人のサックス奏者宮田麻美女史のリサイタルがあるので、東区民文化館に行く。少し時間があったので、台屋悶怒シティ粗霊油に寄り、書店で中島らもの遺作「ロカ」を購入。最近はギターのまちゃあきと、競うやうにしてこの人の本を読み漁ってゐる。

さて、麻美さんのコンサートである。500人ぐらいの大ホールがほぼ満員。子供から大人まで。まぁワシらみたいに頻繁にライヴを演る訳では無いにせよ、こんだけ人を集めるのは大したもんだ。演目は現代曲が大半。この辺が麻美さんらしい。曲ごとにメンバーが変わり、その半分がワシの知人。ワシはなんのミュージシャンなのだらう?。

圧巻だったのは、ルイ・アンドリーセン作曲の「Hout」。サックス、マリンバ、ピアノ、ギターが、全く同じ旋律を16分音符1コづつズラした状態で、ほとんど休符なしに10分以上弾き続ける、といふ驚異の集中力。これ、演れ、って云われても出来んぞ・・・・。

非常に満足してウチに帰ると、女房から、遂にTVが「イって」しまった、といふ話し。夕方、いきなり画面が消えて、煙が上がったらしい。結婚して1ケ月ぐらいの頃に、質流れ市で買ってきたものだから、10年。よく持ったもんだ。長い間ご苦労様。これを機にTVなしの生活にしても良いのだが、ビデヲは見たいしなぁ・・・・。


4週目


5月21日(土)-----------------------------------

今夜は友人のギタリスト田川ヒロアキが下関からやって来て、明日のイベントの為の、リハを兼ねたセッションを演ることになってゐる。結構前に届いてゐたmp3音源の資料を、「そのうちチェックしやう」と思ってゐながら忘れてゐた事に気付き、慌てて3曲コピー。

TVがイってしまったので、女房が音声だけ流してゐる。聴くともナシに聴いてゐると、昨今のお笑い芸人と呼ばれる輩が、いかに程度の低い事をやってゐるかが良く判る。聴こえるのは笑い声と叫び声だけ。宴会場で騒いでゐる若者と、何の違いもない。これの何が面白いのか。逆に石塚英彦ホンジャマカ)の食べレポート番組など、音声だけでも充分楽しめる。

ものすごくテキトーなレッスンを、アクターズでやった後、リハ&セッション会場であるDonちゃんに行く。田川君、7年ぶりぐらいの再会。ん?ちっと太ったな、おヌシ(笑)。当時は彼のバンド、カラーズのツアーであっちこっち連れ回してもらって、そらもう楽しかったものだ。しばし近況などを話し合った後、明日のイベントで演るであらう曲を、パーカスのツンちゃんとのトリオで5曲程度合わせる。公開リハやな。ほぼ問題なく仕上がる。明日が楽しみ。しかし天候が崩れる、と云ふ予報が・・・・・・。

22日(日)-------------------------------------

観音マリーナホップ、といふまぁ場末のテーマパークのやうなところでのライヴ。先月Far east lounge で出演したのと同じイベントだ。けふはオルカ団3ステージ、田川プロジェクトで2ステージ。ウチのメンバーに田川君を紹介して、急遽かをりにも1曲参加してもらふ事にもなった。あいにくの曇天。時折雨がパラつく&気温が低い、といふあまりよろしくない天候。

そしてオルカ団である。

家族づれで賑わふアットホゥムなテーマパークに、「帰れアジアへ」や「とりあたま〜」などが炸裂するのもどうか。ワシはかういふ処で、好き勝手演って、これが俺達の姿だ!などと自己満足することが良し、とは絶対思わぬ。オルカ団は正義のバンドである。大人から子供まで、チーマーから受験生までもが、(その気になれば)楽しめるバンドでなくてはいけないっ。

と云ふコトで、熱いお湯に爪先を徐々に漬けて行くやうにステージを進行させる。オルカらしさを出しつつ、なをかつ聴き易く。まぁfar east〜ほどではないにせよ、オルカも立派な『なんでもあり』バンドだしね。そこは上手くレパートリィをまとめられましたよ。

意外なほど沢山の人が足を停めてオルカを見てくれた。はっきり言ってかなりウケてゐる。4〜5人がぱらぱらと拍手してくれるやうであれば上出来、ぐらいにしか思ってなかったので、これはほんたうに驚きだった。3歳児ぐらいの子供が踊ってゐる後ろで、4〜5人のチーマー風男女が聞き入ってたりして、素晴らしい!。自分が牽引しておってナンだが、力のあるバンドである。田川君とのジョイントも上出来。長年一緒に演ってきたかのやうなアンサンブルが出来る。急遽参加してくれたかをりのサポートもほぼ完璧。

懸念してゐた騒音へのクレームもなし。店員がわざわざ出て来て聴いてくれてゐたりした。大成功、と云って良いイベントだった。

田川君と再会を誓いあって別れ、ウチらはワシの旧友が働いてゐる飯屋で打ち上げ。スタッフのイノマルが『シュウさん、疲れんのですか?』と訊く。さうだな、けふも結局5ステージ出ずっぱりだったな。特にセーブしてるつもりはないけど、この頃はライヴで疲れる事はほとんど無い。まぁパフォーマンスやって疲れるやうではパフォーマーぢゃないよね。

23日(月)----------------------------------------

ライヴの疲れより、酒が残ってゐて、何となく身体が重いマンデイモーニング。朝から専門学校である。よせばイイのにその後ジムに行って30分泳ぎ、かなり本気でくたびれる。次の予定まで少し時間が空いたので、台屋悶怒シティ粗霊油に行く(最近よく行くね)。その後アクターズスクールの企画会議。例によってほとんど発言せず。

夕方、散歩。ワシは午前中の散歩が好きだが、この時間帯も良いな。草履を履いてしゃりしゃりと小1時間ぐらい歩く。晩飯はレヴァニラ。今週は恐らく今夜が唯一ウチで晩飯が喰える日。明日から土曜日までびっしり予定が入ってゐる。

24日(火)---------------------------------------------

今年の専門学校は1年生が居らぬので、2年生の授業が週に3回だけ、といふ呑気な事をやっておったが、此所に来て他の科から編入を希望してゐる生徒がゐるさうな。なんか今さらめんどくさい、といふか・・・。仕事が減るのは確かにナンだが、もう『減ったもの』と思って日々過ごしてゐた処に増える、てのぁ、ねぇ。

夜、藤井政美、桃井准両名と、来月6日の企画ライヴのリハ。適当に音を出したりしながら、演り方を模索して行く。思ってたのとだいぶ違う事になりさうだが、それはそれで面白さうだ。こりゃ久々の大即興大会、かも。久しぶりに聴く政美のサックスは相変わらずキレる。彼とはいつかパーマネントな活動をしてみたいのだが、何せ忙しい男なので、遠慮してしまってゐる。

そこそこに美味で、サービスも仲々、ワシが高校生ぐらいのときからあって、最近はワシら夫婦が懇意にしてゐて、いつ行ってもガラガラで、絶えず『いつ潰れてもおかしくない』オーラを放ってゐた某リストランテが、先日、遂に潰れた。それはまぁ時流として仕方ない事だが、早々に解体され、更地になった跡地に、何が出来るのかと思やぁ、分譲マンションだとよ。貧しいよなぁ・・・まずしい!。

それにしても、少子化で、これからは人口が減って行く一方だと分かってゐるのに、なんでこうまでマンションや家ばかりが建つかね?。爪の先ぐらい考えりゃ、どういふことか判るだらうに・・・。

25日(水)----------------------------------------

<マダガスカルの超絶ギタリスト>デ・ガリとバラ族の治癒儀礼といふDVDがアマゾンから届く。以前新聞で、このデ・ガリといふいかにもなギタリストの来日のニュゥスを目にしており、見てみたいもんだな、と思ってゐた。なにせ「デ・ガリ」だからねぇ。「マダガスカル」だからねぇ。さらに「バラ族」だからねぇ。期待せぬ訳にはいかんだらう。その時のデ・ガリのライヴDVDが最近発売されたと知り、注文したのだ。

はぢめにバラ族の、ホンマもんの村人達が、バラ族の伝統音楽(と云ふか、ほとんど儀式だな)を演る。結構ハードでトランシーな音楽と踊り。バラ族には医者は居らず、病人は音楽で癒す、といふ。病に罹った者が出るとその家では、このハードな音楽と踊りが、病人が起き上がるまで何日でも続けられるさうだ。ワシらが考える「癒しの音楽」といふのとは随分違うな。

続いてデ・ガリの演奏と唄。ホンマもんの村人に比べると、こちらはスタイリッシュなミュージシャン。確かに超絶技巧のギターだが、非常にポップで明解。音色の違いはあれど、カリンバの重奏を聴いてゐるやうだ。アフリカ音楽、といふビートの強いモノを、ギター1本で構築するのに、必要にして最小限の、しかし最大限のギター技術。嫌味な要素がまったく無い。勿論エンターテイメント的要素もゼロ(笑)。1キロ泳いだ後だったので、気持ち良くて寝てしまった。

かういふの見ると、ギターと云ふ楽器の可能性が、まだ未開拓な部分を残してゐる、と思ふなぁ。大抵のギタリストがジャズ、ロック、ブルーズの枠の中で終わってゐる、と云ふのを、強く感じる。まぁそれぞれが魅力的で奥の深い分野ではあるのだけど、ひとりふたり突出したヒトがゐてもいいんぢゃないの?。所詮どれも借り物文化なんだし。

日本人でそのやうな試みをしてゐるのは、御大石間秀樹氏ぐらいか。

レッスンの後、ネコノヅクのリハ。ライヴは来週に迫り、けふは音響スタッフの総見も含めたリハなのだが、まだ問題山積み。

26日(木)----------------------------------------

ドラムスのかをりと少し話した結果、しばらくオルカを休みたい旨。此所数回のリハでの気の入ら無さからも、さうした方が良ささうだ、と、ワシも思ふ。ライヴがいい感じに演れるやうになって来た時だけに残念だが、敢えて活動休止宣言をする事もない。また自然にやる気になった時に集まって音を出せればイイや。むしろオルカ自体はさういふプロ集団であってほしい。

夜、レッスンを終えた後、久々に電脳ドラマーの上チャンと飲みに出る。彼がインドに行く前と、帰って来た後に呑みに出て以来。その2回と同じ店で呑む。彼はワシの事を、完全なソロミュージシャンだと思ってゐる、と云ふ。ワシとしてはそんな事も無く、出来れば終始バンドで活動出来るに越した事は無い、と思ってゐるのだが。ただ、ワシはバンドと云ふ共同体に、あまり過度な幻想を抱いてないのも確か。独りになった時に途方に暮れないだけの語彙は身に付けておきたい、と思ふ。

さう話してゐて、ハタと思い当たった。そもそもワシがなんでソロを演る事になったのかと云ふたら、当時一緒に演ってゐたこの上チャンその人が、『自分のセットを全部組めんのなら、ライヴやる意味がない』と云ふて出演を断ったからなのだ!!(笑)。あれでワシはまぁライヴをキャンセルするよりは・・・と独りで演ったのだった!。忘れもせぬ1993年の2月21日の事だ(象かワシは)。

それを云ふと上チャン、『ん〜憶えてないけど、あの頃のワシなら云うたぢゃろうねぇ』と笑う。

滅多に来ぬワシらの事を、マスターもママさんも憶えてくれてゐて、しかもミュージシャンである事をちゃんと知ってゐる。娘が純邦楽を演ってゐるんですよ、と云ふ話し。なんかで共演出来たらオモロイね、と。帰りは上チャン自慢の嫁さんの運転する車で送ってもらった。家から少し離れたところで降ろしてもらひ、ふらふら歩きながら、よし、大丈夫、と思ふ。なにが、かは判らぬが、さう思ふ。

27日(金)-----------------------------------------

久しぶりにぐーたら寝てゐた。ヲーキングも水泳もなし。パンと卵、スゥプの朝食を取り、専門学校へ。持って行った教材が不適切で、全然レッスンにならなんだ。かういふのは駄目なライヴをやってしまった時の失敗感に似てゐるな。

けふはサンサ〜ラのライヴ。今回は遂に一度も打ち合わせやリハをせなんだ。岩本さんに会うのも、前回のライヴ以来。はははーっ。なに演るんだらう?。一応、えへくたー、カリンバ、など、目ぼしいものを、バイクの荷台に積んで、全部持って行く。

スタンダードやお互いのオリジナルを交えながら、45分ステージを2回。カリンバやヴォイスも使って、それほど悪くない事がやれたのではないか?。お客さんは5人(笑)。まぁ盛り上がりはせんよなぁ。時間の事をまったく考えずに、好きなやうに演り、好きなやうに終わったら、まだ10:30ぐらいだった。このテのライヴでは驚異的に早い時間だ。ふたりともシラフのまま、さっさと片付けてさっさと退散。んじゃ、また2ケ月後に、と帰路へ。まるでライヴなど演らなかったやうなこの自然体。

ラーメンでも、と思ったが、機材を満載したバイクを停めて店に入るのもどうか、と思ひ、ビールとつまみ買って帰って家で喰ふ。TVのない生活になって1週間。何となく慣れた。どーしやうかねぇ、このままTVやめようか。


5週目


28日(土)-----------------------------------

散歩ついでに『麦屋』へ行き、パンを買う。歩行者が居るにも関わらず、細い路地を猛スピードで突っ込んで来る自動車。ワシの肩がサイドミラーまであと10センチぐらいを大型ワゴンが走り抜ける。お前がいつかどっかでヤクザの車にぶつけて、多額の慰謝料を脅し取られますやうに。

訃報届く。

教会の人で、ワシが中学生の頃から、なにかと気にかけてくれ、『あなたの唄はとても良いですよ』と云ってくれてゐたおばぁさんが、亡くなった。いつかワシが推薦する「良い唄」ばかりを集めたコンピレーションCDをプレゼントする、と云って、その約束を果たせぬまま逝ってしまわれた。また、他人を裏切ってしまった。駄目な、ほんたうに駄目な人間である。

29日(日)---------------------------------------

某音楽振興会、新人インストラクターの研修、の為の、バック演奏の仕事。緊張感のカケラもなく、ただ指示通りに曲を弾くだけ。お仕事中のお仕事。かういふ方がかえって疲れる。むか〜〜し、演劇の練習の為のピアノ演奏、といふ仕事をやった事があり、あれも、ほんの数小節を弾いては止まり、また弾いては止まり、を数時間に渡ってくり返す、といふモノだったが、あれに匹敵するな。

昼前から夕方ぐらいまで演り、打ち上げに少し参加。新人君達はみな20代前半。話はまったく噛み合わぬ。同じ音楽家とは思えぬ。

その後、バァ「エル・バルコ」のアニバーサリィイベントに出演するために行く。主催者のジェイミーから『好きな時間に来て演ってくれたらいい』と云われてゐたので9:00に行く。此所は、一昔前の「MAC」に匹敵する外人率の高い店。けふは日頃にも増してその率も上がり、ぎちぎちに満員の店内の、ほぼ9割が外人。カウンターでも日本語より英語の方が注文が速く伝わる。下手な英語でビールをオーダーして呑んでゐると、すぐ出番。

ぐどいぶにん、あー、まいネームいずかじやまシュウ、あー、コールミーシュウ、あー、アイほープえんぢょい、へへへへ・・・

とMCして始める。松井稼頭央が、NYメッツの入団会見で『まいねーむいずカズオマツイ、アイらぶニューよーく』と云って笑いが起こってゐたのを思い出す。

けふはベースとサンプラー1個とカリンバだけ。何も決めずに演る。ほとんど誰も聴いてない冒頭から、演奏が熱を帯びて来るに従い、徐々に会場が静かになって行く。外人さんは『面白ければ聴く』のだ。よっしゃ、手応えあり。「月の路」から「キャメル〜サライ」へ。この辺で踊り始める人が出て来る。15分ぐらい演ったキャメルを終えると、拍手喝采の嵐。調子に乗って『あー、ワンモアソング、OK?』と「Tes de taz;」でカリンバ乱れ打ち。久しぶりにおおウケにウケたソロパフォーマンスだった。相当酔っ払ってゐたが、喉も指も絶好調。終演後、握手攻めに遇うが、ほとんどヒアリング出来ず。アー、やっぱりちゃんと英語習おうかな〜。

さらにビール呑んで、終電で帰れる。タクシー代を使わずに済む。

あんだけウケたのにCDを持って行ってなかったので、収入はゼロ。つくづく商売が下手すぎる。

30日(月)----------------------------------------

ライヴで気が高ぶったか、寝られなんだ。眠い身体を引きずって専門学校へ。かういふ時に、ただ休むだけが回復の手段ではないと、ワシは経験上知ってゐる。ので、授業の後にプールに行き、ゆ〜〜〜っくり泳ぐ。少しはしゃきっとした。

夕方からネコノズクの最終リハ。このユニットも、オリジナルとカヴァーが半々くらいになったな。飯に誘ってもらへたが、けふは帰る。

年に数回ぐらい、まったく見知らぬ人からメールを頂く事がある。今の処、幸いにもクレームよりはファンレターのやうなものの方が多いので、それはそれで仲々に嬉しいものだ。『日記のコーナーがとても面白いです』とか書いてあると、張り切ってしまって、もっと気の利いた事を書こう!とか思ふのであるが、日々刺激的な事を書く、と云ふは、仲々難しい。

ところで、ワシは昔、結構ハナシで笑いを取るのが得意だった方なのだが、ここんところさっぱり駄目である。ステージでも仲々笑いが取れぬ。そのかわり、文章が面白い、と誉められる事が多くなった。さういや小説家やエッセイストが喋ると、むしろ嫌味な所ばっかり目について、全然オモロなかったりするな。まぁどっちでも良いけど。

女性にモテるのは圧倒的に前者だぁね。

31日(火)----------------------------------------

けふはネコノズクのライヴである。それに、けふを越えたら、久々に2日連続の完全オフなのだ。色々本を読んだりビデヲ見たりしたいな、とか思いつつ、まづはライヴ、おっとその前に専門学校で授業ひとコマ。

ねこのづくスタッフ全員で会場入りし、新規PAシステムのチェックも含めたリハ。これがまるでゲネプロのやうに密度の濃いリハで、終わった後はすっかり疲れてしまってゐた。本番までのわずかな時間にチャーハン喰って回復をはかる。

さて本番は、幅広い年齢層のファンを考慮して、いつものJIVEライヴ時間ではなく、午後7:30からスタート。それほど宣伝はしてない(椎名さん談)と云ふ事だったが、大入り満員だった。オリジナルとカヴァーが半々となり、ワシがソロで唄う曲も結構ある。かうなると逆にそれほど自分をアッピールしやうといふ気は起こらなくなって、要所要所のソロもさらっと演る。そしたら、PAのマサヲさんに『今日はホーミーやらんかったな、リバーブ構えて待っとったのに・・・』と云われてしまった(笑)。

2ステージやって9:45には終わる、と云ふ素晴らしいライヴ!。出来もまづまづ。チャーハンが効いたか元気も回復して、最後までテンションを維持して演れた。ユニットとしてはもっとこなれは必要だが、現時点ではベストだらうな。ビートがもう少し腰だめになれば、もっと安定感が増すだらう。マー坊にワシのリズム道場に入会してもらおうか(笑)。椎名さんの初めてのオリジナル「駱駝」が一番出来が良かったのも嬉しい。

打ち上げは家に帰ってからぢみに。ゆんべ、おとといと何故かあまり上手く眠れず、そのせいで、ちょっと呑んだだけで、自然にまぶたが下がってしまふくらい眠くなって来た。ので、早めに(とは云ふても1:30)退散。


翌月